小笠原出張②

*風のメルマガ「つむじかぜ」691号より転載

今から50年前の1968年6月26日に小笠原諸島は日本に復帰した。返還当初から空港建設の要望が島民からは出ていたが、いまだ空港はできていない。島へ行くには、今でも、小笠原丸(11,000トン)で竹芝桟橋から24時間揺られて行かなければならない。

しかも、毎日運航されているわけではない。父島・二見港に着岸した小笠原丸は、そのまま停泊し4日後に竹芝桟橋へと出航する。1航海が4日間。2航海なら12日間を要する。だから最低でも6日間の日程しか組めない。

私は、そんなに不便だとは思わないが、日本人の国内旅行の平均日数からすると特異な世界であろう。そのせいか年間の観光客数は約20,000人。不思議と弊社が扱うネパールやモンゴルと同程度である。

今回、小笠原村役場の方に空港問題についてお話を伺う機会を得た。年に何度も内地と行き来する島民にとっては空港建設は悲願である。特に医療問題は深刻で、現在は出産もこの島ではできない。生命に関わる緊急の場合のみ自衛隊機が硫黄島経由で内地まで搬送してくれる。それでも内地の病院収容までには9時間以上かかる。「空港をつくって観光客を呼ぼうなんてこれっぽっちも考えていません。島民の足として必要なんです。6~7人乗りでもいいから飛んでほしいんです」。そう村役場の方は切々と訴えておられた。

しかし、一方で現状では航空法等の規制が様々に絡み困難だらけだとも説明されていた。1968年の返還当初ならいざ知らず、世界自然遺産にもなっている小笠原は、自然を守りながら空港をつくらなければならない。否、自然を守ることはもはや当然のことであり、自然を破壊してまで空港を作ろうなどと島民は考えていない。

現在、一番有力な候補地は、父島にある日本陸軍の空港跡地だが、内地から1,000kmも離れた小笠原まで飛べる飛行機で滑走路が1,200m程度で済む飛行機は世界には殆どなく、且つ、1,200mの滑走路を確保するとなると、法の規定に沿った離発着のための空路を確保するためには、父島の山を相当数削らなくてはならない。これは本末転倒である。だから、何とか削らないで済む方法を考えているが道は遠い。

観光業者の立場からすると航空路の開設は歓迎すべきことかもしれないが、私を含め小笠原をこよなく愛する人たちは、島全体を大きく変貌させ、住みたいとは思わないような島になってしまうのではないかと心配している。ただ、一方で島民の方々の悲願だといわれたら、それを否定してまで部外者があれこれいえることでもない。

いずれにしても、小笠原に住む人々の生活を第一義に考え、かつ自然を守っていける持続可能開発でなければならない。もちろん、それを選び取るのは島民の方々である。小笠原の人たちは、きっとよき方向を選んでくれると私は思う。次回は、もっとゆっくりのんびり最低でも2航海は滞在したいものだ。


★弊社代表取締役原優二の「風の向くまま、気の向くまま」は弊社メールマガジン「つむじかぜ」にて好評連載中です。


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