我々は古刹サキャ寺をあとにする。
要塞かと思わせるような、その重厚な城砦。
これから我々を待っているのは、天然の城砦。 ヒマラヤ。 そして、チョモランマ。
(標高5,200mのラクパ・ラ)
快晴が続く。 青、青、青。
チベットの空に雲があったことなど忘れてしまうくらいの、青、青、青。
ネパールの国境まで続く中尼公路は、所々ぼこぼこ穴のあいたアスファルトではあるが、概ね快適な道路である。 その中尼公路の最高地点であるラクパ・ラ(「ラ」は峠の意味)にさしかかる。 チベット文化圏の峠には例によって必ずタルチョ(五色の祈りの旗)がたなびいているが、それらは今まで安全に旅行できたことに感謝しながら、これからの旅の無事を仏様に祈るために掲げられる。
その峠は標高5,200メートル。 峠のそばに掲げられたプロパガンダ、「経済は振興させねばならない、(そのためには)教育を先行させねばならない。」 中国では珍しくない光景で、僕もいろんなプロパガンダをこれまで見てきたが、こんな気持ちのいい、天空に近いところに、世俗のプロパガンダを掲げるセンスやエネルギーがどこから生じてくるのか改めて不思議な気持ちになってくる。
(ラクパ・ラに立てかけられたプロパガンダ)
サキャを発ってから、たった数時間で我々はオールドティンリーに着く。 そして我々が泊まったのは、街の中心地から数キロほど離れた、温泉宿!
チベットにも温泉があるとは意外に思われる方も多いと思うが、ラサ周辺には結構あちこちに秘湯があるのである。 温泉の多くは、チベット人にとって聖地になっていることが多く、例によって例のごとく、ニンマ派の祖師グルリンポチェがカータンガ(骸骨の突き刺さった魔の杖)を大地に突き刺すと、温泉が出てきたとかの話が流布している。 オールドティンリーそばにある温泉も、グルリンポチェの霊験あらたかな泉として有名で、我々一行も聖なる水でこれからの旅を祝福してもらわんとする。
(オールドティンリーの露天温泉)
ここで我々日本人には二つの障壁がある。
まず、標高の高さ。 富士山よりも数百〜一千メートルもの高いところにある温泉に入るのは、自殺行為といえる。 英語で言うところの“recipe for disaster” で、ただでさえ心臓がフル稼動で我々の体を高度順応させてくれているところに、さらに心臓に負担をかけるからである。 聖地で昇天できるのは、幸せなことかもしれないが、我々にはホーリー・グレート・ジャーニーが待ち構えているので、お客さんには湯船につかるのは我慢していただく。
もう一つの障壁とは、温泉の清潔度である。 温泉は霊験あらたか。 だが、温泉に入りに来るチベタンの中には、数ヶ月以上もお風呂に入っていない遊牧民などは珍しくない。 それも下着(のような物)を着けたまま入るのである。 霊験あらたかな泉なので、夜に入れば見えないから大丈夫!などと自分を誤魔化してでも入りたくなるが、見えないからこそ水面に浮かんでいる何かの想像が膨らむものである。
(室内温泉。 窓の遠くに見える白いものは、チョモランマ)
だが、我々はラッキーだった。
我々が泊まった別棟には、プライベートな温泉スペースがあったのだ!
おまけにそこでは、窓からチョモランマを拝めることができ、なんとも贅沢というか稀有な体験ができる仕掛けになっている。 「チョモランマを拝み」ながら「霊験あらたか温泉」で恍惚に入る。 僕はラサ滞在が長いので、血液中のヘモグロビン濃度が平地人よりかなり増えていることをいいことに、恍惚に浸った時間は二時間近く。 単に湯にのぼせただけなのかもしれないが、この恍惚体験を以って十分グルリンポチェの加持を頂いた(と思うことにした)。
(ろうそくの明かりで温泉に入る。 見えるは僕のセクシー足。)
翌朝、日本から持ってきた、携帯用珈琲メーカー(金魚すくいのようなものに布をかけたもの)で珈琲を作る。 お客さんのKさんも脈拍が落ち着いていらしたので、二人分の珈琲を。 温泉宿の入り口近くから、朝日に照らされた、チョモランマ、そしてチョーユーを拝みながら珈琲をすする。 ああ、なんという悦楽体験であろう。 旅の冒頭で悦楽体験をしすぎたら、運を使い果たしてしまってこれから先大変な旅になってしまうかもしれない、と一瞬思ったが、すぐまた遠方に輝くチョモランマと珈琲の味の悦楽の中に溶け込んでしまった。
つづく
Daisuke Murakami
(左端が標高8,850mのチョモランマ、右端は8,153mのチョーユー。 チョーユーのほうが距離的に近いので、大きく見える。)
11月4日
(ラサの)天気 快晴
(ラサの)気温 5〜14度 (朝・晩は冷えます)
(ラサでの)服装 ジャンパー、コート、長ズボンが一般的です。日焼け対策は必須。 空気も非常に乾燥しています。