ラサで新疆ウイグル体験! [LHASA・TIBET]

ここ数年、ラサではウイグル料理屋が急速に増えている。 そして、当然ながら客層の大多数はチベット人。

どうやら、物珍しさからというよりも、独特の香辛料の効いたウイグル料理が、辛いもの好きのチベット人若者・中年層の味覚に合っているようである。 僕も何度か行ったことがあるが、非常に美味い。 

(ラサ西郊外にあるウイグル料理屋)

(ラサ西郊外にあるウイグル料理屋)


この間、ラサ西郊外の巡礼路を歩いているときに、偶然あるウイグル料理屋に出くわした。 吸い込まれそうになりながらも、巡礼中ということでその時はかろうじて我慢し、数日前、チベット人の友達とその料理屋に行ってきた。 その名は、「新疆味到」。 「新疆の味、(ついに)到着」程度の意味であろう。 中国語ができる人は分かるように、「新疆味道」の掛詞となっており、なかなか記憶に残りやすいネーミングだ。 それよりも、その門構えがなんとも新疆ウイグルらしく見え、ラサの都市巡礼空間に馴染んだ者から見ると、明らかに異質なオーラを発している。

もちろん、シシケバブを注文。 ビールは自家製のようで、フルーティーな味がなかなか悪くなかった。 料理人もウイグル人のようだ。 店の雰囲気も工夫をこらしている。 しばし、二年前の新疆ウイグル旅行の記憶が蘇る。 「シシケバブ効果」である。

* * *

ウイグルのような場所になぜ惹かれるようになるか、理由はいろいろあろう。 仏教遺跡は言うまでもない。 今度はぜひクムトラ遺跡には行かねば。 あのアジア離れした壁画を一目みたい。 (風の新疆担当、八田さんまたよろしく〜 笑)

ウイグルはおそらくチベットと同じく、都会の中にあっても「くちゃくちゃ度」が高く、まさに新旧の価値観が赤裸々に入り乱れる空間となっている。 前回の日記のコメントを書いてくれたKenくんが指摘するように、ラサは「都会化しているように見えてもまだまだディープなチベット世界が道端のあちこちに充満」しており、ウイグルもまた似たようなことが言えると思う。 イスラム的な空間と現代化のそれがお互いに競合・喰らいあっているような感じで、そしてその中でも、ひょっこりと現れる「懐かしさ(のようなもの)」が微妙な魅力となって旅人を居心地のよい気分にさせてくれているような気がする。

(トルファンの夜市にて)

(トルファンの夜市にて)


「くちゃくちゃ度の高い都市」とは、ようするに有機的な都市のことであり、その中にいる人間の集団が粘菌の如く、それこそ土や木の中からニョキニョキと生成し、生き物さながら自己成長・変化することのできる空間のことを指すといってもよい。 別の角度から言えば、危険を「危険」としてカッコつきで囲んでしまうような都市ではなく、危険を内包し、それをまた自身のエネルギーにしながら、その空間に住む者を危害と魅力で絡み取ってしまうような都市のことである。

翻って思うに、僕は多感な十代を大阪で過ごしたこともあり、ウイグルやチベットのような場所を好むようになってしまっているのではないか。 大阪は、「官」があまり行き届かないような場所が所々に点在し、漫画アニメの『じゃりん子チエ』の世界の断片が、今でこそハイソと言われている北摂にさえ、ちょっと前まであったように思う。

(話はとぶが、Wikipediaの『じゃりん子チエ』のページの登場人物描写は非常に素晴らしく、文句なしに笑える。)

ところで、日本で大活躍のチベット人歌手・ペマヤンチェンさんも「大阪の水」に合ったことが、日本に適応する上でプラスに働いたときいたことがある。 

東京には住んだことがないので分からないが、所によっては大阪以上にくちゃくちゃ度が高いであろう。 ちなみに現代北京の街並みは名古屋的なニオイがする。

ようするに、今回の日記を強引にまとめるとこのようになる。
ラサで食べるウイグル料理は美味しく、僕はまたいつか新疆旅行に行ってみたく、また、「くちゃくちゃ」した(=混沌とした)雰囲気が大好きなみなさんは、ぜひぜひラサに羽を伸ばしに遊びに来てほしい、ということである(笑)。

Daisuke Murakami

8月6日
(ラサの)天気 曇りときどき晴れ (夜には雨が降るかも)
(ラサの)気温 11〜24度 
(ラサでの)服装 昼間はシャツ、Tシャツなど、半ズボンも可(ただし、お寺の中では、肌の露出は控えてください)。 夜はシャツ、フリースなど。 晴れの日は日差しがとてもきつくなるので、日焼け対策は必須。 空気は非常に乾燥しています。 雨具は必須。