リニア見学

*風のメルマガ「つむじかぜ」701号より転載

先頭車両の長い鼻の上部に窓が一切ない。リニアモーターカーには運転手がいないのだ。すべては自動運転。現在の新幹線より車幅が狭く、2列・2列の座席配置となる。最大車両数は16両が予定され、約1,000人を一度に運ぶことができるそうだ。2027年には品川・名古屋間が営業開始、その10年後には大阪まで繋がる。

先週、トラベル懇話会の国内研修で、山梨の都留市にある「リニア見学センター」を訪れたが、私は初めてだったので驚くことばかりであった。

時速500kmといわれても実感が沸かなかった。計算すると138.8m/秒ということになる。走る先頭車両を写真に収めようと、カメラを構えて準備し、来た瞬間にシャッターを押しても、後ろの車両しか写らなかった。見学者の中には、車体が全く写らなかったという人までいた。動画で撮れば大丈夫とは言われたが、あまりの速さに舌を巻いた。

もう一つ驚いたことは、磁石は車体の下に付いて地上の磁石と反発しあって走るものとばかり思っていたら、磁石は、車体の両横に付いているということだ。マイナス269度の液体ヘリウムの中で超伝導現象を起こして強い磁力を発生させ、始点から終点まで走路を挟む壁のように両脇に取り付けられた高さ1mほどの磁石と反発・吸引の両方を繰り返して走るのだそうだ。

この超伝導式リニアだと、なんと地上から10cmも浮き上がるので安全性が高い。試乗した方に話を聞いたら、走行中の車内は走行音もあまりしないし、殆ど揺れないから意外な感じがするそうだ。ちなみに、抽選で試乗できるそうだが、かなりの倍率で宝くじを買うようなものだ。

調べてみると、日本における弾丸列車計画は1939年まで遡る。時速200キロ、東京から下関を経て海底トンネルで朝鮮半島の釜山につなげ満州、北京へと続くスーパー国際列車構想であった。完成は昭和29年と予定され、新丹那トンネルなどの工事が行われたが戦況の悪化で中止された。しかし、その計画が戦後、新幹線構想に繋がった。

1962年、新幹線が走る2年前からリニアの構想が始まったが、今に至り、さらに9年経たないと実際には走らない。なんと長い準備期間か。日本人のモノづくりのへの情熱と底力のようなものを感じ嬉しくなった。ただ、リニアを運転してみたいとあこがれる少年たちはがっかりするだろうなと寂しく感じた。中央制御室でコントロールする方がいいのかもしれないが、、、


★弊社代表取締役原優二の「風の向くまま、気の向くまま」は弊社メールマガジン「つむじかぜ」にて好評連載中です。


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