*風のメルマガ「つむじかぜ」685号より転載
今日は、東京の最高気温は30度。なんだか涼しく感じる。否、30度でも暑いはずだが体が慣らされたのか、連日の息苦しさはない。それはいいのだが、なんだか、この異常気象に慣らされてきているように感じ腹立たしい。体の感覚がおかしくなっているに違いない。
例年なら、我が家のマンションの玄関側の通路には、力尽きたアブラ蝉が仰向けになってバタバタしている姿を数多く見るが、今年はほとんど見ない。鳴き声もしない。体力の消耗を避けているのだろうか。それとも地上に出てこないのだろうか。これでは、蝉も日本から消えてしまうのか。まさかそんなことはあるまい。
こんな暑い夏なのに、夏休みが短くなる学校が多数あるようだ。8/20ごろには終わってしまうとか。私が育った信州の飯田市では夏休みがお盆明けには終わり、たった20日ほどしかなかった。そりゃ大変だと思われるかもしれないが、信州ではお盆が過ぎると急に涼しくなるのが普通だった。
セミの鳴き声もアブラ蝉から“オーシンツクツク”と鳴くツクツク法師に代わる。夏のギラギラした太陽も少し傾いてきて弱々しい日差しになる。まるで祭りの後のような寂しさが漂う。今はどうだろう。子供たちもみんなクーラーのある所に逃げ込んでいるのかもしれない。
よく出る話だが、昔の運動部は練習中に水を飲ませてもらえなかった。水を飲むとバテると教えられ、そう信じて我慢した。中学生の時野球部だった私は、夏の炎天下でついに我慢できず、トイレに行っては水を飲んでいた。水を呑んだ時の、あの生き返るような安堵感を今でも忘れない。やはり、水分を補給するのは体が欲するのだから当然だったのだ。それなのに、トイレで水を呑むと罪悪感すら感じていた。思い込みとは、体の素直な反応すら打ち消してしまうようだ。
科学は進歩しているのだろうが、あれこれ話を聞いていると、一つ疑問がある。汗をかくと塩分も抜けるからスポーツドリンクなどで塩分やミネラルを補給すべきという。即ち、汗をかけばかくほど体内から塩分などが失われるという説明だが、一方で、汗は、最初は塩分を含んでいる濃い汗がでるが、それは最初だけで、その後は殆どが水分。だから、水分補給は水で十分。塩分を意識して摂ると摂りすぎてしまうというのだ。
私の経験では後者のほうが正しいように感じているが、最近、大汗かくときは塩をなめるようにしている。そうすると怠くならない。一体どっちが正しいのか? 私は水を飲むが欲すれば塩をなめる。過去の轍を踏まず、体が欲するならそれに任せようと思う。果たして、間違っているのだろうか。
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