戦争体験の本をもう一冊。『アーロン収容所』(会田雄次著、中公文庫)である。著者は歴史学者で保守派の論客として有名だが、昭和18年、27歳で応召。戦後2年間英軍捕虜としてラングーンに抑留されたときのことを書いたのがこの本である。
「やっぱり、とうとう書いてしまったのか」。こんな書き出しで始まる。この本が出版されたのは昭和38年。著者は、心の中で鬱積したものがありながら到底わかってもらえないだろうと思い、それまで書くことができなかったという。何故なら、英軍さらには英国というものに対する燃えるような激しい憎悪を抱いて帰ってきた。この2年間の捕虜生活を“異常な体験”として伝えることは難しいと考えたからである。
この文庫本が出たのは昭和48年だが、文庫本のあとがきで「終戦後からこの当時まで、ヨーロッパの民主主義は本物で、その近代社会、つまり資本主義は立派だがアメリカはインチキだ。(中略)理想の国の一つがイギリス、ついでフランスだった」がイギリスの植民地経営の方が遥かに老獪、したがって悪質、フランスの方が残虐だった(後略)と書いている。その一例として、捕虜に課せられた英国人女兵士の兵舎掃除の話が出てくる。
「その日、私は部屋に入り掃除をしようとしておどろいた。一人の女が全裸で鏡に前に立って髪をすいていたからである。ドアの音に後ろを振り向いたが、日本兵であることを知ると、そのまま何事もなかったようにまた髪をくしけずりはじめた。部屋には二、三の女がいて、寝台に横になりながら『ライフ』か何かを読んでいる。何の変化も起こらない。私は、その部屋を掃除し、床をふいた。裸の女は髪をすき終わると下着をつけ、そのまま寝台によこになってタバコをすいはじめた」。
「東洋人に対する彼らの絶対的な優越感は、まったく自然なもので、努力して(威張って)いるのでない。女兵士たちが、私たちをつかうとき、足やあごで指示するのもタバコを与えるのに床に投げるのも、まったく自然な空気を吸うようななだらかなやり方なのである」。
「植民地人や有色人は明らかに『人間』ではない。家畜に等しいものだから人間に対する感覚を持つ必要はないのだ。どうしてもそうとしか思えない」。このように、著者は真正面から憎悪を込めて書いている。それが世界の支配者だった大英帝国の歴史であり真の姿だと言い切っているかのようだ。
非人間的な扱いに抗議すると「日本兵は、英国人捕虜にもっと酷いことをした」。とことごとく反論が返ってくる。事実、日本が当時のビルマを英国軍から「解放」したとき、すなわち日本が勝っていたとき、英国人捕虜に酷い処遇をしている。形成が逆転しその仕返しをされたに過ぎないということなのかもしれない。
捕虜に対する憎悪の念や、古代ローマ時代では何にしても捕虜=奴隷といった観念がついて回っていたのかもしれない。だから、捕虜への処遇の問題を決めたジュネーブ条約があるのだろう。
もちろん、著者は英国人の批判をするためにこの本を書いたわけではない。英国人の素晴らしさや日本人の情けない面にも触れている。英国人は、国の誇りは自分の誇りでもあるが、日本人は国への忠誠心は、長いものに巻かれるという態度であって決して心底思っているわけではない。といった評価を下している。
小松真一氏が「思想的に徹底したものがなかった。日本文化に普遍性なき為」を敗因にあげているが、共通したものがそこにはあるようだ。極限状況の中で見えてくる本質がやはりあるように思う。