*風のメルマガ「つむじかぜ」660号より転載
年末に叔父が亡くなり、葬儀が行われた。私の田舎では、通夜の翌日午前中に出棺、そのまま火葬場へ行き火葬を行った後、午後に告別式と葬儀が行われる。だから、故人と最後のお別れをしたければ、通夜に行かないと会えない。何と、告別式に行っても既に遺骨になってしまっており、その遺骨の前で遺影にお参りすることになる。
私が学生のころ、祖母が亡くなった折に通夜に間に合わず、葬儀には何とか駆け着けたものの火葬された後で、両親から叱責を受けたことがあった。その時点では、通夜に間に合わなかったことで怒られたと感じていたが、今思えば、最後のお別れに間に合わなかったことを両親は怒っていたのだと思う。
こういうやり方を「前火葬」、告別式・葬儀の後に火葬するのを「後火葬」というのだそうだ。東京で何度か葬儀に参列し、葬儀・告別式で故人に最後のお別れをして出棺を見送る「後火葬」を経験すると、どうして、私の田舎は「前火葬」なのか不思議に思えてきた。どう考えても、告別式に出ても、故人が既に遺骨になってしまっているのは解せない。
調べてみると、全国的には「後火葬」が一般的だそうだが、甲信越地方、北海道、東北地方の一部、西は中国地方や九州の一部に「前火葬」があるそうだ。結局、どうして「前火葬」をするのか、その理由は判らなかったが、まさか、お寺や火葬場の都合というわけではなかろう。
先週、家内の叔母がなくなり柏崎まで通夜に行った。夕方4時ごろに出棺して、棺は、通夜・告別式・葬儀の会場となる葬祭場に安置され、その日は長男と孫が泊まり込んだ。翌日は、「後火葬」で式が行われた。
祖父、両親の葬儀を思い起こしてみると、通夜は自宅で行い、まだ布団に横たわったままの遺体の前で、親戚や親しい知り合いで通夜と通夜振るまいが行われた。故人が住んでいた自宅で行うせいなのか、親しい人だけの集まりだからかは判らないが、しみじみと故人を偲ぶことができる。最後には、身内と遠方からきた親戚だけになり、酒を交わし思い出話になり歌まで飛び出したりする。
「前火葬」にも「後火葬」にも一長一短があるのだろうし、その土地の風習であるから、それはそれでいいのだが、きちんと別れられなかったときは、ずっと後悔が残るものだ。だから、これからも、田舎の葬儀の際は、なるべく通夜に行くようにしようと思う。
★弊社代表取締役原優二の「風の向くまま、気の向くまま」は弊社メールマガジン「つむじかぜ」にて好評連載中です。