*風のメルマガ「つむじかぜ」615号より転載
小学校の同級生から寒中見舞いがきた。昨年末に私から喪中で欠礼はがきを出したので、年賀状は避けて寒中見舞いはがきを出す。そんな心遣いをしてくれた人が今年は何人かいた。とても嬉しい。是非、見習いたい習慣である。
一方、今の若い人たちは、もう年賀状を出す習慣がなくなっている。ゼミの学生に聞くと、年賀状など全く書かないという答えが全員から返ってきた。確かに、LINEで始終つながっている仲間に年賀状は不要であろう。
しかし、小中学校の頃の友達や恩師、親戚などLINEではつながらない人たちだっているだろうに、そういう人たちとは、音信不通ということになるのだろうか。最近はfacebookで昔の知人ともつながるらしいが、今更会ってどうするなどという人ともつながってしまうとも聞く。年賀状だったら、年に一回で、仲の良かった友人だけとストレスもなく連絡が取れる。
年賀状に「元気かい!今度一杯やろう」そんなことを書き続けて早30年。私は、そんな友人がいっぱいいる。何時かは、、、と思うのだが、なかなか日常の人間関係に追われてそれ以上に踏み出す足は重い。
先日、ラジオの投稿コーナーで、年賀状に「2月2日、3日、4日のいずれかに会わないか」と書いたら、「じゃあ、〇〇も誘ってみる」などと広がり数人で30年ぶりの再会を果たした。という話をやっていた。その後は、毎年会っているそうだ。なかなかいいやり方だ。そろそろそんな風にしないと会わずに終わってしまいそうだ。
友人の寒中見舞いにも、中学校の同級会を久しぶりに行ったという話が書いてあった。私は、東京に出てしまっているので、もうそんな連絡も来ないが、60歳を過ぎると互いの寿命を確かめるような同級会が行われるとよく聞く。
淋しいことに、その同級会で、4人が既に鬼籍に入っていることが分かったそうだ。もちろん、まだまだ平均寿命まで考えても、年一回の同級会なら20回ほどできるのだが、やはり寿命を確かめ合う必要がありそうだ。
私が担当するゼミの4年生の最後の授業で、「もう、ほとんど会うことはないだろうから、年賀状は出すよ」と言ったら「返事書きます!」と答えが返ってきた。おいおい、お前たちから出すのが礼儀だろうと思うが、あれこれ気を遣う彼らも、年賀状になると「余分ごと」になってしまうようだ。習慣が消えるとは、行為だけではなく、それに伴う意識も消えるというこである。
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