昭和一桁世代

*風のメルマガ「つむじかぜ」588号より転載

永六輔さんが亡くなった。時々車の運転をしながら『永六輔の誰かとどこかへ』を聴いていたので、残念だが、それほど永くは生きられそうにないな、と私は感じていた。

永六輔さんがパーキンソン病を患ってからは、滑舌が悪くなり、同番組でも、時々何を言っているのか分からない時があった。それを聞き苦しいとは思わなかったが、ご本人は、さぞかしもどかしかったに違いない。そのイライラ感がどことなく伝わってきて、それが、一層、痛ましさを聴き手に与えていたように思う。

同番組の中には印象的なコーナーがいくつかあった。“野坂昭如さんからの手紙”というコーナーもその一つだった。闘病生活を送る野坂氏の、滅茶苦茶こだわりのある手紙が紹介されていた。それを受け止める永六輔さんの態度にも清々しさがあった。

また、しばしば、元、ザ・フォーク・クルセダーズで、今は精神科医をしている北山修氏が出演し、永六輔さんとちょっとした“激論”を交わしていたことも思い出す。北山さんは、戦後生まれだから、永六輔さんとは一回り以上違うが、きっと気が合ったのだろう。

永六輔さんは、随分前からだと思うが、テレビに出なくなり、ラジオを大切にしたことでも有名だ。テレビは人の実相を表さない。その点ラジオはいい、と仰っておられた。ラジオは、台本も無く、時間にもゆとりがあるから、じっくりと一つの話題を掘り下げることが出来る。北山修氏が興奮してかなり長時間喋っても、それが許されるそんな本音トークのような雰囲気がいい、と私は思う。

昭和一桁世代の男性は頑固で一本筋が通っている。そんな評価がよくされる。私にとって昭和一桁世代は、親の世代であり、大変怖い世代である。ただ、ちょっと距離があり過ぎて、親としての像しか思い浮かばない。私の親父は、大正生まれで軍隊経験もあるが、昭和一桁世代は、殆どが戦争には行ったことはないはずだ。しかし、反戦への想いは強い。無理もない。一番多感な少年少女時代に戦時教育を受けているが、それが、敗戦によって、全て覆された経験を持っている。

特に、男性にとっては、国のため、天皇陛下のために死ぬんだと真面目に思っていたのに、それが裏切られた。その衝撃がその後の人生に大きな影響を与えている。永六輔さんを追いかけるように亡くなった大橋巨泉さんですら、日本が勝つと信じる報国少年であったというのだから、昭和一桁世代は、殆ど例外なく報国少年であったにちがいない。

歴史を学ぶには、想像力が必要だ。神武天皇を実在の人物だと言い放つ国会議員もいるようだが、歴史を偏向や恣意の世界からこうあるべきだという視点で扱ったら、随分歪んだものになる。そういう想像力は要らない。歴史上の出来事の中に人々の実相を思い浮かべそれに思いを馳せられるかいなかという想像力が必要である。

昭和一桁世代が経験したことを、私たちは、想像力豊かに感じることが出来ているだろうか。昭和の時代を知っている人がどんどん少なくなっていくが、私たちは、もっともっと想像してみる必要があると私は思う。

永六輔さん、大橋巨泉さんのご冥福を心より祈ります。


★弊社代表取締役原優二の「風の向くまま、気の向くまま」は弊社メールマガジン「つむじかぜ」にて好評連載中です。


シェアする