第13回 ザンスカール人に聞くザンスカールの魅力

ザンスカールへ行って来て、その魅力に惹かれた。前回、前々回のブログで、その印象について対談形式で載せた。今回は、ザンスカールのことを知らない人のために、このブログで最初に紹介したザンスカール出身の日本語ガイドのスタンジン・ワンチュク君に、改めてザンスカールについて聞いてみた。

スタンジン君(スタンジン君)

私 ザンスカールについて紹介してください。まず、名前の由来から。

スタンジン君(以下ス) ザンスカールでは、ザンスカールのことをザンカルと発音します。ザンは銅を、カルは白を意味します。ザンカルとは、白い銅のことで、ルンナク地区で銅が産出するのでこの名前がついたそうです。

私 ザンスカールの位置を教えてください。

ス ヒマラヤ山脈とインダス河流域のラダック地方の南にあるザンスカール山脈にはさまれた地域のうち、ペンジ・ラ峠より東にある地域です。

ペンジ・ラ峠(ペンジ・ラ峠)

行政区域としては、ザンスカール河の支流であるオマチュ河の近くにあるニェルツェ村でラダック地区との境があります。南東の地域の境界は、マナリ方面に行く交易ルート上のカルギャク村がヒマチャル・プラデシュ州との境になっています。

<参考>ザンスカール地図

ザンスカールの中心地はパドゥムの町です。

パドゥム旧王宮と旧地区(パドゥム旧王宮と旧地区)

パドゥムの西には、ペンジ・ラ峠に水源があるストド河が流れていて、この流域をストド地区と言います。パドゥムの南東には、サルチュに水源があるツェラプ河とルンナク河が流れていてこの地域はルンナク地区と言います。ストド河とルンナク河は、パドゥム付近で合流し、ザンスカール河となり、北上し、ニェモの付近でインダス河に合流します。パドゥムから北のザンスカール河流域をシャム地区と言います。

私 ザンスカールの人口、住民構成や、宗派は?

元気な小学生(元気な小学生)

ス 人口は、2万人近くいます。
ルンナク地区の住民の一部は、マナリ方面から移住してきたモン族系(注1)の人であると聞いています。パドゥムとザンラには、チベットのランダルマ王(注2)の子孫のキデ・ニマゴンから始まる王家が続いています。住民の95%が仏教徒で、お寺は、チベット仏教のゲルク派とドゥクパ・カギュ派が主で、数人のニンマ派の行者の尼さんがいます。残りの5%はイスラム教徒で、パドゥムの町にだけ住んでいます。

(注1)チベット人から見てインド方面の人々を指す。
(注2)9世紀に登場したチベット王で仏教を弾圧したため暗殺され王家は崩壊。6世紀末にチベット全土を初めて統一したいわゆる「吐蕃王国」の最後の王。

私 ラダックとの違いは?

ス まず、第一にあげられるのは、冬の厳しさですね。最低気温はマイナス35度にまで下がります。そのため、ザンスカールの冬服のウール生地は、ラダックのものより厚くできています。
ザンスカールは、二つの大山脈に挟まれていて、ザンスカールと他の地域を結ぶルート上にあるすべての峠が8ヶ月近くも雪で閉ざされるので、陸の孤島となります。ただ、昔からザンスカール河が硬く凍る期間の1月初めから2月半ばまでの間、「チャダル」と呼ばれている凍れる河の上を歩く交易の習慣がありました。今では、厳冬期のトレッキングとして欧米人に人気です。

私 欧米か!

ス いまでは、冬期間に限り、パドゥムとカリギルを往復する軍用ヘリコプターが週に一度飛んでいます。15人乗りで、一人あたりの片道代金は1000ルピーです。

私 冬の生活は、厳しそうですね。村人は、どんなことをして暮らすのですか?

ス 農作業がないので年配の者は、男女ともに、機織をしたり、服を縫ったり、帽子や毛糸の服を編んだり、布靴を作ったりします。女性だけが、羊毛から毛糸をつむぎます。

ザンスカールの民族衣装(ザンスカールの民族衣装)

手作業をしていないときには、お経、特に大般若経を読んだり、真言を唱えたりしています。ザンスカールでは、大半の年配者がチベット文字で書かれた経典を読むことができます。文字を読めない人でもお経の長文を暗記していて、長時間途切れることなく唱えることができます。

昔から、「サンカル・チュ・ユル」。「ザンスカールは、宗教の里」と呼ばれるくらい、ザンスカール人は信仰熱心で有名です。

マニ車を回す(マニ車を回す)

私 冬の間、子供たちは、何して遊んでいますか?

ス 子供たちは、プラスチックの太い水道パイプの廃材を利用して手製のスキーを作り、スキーをして遊んでいます。冬の学校の授業にもスキーがあります。また外国人ツーリストの中には、ザンスカールでスキーをする人もいます。スキー板を持参する人もいれば、パドゥムの店で借りる人もいます。

私 季節の年中行事について教えてください。

ス 太陰暦の正月には、ロサル(新年)があります。正月の数日間(10日から15日くらい)は、親類や知人の家をお互いに訪問し合い、新年の挨拶を交わします。このときチャンというドブロク酒を酌み交わし、歌や踊りで楽しみます。また新年のためのお経も唱えます。この時期にチャダル・トレックで来た外国人はラッキーですね。

夏には、各村で、男性だけですがアーチェリーを楽しみます。

マアーチェリー競技(アーチェリー競技)

パドゥムでは、競馬も行われます。

私 この夏は、サニ寺でサニ・ナロ・ナスジョル祭りを見ましたが。

ス 各寺が、祭事を行います。有名な祭りはほかに、トンデ・グストルとカルシャ・グストルです。冬には、バルダン・ゲツァが行われます。

私 通過儀礼は?

ス 結婚式は、盛大です。いまでは、ラダック、特にレーの結婚式は、1晩限りのパーティで終わりますが、ザンスカールでは、昔ながらの風習を守って一週間くらい続きます。

私 どのようなことをしますか?

ス 初日は、花婿の親族や知人で構成されたグループが、馬に乗り、花嫁の家に行き、歌を歌ったりして、花嫁の家族の合意を得て花嫁を馬に乗せて、花婿が待つ家に連れて行きます。そこで、花嫁は、花婿の両親にカタと食品などの贈り物を贈呈します。翌日は、新郎新婦たちに、贈り物を捧げるパーティがあります。とくに近い親戚たちは、高価な贈り物をして、どのような贈り物を贈ったか大声で参加者一同に発表します。その後、飲めや歌えの宴会が長いときは一週間も続きます。

私 他には、どんな儀礼がありますか?

ス 赤ん坊が生まれてから7日目に、親戚や知人が尋ねてきて赤子の無事な成長を祝います。また一ヶ月後、両親は、村の占い師であるオンポに暦を見てもらい子供の将来を祈ります。その後で、ダガンというお祝いをし、村人が飲めや歌えの宴会をします。

村の姉弟(村の姉弟)

ザンスカールは、お話しましたように、交通が不便なため、物質的、経済的な発展はラダックよりも遅れていますが、そのおかげで伝統文化は、まだまだたくさん残っていて、精神的・霊的にも豊かな生活を送っています。

私 短い滞在でしたが、私たちもそう感じました。

ス 私の家に泊まることができますので、ぜひ、泊まりに来てください。そして、一日だけでもいいから、ザンスカールの村人の生活をのぞいてください。

スタンジン君の母(スタンジン君の母)

スタンジン君のご両親お孫さん(スタンジン君のご両親お孫さん)