龍神が齎(もたら)す病 [LHASA・TIBET]

先日、僕が泊まっているホテルの中庭で、セラ寺のお坊さんを招いて龍神の祈祷が行われた。 土中に棲む龍神を怒らせてしまったためである。

ホテルとはいっても、昔ながらのチベットの建物を増改築してできたもので、いわばチベットの高級民宿といったものにイメージ的には近いのではないか。 あまりビジネスライクでなく、従業員も仕事はちゃんとするが、お気楽なものである。 住み込みで働いているのだが、歌は唄うは、(お客さんがいないときには)中庭の芝生で昼寝するやら、時には自分の子供を連れてくるやら、自分の家のように住んでいるといってもいい。

(ネチュン寺の壁画に描かれた龍神(ナーガ) — 下半身は龍、上半身は女性の体)

(ネチュン寺の壁画に描かれた龍神(ナーガ) — 下半身は龍、上半身は女性の体)


その従業員のうち二人の女性がある皮膚病に罹ってしまった。 人民病院に行っても原因は分からず、お坊さんを呼んで見てもらったところ、やはりというかお決まりというか、龍病(ルネー)であると診断された。 おまけに浮遊霊までいるようで、また別のある従業員がお酒を飲んだときには必ずといっていいほど憑依するようなのである。
 
お坊さんがいうには、どうやら昔、僕が住んでいる民宿の中庭には井戸があり、今はもう埋められているものの、龍神(ナーガ)が今でも棲んでいるという。 大声を出したり、自分の着た服をあちこち置いたり、その他もろもろ龍神が嫌がること、例えば、ゴミを捨てたり、小便をしたり、幼児の遊び場にしてしまったりすると、龍神の機嫌をひどく損ねてしまうのだ。 話はちょっとそれるが、十年ほど前、ポタラ裏側の道には、「此処には龍神が棲んでおる故、大小便をするべからず」といった古風なチベット語で書かれた小さな建て看板があちこちにあったのを思い出す。 龍神は、水気の多いところに棲んでおり、井戸や河、池などがその主な住処となる。 ご存知の方も多いかと思われるが、ポタラ裏は池になっており、この池の中央にはルカン(龍の館)と呼ばれるお宮があるのである。

上の二人の女の子は、お坊さん曰く、大声で話したり、自分の着た服を昔あった井戸の上に被せたりしたことが原因で、龍病を患ってしまったようだ。 僕はもっとお坊さんからいろいろお話を伺いたかったが、そのときの気分もあり、あまり祈祷の邪魔にならないほうがよいのではと思い、遠くから眺めるだけにした。 

(お坊さんが祈祷をしている間、正装を着て中庭でお香を焚く、龍病の女性)

(お坊さんが祈祷をしている間、正装を着て中庭でお香を焚く、龍病の女性)


無事祈祷が終わり、中庭の空間の気が晴れたようになった。 上の二人の女の子も、お酒を飲むと憑依されてしまう女性も、「よかった、よかった」と言っている。 祈祷中、聖水を民宿のスタッフが僕の部屋に撒きに来たぐらいで、僕はほとんど窓から見ていただけだったが、僕の気も晴れたようになったのは気のせいだけであろうか。

* * *

ところで、龍病(ルネー)はチベットでは決して珍しいものではない。 上の二人の女の子は症状は軽いほうで、もっと酷いルネーを僕は何度か見たことがある。 そのうちのひとつは、八年ほど前僕がチベット大学の留学生寮に住んでいるとき、寮内で目撃、否、「起きた」ものであった。

その人は、ちょっとしたことがきっかけで、部屋の中にずっと籠ってしまうようになっていた。 いつも深く帽子をかぶり、ごく一部の人と交流があるのみで、ほとんど数ヶ月以上の間授業にもでてこなかった。 そしてあるとき、どういうタイミングかは覚えていないが、その人の顔にピンポン球のような大きな出来物が吹き出ているのを、我々は見かけるようになった。 

早く病院に行ったほうがよい、と思った。 が、それと同時に、あまりのその不自然な肉塊加減から、僕は直感的に「これはひょっとしてルネーではないか」と思ったのだが、チベット人の先生方が、それを見る先生方の眼が、僕の推測はあながち当てずっぽうなものではない、ということを物語っていた。

あるイギリス人のつてで、その当時ラサで活動していた「国境なき医師団」の施設に、その人を連れて行くことになり、僕も付き添いで同行した。 そのときのヨーロッパ人医師の診断では、「感染症」ということで、簡単な摘出手術をしてくれたが、その人の普段の生活を近くで見ていた僕にとっては、それだけではないのは確実であるように思われた。

(お坊さんの祈祷とお香で浄化される中庭の空間)

(お坊さんの祈祷とお香で浄化される中庭の空間)


やはり精神的なレベルでの要因なり相互作用が背景にあるのは否定し難く、それは生活から肉体だけを切りはなして診断するような手法では、なかなか捉える事ができず、根本的な治療にならないのではないか、と肉塊から膿と黒血が摘出されるのを眺めながら、そう思ったのであった。

龍病(ルネー)の話にもどると、上の場合を本当にルネーの一種だとすると、何が直接的な原因かよく分からない。 シャーマンなどにおうかがいをたてる以外に、よく分からないであろう。 ただ、なんとなく僕が思うのは、本来流れや静寂が存在すべきところに、それらがなんらかの理由で遮断・攪乱され、澱みができてしまうような精神的・物理的な状況下において、その中心のコアのところにいる生物体に、なんらかの障害がその内側から湧いてくるような気がするのである。

おそらく、そのような障害に抗する術はある。
それはおそらく黒魔術に近いようなもので、処方箋をちゃんと熟知していないと、自分自身をより悪化させてしまう類の「諸刃の剣」的なもので、非常に危険なものであるであろう。

* * *

と、今日は、真面目で不思議でちょっとこわーいお話でしたが、暑い夏にはちょうどいいでしょう(笑)。

Daisuke Murakami

7月26日
(ラサの)天気 曇りときどき晴れ (夜には雨が降るかも)
(ラサの)気温 11〜25度 
(ラサでの)服装 昼間はシャツ、Tシャツなど、半ズボンも可(ただし、お寺の中では、肌の露出は控えてください)。 夜はシャツ、フリースなど。 晴れの日は日差しがとてもきつくなるので、日焼け対策は必須。 空気は非常に乾燥しています。 雨具は必須。