*風のメルマガ「つむじかぜ」577号より転載
4月から3年目の亜細亜大学での授業が始まった。2、3月は授業がなく時間はたっぷりあるはずだから、その間に新学期の準備をしよう、などと固く決意していたが、ネパールへ添乗で行ったり、会社の決算や予算作りしていたらあっという間に4月になってしまった。
約3ヶ月振りに会った4年生は、リクルートスーツに身を包み就活真っ最中で、わずかながら大人びた顔になっていたが、地味な服装のせいか、いつもの快活さがないようにも感じた。
「今日は、それぞれどんな状況か報告し合おう」と水を向けると、ここぞとばかりにしゃべり始めた。どの学生も不安が募っていたのだろう。しゃべることで、少しずつ心が落ち着いていく様子が手に取るように分った。
もちろん、しゃべっても何か変わるわけではない。しかし、声に出して話せば落ち着く。熊本の地震でもテレビアナウンサーがそう呼びかけていたが、学生も同じである。もちろん、地震の大変さと比較にはならないが、学生にとって、他人との会話が、不安解消にとても効果があることだけは確かだ。
今年は、昨年に続いて、学生にとっては売り手市場だから、そんなに不安はないだろうと、私は思うのだが、自分だけが置いていかれるような気になるらしい。
「大丈夫だ。一生のことだなどと大げさに考えるな。長い人生の分岐点ではあるが、すべてが決まるわけじゃない。俺を見ろ。あれこれあったが、何とか生きている。日本がダメなら海外にだって行ける。なんとでもなる。第一、死にはしない」そんな風に慰めるのだが、
「先生と比べないでくださいよ。先生のようになったら大変です。私にはできませんよ」と反論が返ってくる。浪人・転学・留年と大学卒業時には3年ダブっていた私は、「それでも大丈夫だったんだから」といいたかったのだが、どうも逆効果になってしまった。
4年生は、大抵は、週に1回しか大学に来ない。何故なら、3年生までに殆どの単位を取り終えていて、残すはゼミだけになっているからだ。「帰宅部」などという言葉が大学生に当てはまるか分らないが、クラブにも所属していないと、4年生はゼミだけが大学との繋がりになる。毎日、慣れないスーツを着て会社訪問などを繰り返していると、週に一回のゼミが楽しみだというのも頷ける。
昨年、私の息子2人も就活をし、この4月から働き始めた。私は二人に大学を出たら“自立”するように促してきた。そのせいか、2人は、親には相談することなく就職を決めた。そういう意味では“独力”で人生を選択し歩み始めたといえよう。
それでも、つい口を出したくなる。我慢して見ていることが一番大切なことだと分っているのだが、なかなかこれが難しい。所詮、口を出すことで自分の不安を解消し“俺は言ったぞ!”と自己満足に浸っているに過ぎないとも分っているのだが、早、子育ても卒業だ。いやはや参ってしまう。
★弊社代表取締役原優二の「風の向くまま、気の向くまま」は弊社メールマガジン「つむじかぜ」にて好評連載中です。