機内での映画

*風のメルマガ「つむじかぜ」618号より転載


座席の前のスクリーンにタッチして映画リストをチェックした。キャセイ航空は意外と新しい映画が観られるというのが私の印象だったので、少し期待していたが、果たして昨年話題となった「シンゴジラ」と「君の名は」の東宝映画2本があったのには驚いた。PCを持ち込みあれこれ仕事をする予定だったが、ついつい、香港までに「シンゴジラ」を、香港からカトマンズまでで「君の名は」を観てしまった。

※編集部注:以下、「シンゴジラ」と「君の名は」のネタバレがあります。ご注意ください。

前者は3.11の経験を経て生まれた映画といえよう。政府への揶揄、ひいては日本を牛耳る官僚たちへの皮肉が散りばめられていた。傑出したリーダーが、組織からはみ出た個性派の有能な人間を集めて次々と問題を解決していく、という筋立てはハリウッド映画ではよくある設定だが、日本人がやると、どうもスマートさに欠ける。人真似は、やめた方が良い。

日本は、官僚に限らず、企業でもどんな組織でも会議と根回しで成り立っている。有能な個人がその手腕で決断し組織を引っ張っていくなどというケースは少ない。良い悪いではなく、日本人の精神構造、長い時間をかけてそういう社会を形成してきたのである。それでも、日本にだって傑出した指導者は出てくる。この映画は、そのことも最後にチラッとではあるが描いていたから、その点での描き方は奥深い。

しかし、ゴジラの意志や思いが全く斟酌されず、ただただ原子力を「餌にして」上陸し甚大な被害を与えているだけ、という描き方だったことにむしろ違和感を感じた。過去のゴジラ映画では、それなりにゴジラの意志が描かれていたように思うのだが私の思い込みだろうか。

また、危機を乗り越えるためには、個人をも犠牲にする美学がかなり強烈に前面に出ていて、最近こういう描き方が多いと感じつつ、この点は少し疲れを感じた。

後者は、いい加減な都会の普通の高校生が、何故か田舎の少女と体が入れ替わり、困惑しながらも対処しているうちに、次第に互いへの恋心が芽生えていくそんなストーリーだが、お互いに会ったことはなくても携帯メールで連絡し合っていたのに、実は、生きていたときがズレていたという設定が物語の核心になっている。

互いの意識が互いの存在を黄昏時のように曖昧にしていくのに、意識の奥底の心のどこかで互いに求め合い、それが時間のズレを超えて現実になっていくという少々空想的な物語だ。私の叔母が「よく解らなかった」と感想を漏らしていたのもうなずける。

ネパールからの帰りのキャセイ航空では、「ブラックスワン」(ダーレン・アロノフスキー監督、ナタリー・ポートマン主演)を観た。いやはや強烈な映画である。夜行便の中で見るには少々刺激が強すぎて、そのままほとんど眠ることができなかった。機内では、仕事も全くできなかったが、映画をよく観ていた学生の頃の気分を取り戻したかのようで嬉しかった。


★弊社代表取締役原優二の「風の向くまま、気の向くまま」は弊社メールマガジン「つむじかぜ」にて好評連載中です。


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