文●中山茂大 写真●坂口克
ラダック名家のお屋敷へ
ラダックは、インド、中国、パキスタンの国境に位置する、標高3000m 以上の山岳地帯だ。
一年の半分は雪に閉ざされ、下界との交通もままならない。そのおかげで、伝統的なチベット文化が、現代でも深く残っているといわれる。
今回私たちが訪ねたのは、ラダックの中心都市レーから車で1時間ほえどのニンム村。日本語ガイドのスタンジン・ワンチュクさんの叔母の家だ。ワンチュクさんは、ラダックの奥地ザンスカールの王族の末裔で、お父さんは州議会議員を務める。現国王の親戚筋にもあたる名家の出身だ。だから家も古くていかめしい。ワンチュクさんでさえ入ったことのない部屋があるというくらいの、まるで迷路のような大きな家だった。
ワンチュクさんの家族が、最初に私たちに投げかけた言葉。それは、「アタマ!」
ほお。ラダックにも「アタマ」という言葉があるのか。チベットには舌を出して挨拶するという、ちょっと変わった習慣があるそうだが、もしかしたら「アタマ」にも、「ごきげんよう」とか「こんにちわ」みたいな意味があるのかもしれない。などと勝手な憶測をしていたら案の定、違った。
「アタマ」というのは、文字通りの「頭(あたま)」だった。「え? なに?」と言って振り返った瞬間、側頭部に激しい衝撃を受けた。目の前が真っ暗になるような激痛に、頭を抱えてうずくまる。
「アタマ!」
というのは、「アタマに気をつけろ」の意味だったのである。
この家に滞在した一週間の間に、戸口に「アタマ」をぶつけたこと23 回。そのうち火花が散るほど激しく強打したこと3回。ここの家人が「アタマ」という日本語を最初に覚えたのは、そういう日本人の気の毒な姿を何度も目撃しているからに違いない。
実際チベット建築では、戸口がずいぶん小さく造られている。敷居も高く(「入りづらい」という意味ではない)、大股にまたがないといけない。だから戸口を通るときには、大きく屈みながら、しかも大股で敷居をまたぐという、かなり窮屈な姿勢を強いられることになる。この姿勢は、たとえば夜間に小用に立ったときなど辛い。あるいは急いでいるとき。「アタマ」のことなどまったく失念しており、数秒後には、戸口の前で頭を抱えてうずくまっていることになる。
戸口が小さい理由は、主に暖房の意味が大きいようだ。鴨居が低いのは暖かい空気を逃さないためで、敷居が高いのは冷たい外気を遮断するための工夫だ。戸口は小さければ小さいほど熱効率がいいのであり、そのぶん私たち外国人は「アタマ!」に気をつけねばならないことになる。
「ラダック語」の不思議な親近感
「アタマ」は日本語だったが、不思議なことにラダックには、なんとなく日本語と近しい単語が多いのである。
チベットで好んでよく飲まれる「バター茶」。お湯と牛乳とお茶っ葉と、塩、バターを加えて混ぜた飲み物である。ラダック人は「グルグル・チャ」と呼ぶ。細長い筒でグルグルかき混ぜるから「グルグル茶」というのだそうだ。
チベットでは、有名な「ツァンパ」(大麦を煎って挽いたもの)を主食にしているが、グルグル・チャとこねて食べたり、いろんなカタチにして汁に入れたりする。夕食のとき、私たちがツァンパに手を伸ばすと、お母さんが言った。「ドンドン!」
ああそうか。「ドンドン食え」ということか。
ここの家族はホントに日本語をよく知ってるなあ。感心していたら違った。
「ドンドン」は「召し上がれ」の意味だったのだ。
さらに食べていると、お母さんが言う。
「全部?」
「は?」
ああそうか。「全部食ったら、おかわりがあるから、遠慮なく言え」と。そういう意味か。やはりここの家の人は日本語をよく知っている。違った。
「ゼンブ?」は「おいしいか?」の意味だった。
夕食が終わって、自家製どぶろく「チャン」を飲む。お父さんが言う。
「くれ」
さっき注いだばかりじゃないか。もう飲んじゃったのか?(確かにお父さんは飲んべえだった)それにしてもホントによく日本語を……。違うのである。
「クレ」は「ゆっくり」の意味なのだ。
「高山病が心配だから、ゆっくり飲め」と、そういう意味だった。やたらと日本語とのニアミスが多いラダック語なのである。
ゴミがない ムダにしない
近しいのは言葉だけではない。
顔も似ている。野良仕事で日焼けした、真っ黒なラダック人の顔は、そのまま「日本のお百姓さん」でも通用しそうだ。仏教の教えによって、肉魚をほとんど食べない野菜中心の食生活であることも、かつての日本と近い。
そして最後に、モノを大切にするのも似ている。
ラダックにはゴミがない。あらゆるモノが再利用されるから、ゴミが出ないのだ。牛糞はもちろん燃料になり、人糞は堆肥になる。特産のアンズの種は、ひとつひとつ殻を割り、油を搾る。ポプラの木は防風林であり、材木となる。私たちが持参した「赤い○つね」と「緑の○ぬき」は、「食器として使うから捨てないでくれ」と言われた。彼らは決して貧乏ではない。だって、ザンスカールの王族の末裔なんだから。それでも徹底した倹約家なのである。
ラダックという厳しい土地だからこそ、あらゆるモノをムダにしないことが、彼らの生活の知恵として根付いたに違いない。「もったいない」という言葉は、英語にはないそうだ。ラダックにあるかどうか聞きそびれてしまったが、それに近い意識は間違いなくある。
かつて日本のお百姓さんも、「捨てるものがない」と言われるくらいに「イネ」を利用していた。江戸はゴミひとつ落ちていない、美しい町だったそうだ。それがいつの間にか使い捨ての時代になってしまい、驚くほどたくさんのゴミが毎日排出される。いつの間にか私たちは、「もったいない」を忘れてしまった。いろいろな意味で日本と似ているけれど、その生活信条は、残念ながらラダックの方が尊いと言わねばならない。
戦前の日本人が当然のように考えていた「もったいない」が、ラダックには今も残っている。
(「風通信」34号より転載)
中山 茂大(なかやま・しげお) 1969 年北海道生まれ。大学在学中、南米アンデス6,000 キロをロバとともに縦断。「ロバと歩いた南米アンデス紀行」を著わす。卒業後、マンガ編集者を経てフリーの旅行作家に。2005 年から愛妻とともに世界の民泊の旅へ出発。「ロバ中山の旅日記」をウェブ上に発表。 |
阪口 克(さかぐち・かつみ) 1972 年奈良県生まれ。2年間の広告写真スタジオ勤務を経て、オーストラリアへ渡り、オーストラリア大陸1 万2000km を自転車で一周。帰国後フリーカメラマンに。中山茂大とのコンビで雑誌『Memo 男の部屋』(ワールド・フオト・プレス)に「世界民泊紀行」を連載。(社)日本広告写真家協会会員。 |