*風のメルマガ「つむじかぜ」741号より転載
高畑勲展を観に行った。学生時代に「風の谷のナウシカ」を観たが、知人の家でビデオを鑑賞に付き合わされてのことだった。こんなアニメがあるのかと強烈な印象がのこり宮崎駿の存在を知ったが、プロデューサーの高畑勲の名前は憶えなかった。
そんなわけで、1985年にスタジオジブリができてからの宮崎駿作品は結構観ているが、高畑勲の初の長編演出(監督)となった「太陽の王子 ホルスの大冒険」(1968年)、「アルプスの少女ハイジ」(1974年)、「赤毛のアン」(1979年)、「じゃりン子チエ」(1981年)、「セロ弾きのゴーシュ」(1982年)などが、高畑勲の作品(演出または監督等)などとはまったく知らなかった。「火垂るの墓」(1988年)は何度か観たのでかろうじて知ってはいたが、高畑勲を強く意識したことはなかった。
「風の谷のナウシカ」は実は制作当時、名だたるアニメ制作会社では引き受けてくれるところがまったくなく、宮崎駿と高畑勲の東映動画時代の同僚・原徹が経営していた「トップクラフト」という会社にようやく引き受けてもらったそうだ。何故なら、もうこの当時、二人は業界ではすでに有名になっていたが、“二人と仕事したら会社がおかしくなる。作品が完成した後はぺんぺん草も生えない“とまで酷評されていたからだ。
徹夜続きの最悪な労働環境に嫌気がさしたのではなく、二人それぞれの質を求めるあまりの要求の厳しさは、妥協を許さなかったので、一作品作るとスタッフの人間関係がズタズタになってしまうためだったといわれている。事実、トップクラフトは風の谷のナウシカ完成後、殆どのスタッフが同社を去っているから凄まじい。
作品作りの最中は一心不乱になるあまり、人間関係などに気が回らないのだろう。芸術家なら当然だが、アニメーションは、個ではなくチームでしかできない。それ自体が矛盾を内包していたといえよう。
学生の時、時間つぶしに入った池袋の(旧)文芸坐で「柳川掘割物語」を観たことがある。福岡県の柳川市で、街のシンボルである掘割が、近代化の波に押されて埋め立てられようとするのを、市民の力で阻止し掘割を生かしていく話である。私が観た映画の中ではベスト3に入る。今回、高畑勲展に行って高畑勲監督作品だったことを初めて知った。アニメーションではない。実写のドキュメンタリーである。なるほどと納得した。
高畑勲の作品には哲学があるといわれる。「柳川掘割物語」は、そのことをよく表している。マンガとアニメーションの境目は哲学かもしれない。「ホーホケキョ となりの山田君」のDVDを注文した。これも高畑勲監督作品。敢えて、他人の内面ではなく外面を描く作品である。考えることに食傷気味になったら、こういう作品の方が、素直に受け入れられるかもしれない。楽しみである。
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