*風のメルマガ「つむじかぜ」661号より転載
仮想通貨のニュースを聞いていると、なんだか腹が立ってくる。マネーゲームとしか思えない投機が繰り返されているように思う。「労働の対価っていったいなんだ?」と弊社のスタッフが叫んでいたが、私も、一緒に叫んでしまった。
それにしても、580億円相当の仮想通貨NEM(ネム)は、いったいどこへ行ってしまったのだろうか。果たして、これを現金に交換したり、使用したりできるのだろうか。案の定、盗まれたNEMは特定できるので、取引をしようと思っても拒否されてできないようにしたと報じられた。
ということは、盗まれたNEMは、意味のない電子情報ということになるのか。では、NEMの取引を行っていたコインチェック社が補償すると言っているお金、約470億円はいったいどこから出てくるのか。そもそも、なんでそんなことができるのか。
私は、単純に、NEMを購入するときに払ったお金は、コインチェック社にあるから、それを返すだけだと理解したが違うのだろうか。NEMはただの電子情報であって現金は、コインチェック社にある。しかし、仮想通貨は、随分高騰し、元金の何十倍にもなったなどという話を聞くと、どうしてコインチェック社にそんな大金があるのかさっぱりわからなくなる。
ある報道では、取引がある度に3%の手数料をコインチェック社は取るという。コインチェック社の月間取引高は4兆円とか。その3%とは、1200億円。そんなに収入があるものなのか。それっていいのか、とすら思う。
インターネットの世界は、少額の手数料や利益でも、実態を伴わない電子ゲームのようなものや、物流をともなわないデータのみの売り買いは、集積効果があって巨額な利益になるようだ。人件費も、一定以上はかからないから、売上と人件費は比例しない。
私たちのように、売り上げと仕事の量がほぼ比例しているような労働についていると、労働の対価は見えやすいし実感がある。だから仕事の目的や喜びも、労働についてくる。働き甲斐や、自分の仕事への誇り、満足感が、こんな仮想労働みたいなことをしていて生まれるのだろうか。
結局は、金がもうかればいいということなのか。若い人たちがこうした取引に夢中になっているらしい。私には、そちらの方が心配である。そんな金の儲け方を味わったら、もう働かないだろうなと思う。そんな人がいっぱい増えたらいったい世界はどうなるのだろう。分からないことだらけである。
★弊社代表取締役原優二の「風の向くまま、気の向くまま」は弊社メールマガジン「つむじかぜ」にて好評連載中です。