*風のメルマガ「つむじかぜ」717号より転載
モーツァルトの生家は、ザルツブルクのど真ん中、旧市街地のゲトライデガッセというメイン通りにある。とはいってもザルツブルクは人口15万人ほどの田舎の小都市だから、そんなに大きな繁華街ではない。人口では、30年ほど前に私が住んでいた長野県丸子町の隣町・上田市とほぼ同じでだから大体想像がつく。ちょっと歩けば町の隅々まで分かってしまうほどの広さだろう。
モーツァルトの生家は、ホーエンザルツブルク城と並んで、ザルツブルクを訪れる人なら必ず立ち寄る場所である。狭いアパートのような建物だが、いくつかの部屋に自筆の楽譜や幼少期に使ったバイオリンなどが展示されている。廊下も狭く部屋も決して広いとは言えない。1756年に生まれ7年間しかモーツァルトはここに住んでいなかったそうだが、それが今、観光名所となりザルツブルクのシンボルになっている。いやはや大変な財産である。
いうまでもないがザルツブルクは綺麗な街である。ホーエンザルツブルク城にも行ったが、眼下に見下ろす街の美しさには、ついうっとりしてしまう。景観を守るために努力していることもよくわかる。マクドナルドの看板は20cm四方程度で目立たない字でMのあのロゴが書いてあるだけだ。そもそも街に大きくて下品な看板などない。
それに比べ、日本の田舎のバイパスは、どこへ行っても全国チェーンの看板が立ち並び、景観も何もあったものではない。日本は、ほんの一部を除いて古いものはどんどん消えていく。実に寂しい話である。木の文化だから仕方ないということではなかろう。
こんなことは、何もザルツブルクに限ったことではないし、ヨーロッパでは普通のことなのかもしれない。今更、何を言っているのと嗤われてしまいそうだ。しかし、日本には日本流のやり方があってしかるべきである。まずは、電柱を地下に埋め看板を規制すれば、それだけでも全く違う。
そういえば小池都知事が、電柱の地下化を掲げていたように記憶している。あれは、どうなっているのだろうか。汚さが連鎖するように、美しさもまた連鎖する。まずは、東京からである。
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