積極的に生きる方向と目標

*風のメルマガ「つむじかぜ」635号より転載


聖路加国際病院名誉院長の日野原重明さんが亡くなられた。明治44年生まれの105歳。テレビでしか拝見したことはないが凄い人である。体調を崩していらしたとは知らなかったが、どんなに元気な人でも老いて何時かは死ぬのかと今更ながら思う。

昭和45年のよど号ハイジャック事件に巻き込まれ、4日間、人質として拘束されたそうだが、無事解放されたあとは、「拾った命、後は人のために生きる」と決められたという。それが59歳のときだから、今の私とほとんど同じだ。

“なんのために働くのかと”私自身、自問自答することもあるが、生活のため、子供を育てるため、会社のため、とその場凌ぎではぐらかしてきたように思う。はぐらかすなどとは妙な言い方だが、〇〇のためは真剣に考えるのを避ける言い訳だったように思う。日野原さんのような方を知ると、なんだかとても恥ずかしくなる。

しかし、そうした言い訳もそろそろなくなってきた。子供は育って自立したし、両親も既にこの世にはいない。もう少し今の仕事を頑張ってやろうと思うので、まだまだ会社のためという言い訳は消えないが、それとてもうそんなに長くはない。

もう一人、無念。劉暁波氏が亡くなった。1955年生まれで私より一つ上だが世界中からその早すぎる死を惜しまれた。1989年の天安門事件で出動した戦車の前で流血の事態を避けようとして交渉し、広場から無事に学生たちを引き上げさせたことで劉氏は民主化の先導者として有名になった。

その後も、天安門に係わった人々が海外に出る中、劉氏は中国にとどまり2008年にネット上で「08憲章」を公開した。結果、中国当局に拘束されることになったが、2010年ノーベル平和賞を獄中で受賞した。もちろん中国当局からは受賞に抗議の声が上がったことは言うまでもない。

日野原重明さんは、いろいろな言葉を残されている。いくつか紹介しよう。


「未知の世界に自ら飛び込んで、やったことのないことをやることによって、使ったことのない脳が働き出す」


「老いた身の一番の不幸は孤独であり、 積極的に生きる方向と目標がともに定かでないことである。この孤独は、老いた人間を悲しく沈没させてしまう」


「心の良い習慣というのは表情やしぐさにあらわれる。 人の顔つきも習慣なのです」


人生は、顔に現れるという。“積極的に生きる方向と目標”を一層はっきりと持ちたいものである。


★弊社代表取締役原優二の「風の向くまま、気の向くまま」は弊社メールマガジン「つむじかぜ」にて好評連載中です。


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