*風のメルマガ「つむじかぜ」595号より転載
私が教えている亜細亜大学の学生13人を連れてネパールへやってきた。通常なら事前学習を積んでからこういう国にやってくるのが授業の一般的な形式だ。しかし、今回は、あえて、頭から入る知識やイメージは持たずに、このネパールを感じてほしいと考え、書物での学習は帰ってから行う方法をとってみた。
というのは、日本とは全く違うこの国を、どんなに事前に説明しても日本という豊かな国に育った学生たちには理解することは殆どできないだろうし、たとえ、映像を駆使しても、この国が持つ独特の空気感は伝わらないと考えたからだ。
しかし、まだ旅の途中だが、この方法の難しさを感じている。何故か。今の学生たちは、殆ど新聞を読まないし、テレビニュースも見ない。これは、日本の学生全般にいえることだ。だから、日本という社会の成り立ちそのものの知識が不足している。“何故違うのか?”それを掘り下げて考える土台がないのだ。
日本とは○○が違うということは分かっても、それは表面上の違いでしかない。日本へ帰ってからの学習で深く掘り下げ、社会構造的な比較ができるようにしなくてはならない。そこまでやらないと、「好きだ、嫌いだ、できる、できない」という感覚の世界で終わってしまう。
ただ、昨年、モンゴルへ行った時もそうだったが、学生たちの環境への適応力には驚く。
今回は、ネパール到着早々、昨年のネパール大地震の震源地に近いパトレ村に入って2泊のテント生活をする日程を組んだ。初めての海外旅行という学生も2名いて、何名かは体調を崩すだろうと予想していたが、全員すこぶる元気である。食事も“ミトツァー”(おいしい)を繰り返しほぼ完食。心配は杞憂に終わった。
ツアーの終盤、カトマンズでは「カトマンズ日本語学院」の学生たちと午前半日の交流を行い、その夜、ホテルに彼らを招いて食事会を行った。学生同士とはいえ、こういう初対面での交流は、私などの世代は苦手だったが、今の日本の学生たちは、なんら抵抗なく少々シャイなネパールの学生たちをリードして楽しむことができる。
今回、私自身、改めてネパールのことをあれこれ考えてみた。現在も、世界最貧国の一つでありアジアで最も貧しい国である。主な産業は農業で、外貨獲得は観光と出稼ぎに頼っている。インドや中国と列車で結ばれるという話もあるが、果たして、ネパールは工業化による経済発展が望めるのだろうか。答えは否である。観光インフラを整備し、ネパールの伝統を受け継いだ美しい町に衣替えし、観光立国として歩むべきである。
しかし、今のままではいけない。どんなに美しいヒマラヤも人々の優しさも、今のままでは、多くの人には伝わらない。本気で観光で立国する覚悟を国が持って欲しいものである。
★弊社代表取締役原優二の「風の向くまま、気の向くまま」は弊社メールマガジン「つむじかぜ」にて好評連載中です。