*風のメルマガ「つむじかぜ」675号より転載
※前回の記事「オルドス旅行①」はこちら
朝食のとき、新たに植林要員を呼んだからと、J・J(友人の知人のモンゴル人)から2人の男性と1人の女性のモンゴル人を紹介された。年のころは50歳手前といったところだろうか。J・Jと彼らは、冷えて油が固まった昨晩のチャンスンマハ(ゆで肉)をナイフで小片に切り取ってスーテーツァイ(塩味のミルクティー)に山ほど入れ、ものすごい勢いで食べていた。その慣れた手つきと食べる量は、ザ・モンゴルである。
今回の訪問で、意外にもウランバートルに比べオルドスのほうがモンゴル伝統の食、習慣が残っているように感じた。その最たるものは縦文字の使用だ。内モンゴルでモンゴル語を表記するには古来からモンゴル人が使ってきた縦文字しかない。空港の案内板も街の看板もテレビでも縦文字が普通に使われている。キリル文字という外来文化は内モンゴルには存在しない。
11時ごろから植林に出かけた。これが今回の旅のメインイベントである。車にはJ・J、奥さん、大学生の甥っ子とその彼女、そして前述した3人のモンゴル人。途中、昨晩の饗宴に来ていた68歳の叔父さんの家で400本の苗を積み込み、さらに叔父さんも乗り合わせて砂漠へ向かった。この叔父さんはもう30年以上植林を続けているそうで、J・Jは「お兄さん」と呼んで慕っている。
「昔のような草原に戻したい」とJ・Jは熱く語る。オルドスには高速道路のような素晴らしい道が縦横に走っているが、その脇には綺麗に高木が並んでいる。市の力で緑化が進んでいるが、高木を密集するように植林すると下草が生えなくなってしまうそうだ。あれでは草原には戻らないと私も思う。
今回植えた苗は1mほどの潅木になるらしい。砂漠にスコップで穴を掘り、30cmくらいの苗を2本ずつ植えていく。穴の間隔は1.5mほどだ。土をかけたら周りをしっかり踏み抑えないと枯れてしまうと言うので、少々荒っぽく踏み込んだ。驚いたことに、砂漠といっても表面の砂を30cmほど掘ると湿った砂が出てくる。J・Jいわく、砂漠では水に困ったら深く穴を掘るそうだ。
ところで、内モンゴルには「牧民」がいても「遊牧民」はいない。定住化が進められたからだ。ご存知のように中国では土地は国のものであり、国民は使用権を所有しているに過ぎない。モンゴルの草原と違ってオルドスの砂漠は柵で区切られており、行く手を柵に遮られる度に門を開けるようにして通らなくてはならない。
一方で皮肉なことに、遊牧が許されているモンゴル国では、急激に遊牧民が減っている。経済の発展が伝統的な暮らしを変えていくという典型的な話だが、実にもったいない。モンゴル民族のアイデンティティーとは何か。日常に当り前のように存在していたものは、経済発展とともに新しいものに代わってしまった。そして、日常から消えてしまったときに初めて、強いアイデンティティーを人は感じるのかもしれない。
形のないもの、目に見えないものの方が思いが募る。草原を復活させようといった思いもその典型かもしれない。J・Jの夢が実現することを祈りたい。
★弊社代表取締役原優二の「風の向くまま、気の向くまま」は弊社メールマガジン「つむじかぜ」にて好評連載中です。