シミカルボとは、僕の愛猫の名である。 チベット語の意味は「白い猫」。 何の芸もない、そのままの名前であるが、彼女の白さはラサの太陽光の恵みを受けて、まさに輝くばかりであった。
そのシミカルボが、先日、中毒を起こして、突然亡くなった。
前日まで、普通に暮らしていたはずで、今も普通に暮らしているはずのシミカルボは、鼠を食べて、あっけなく(ほんとうにあっけなく)死んだ。 苦しみながら。
(シミカルボ【左】と娘のシロ【右】 2008年9月21日 シロの誕生についてはこちら)
前日には、自分のテリトリーに侵入してくる犬に飛びついては噛み付いていた。 また、低空飛行するスズメをジャンプしては捕まえ、そのまま食するほどの獰猛さ。 そして、昼間は子猫に乳を与えて賢明な母ぶりを発揮しながらも、夜になると恋人探しに行くようなリビドー(欲動)の持ち主。 その一方、かなり複雑な意識を持っていたようで、こちら側(人間側)の微妙な雰囲気や気持ちの差異を、かなり正確に読み取り、自分を巧みに表象する術にも長けていた。(僕は、猫語も猫のジェスチャーにも暗いが、「どこにどのように座るか」でかなりのことが分かることを発見した。 そして、それをシミカルボは知っていた。) ノラ出身のシミカルボはむきだしの野生の中に生きながら、子供を産んでからは独特の妖艶さを漂わせるようになり、時に人間的な知性や表情を覗かせる、とても不思議な猫であった。
こちらの地元人は、鼠が家に侵入しないよう、毒入りの食べ物を家の要所要所に置くという。 毒はもちろん、小動物にとっては致死性のあるものだ。 毒を食べた鼠は、その家には一切近づかなくなり、「毒を盛らない」家に漂着するらしい。 僕が住んでいるホテルのような。
シミカルボが食べてしまったのは、そういう毒を食べた鼠であった。 殺されたようにも思える一方、僕が病院に連れて行くのが遅れたせいもあろう。 言葉が出ない。
亡くなった翌日、僕はホテルの支配人のロデンと一緒に、彼女を埋葬しに行った。
チベットの習慣に従っての「土葬」である。
チベットでは、鳥葬が一般的である。 高僧が亡くなった時は火葬が多いが、ダライ・ラマ、パンチェン・ラマなど特別に崇められている高僧の場合は、ミイラにして霊堂に納めたりする。 また、赤子や動物が亡くなった時は、「水葬」といって、近くの川に遺体を流す習慣もある。 では、土葬はどういう時なのか。 それは、伝染病や毒で亡くなった生き物全て(人間を含めて)に対して行われる儀式なのである。 他の動物たちに食されないために、「毒の連鎖」(=死の連鎖)を断ち切るために行われる、特別な措置なのである。
昨日は、ラサ近郊の尼僧院に行って、シミカルボの来世のために祈祷をしてもらった。
残されたシミカルボの娘シロは、行き場を失ったように、夜は中庭にでることが多くなった。 お母さんと一緒に遊んだ記憶に追い立てられるように。 それは昼間なのに。
(シミカルボをスカーフに包んで、ホテル中庭の木のそばに。 生前、この木によくよじ登っていた。)
Daisuke Murakami
10月3日
(ラサの)天気 くもり
(ラサの)気温 7〜20度 (昨晩、ラサでは珍しく長雨が降りました。そのせいか、今日はかなり涼しいです。)
(ラサでの)服装 シャツと長ズボン。 夜はフリース、セーターなどもよい。 日焼け対策は必須。 空気は非常に乾燥しています。 雨具も準備されるとよいでしょう。