*風のメルマガ「つむじかぜ」727号より転載
「え? またか」一昨日の地震の報を聞いてついため息が出た。親戚が柏崎の原発の近くにある。津波も来ると聞いて一挙に心配が増幅した。
液状化現象が日本で初めて大きく取り上げられた1964年の新潟地震の記憶はほとんどないが、2004年の新潟県中越地震、2007年の新潟県中越沖地震、2011年の長野県北部地震と、私が記憶するだけでも、新潟県はたびたび大きな地震に見舞われてきた。特に2011年の長野県北部地震では、法事で叔母と義妹が柏崎に帰っており連絡が取れなくなって慌てた。今回も、東京からは電話がつながらなくなったが、向こうから電話が来て安堵した。実は、神戸にも親戚があり、阪神淡路大震災では人的被害はなかったものの、親戚の家が被災し、何年も避難所暮らしを余儀なくされている。
先週の大河ドラマ「いだてん」で、関東大震災の様子が流れた。浅草の凌雲閣は8階から上が崩れ、東京の街が2日間の火災で焼け野原になったという。昼の11時58分に起きたこの地震は、家事の火を街を焼く大きな炎に変えてしまった。
今回の地震は、6強とかなりの揺れであったにもかかわらず、幸いにも大きな被害には至らなかった。いくら科学技術が進歩し経済が発展しても、いまだに人間には地震を制御することはできない。否、これからもできそうにない。
地震だけではない。梅雨のこの時期、豪雨で大きな被害がこの数年目立つようになった。豪雨、台風も到底制御などできない。ただただ危険を避けるのみである。しかし、家の裏に山があるからといってそう簡単にその住環境を変えることなどできない。やはり、いち早く逃げるしかない。
今回も、ある地区の住民は、避難勧告が出る前に即避難した。1964年の新潟地震の経験がそうさせたという。日本海側で起きる地震は、震源地が海岸から近く津波があっという間に襲ってくるのだそうだ。まだ、大きな余震がくる可能性があり警戒が必要だと繰り返し報じられている。何もないことを祈るばかりである。
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