ワールドカップ、日本アウェー初勝利!
素晴らしいの一言である。
相手チームとの相性や、試合中の運もかなり働いていたような気がするが、
「勝ちは勝ち」である。 勝負は畢竟、勝つことにしか意味はない。
それもアウェーでの勝利。
弱小チームが「アウェーで勝負」とは、かなりの足かせを喰らうもので、
研究者でいえば例えば、自分の専門以外で専門性の高い論文を書く、
などに相当するのではないか。
すばらしい。
逆境の中、よく勝ってくれたものである。
僕は、住んでいる民宿のロビーでチベット人スタッフたちとビールを飲みながら観戦した。
どうやら日本代表選手の中に、チベット人っぽいのが数人ほどいるようで、
「あいつ、チベット人だ、いや、日本人とのハーフか・・
いやでも生粋のチベット人に違いない!」とか言いながら、
まるでチベット人・日本人の「混成チーム」が闘っているかのような口ぶりである。
日本が勝ったので、まるで「チベット人が勝った」かのような勢いであった。
ちなみに岡田監督は、チベット人には全く見えない、そうである。 僕も100%同感。
* * *
ラサでサッカーという競技が初めて紹介されたのは、二十世紀前半である。
ちょうどその頃はイギリス人官僚がラサに住んでおり、彼らがチベット人たちに教えたのだ。
写真も残っている。↓
集合写真(ネパール人選手もいるよう)
プレー中1(イギリス人も見える)
プレー中2
数年前、これらの写真をラサで紹介した人類学者は、
ラサ史上初めてのこのサッカーチームのことを、「Lhasa United」(ラサ・ユナイティッド)
と親しみを込めて呼んでいた。 もちろん、今のイギリスの名門チーム
「Manchester United」(マンチェスター・ユナイティッド)をもじったものである。
「Lhasa United」発足当時、イギリスの影響を好まない僧院コミュニティの保守層が、
サッカー禁止令を出していたのだが、上の写真は、その発令前か。
「サッカーをするということは、仏陀の頭を蹴るのと同じことである」
などと非難していたのだ。
ワールドカップ観戦を禁止するイスラムの国々があると聞くが、ある意味同じようなノリである。
さて、
上の写真のプレーグランドは、ノルブリンカのある辺りだと思われるが、
当時から半世紀以上経ったころ、
なんとラサで再び、「国際親善試合」が開催されたのだ!
それは、
留学生チーム(Inter-Lhasa) 対 チベット人学生チーム(New-Lhasa-United)
今から八年前―。
僕ら留学生は、夕方になると大学のグラウンドに繰り出し、
筋トレと走り込み、そしてミニゲームをやっていた。
New-Lhasa-Unitedとの親善試合を数週間後に控えていたのだ。
そのための「即席」強化トレーニングである。 それも、「高地」トレーニングである。
高地トレーニングとはいっても、その高地で本番があるので、あまり意味はなかったが(笑)。
メンバーは、サッカーやりたい人間が集まり、国籍はバラバラ。
日本、韓国、アメリカ、コロンビアなど。 女性もいた。
国際色豊か(=インターナショナル)ということで、勝手に「インター・ラサ」と名乗る。
軍隊の訓練の豊富な韓国人の若者の一人が、トレーニングのコーチを担ってくれて、
楽しくもなかなか充実した時間であった。
そして、、
その「歴史的な」試合は、二時間以上行なわれたのだが、
想像して欲しい。
富士山の山頂とほぼ同じ高さで、サッカーをするのである。 酸素不足にもほどがある。
それも疲れ知らずの、遊牧民出身の、肺活量も我々平地人の数倍(!?)はあろうかと思われる、
チベット人の若者相手にである。
ワンプレー・ツープレー激しいプレーが続くと、
「ちっちょっと待て、ハーァァ、ハアーハアァァー、ちょっと、ハァーハアァ・・」
の世界である。
どっちが勝ったかは覚えていないが、とっても楽しかったことだけは、覚えている。
燃焼し尽くした体の中に、なんとも言えない充溢感が漲(みなぎ)っていた。
この試合とともに、もう一つ思い出深いのは、ポタラ宮のお坊さんたちと一戦交えたことである。
彼らはどこでサッカーを覚えたのか全く分からないが、かなりウマかった。
半世紀前のサッカー禁止令のことを思うと、隔世の感である。
ぼこぼこ穴のあいた、雑草もあちこち生えている、「グラウンドもどき」のような場所で
試合をしたのだが、案の定、僕は足首をひどく捻(ねじ)ってしまい、途中戦線離脱。
友達のお坊さんがひとりプレーをやめて、うごめいていた僕のところに駆けつけてくれた。
「どっちに、どんなふうにねじった?」と聞くので、
こんなふうに・・と答えるや否や、彼は何を思ったのか、
全く逆の方向に、その捻挫した足首をねじり始めた。 容赦なく力をこめて。
「ちょっと待ていぃ! なにするんじゃ! オレの足は、そっちには曲がらんぞぉぉ!!!」
激痛に激痛を加えるその拷問は、一分近く続いたか。
どんなに痛かったことか・・・ 半泣きである。
そのあと、その哀れな足首は、まったくの無感状態のようになったが、
その坊さんはマッサージをするように足首を回してはもみほぐし、
「これで、だいじょうぶ」と一言。
ほんまかいやー・・ 余計悪うぅなったんとちゃうか。。
ところが、治るのに数週間はかかると思われたこの捻挫、二日ほどで完治。
チベットの医学か?
チベット医の小川くんに先日会ったときに聞いてみたが、
この外科荒治療は、よく分からないような感じであった。
チベット医学の中でも「規格外」の治療法だったのか。
それともこのお坊さんはマントラ(真言)を足首に垂れていたのかもしれない。
恐るべし、チベット医学である。
*
話は戻って、あと二試合、日本代表、ぜひとも頑張って欲しいと思う。
このところ日本では、「小惑星探査機はやぶさの帰還」、
「南果歩の表舞台復帰」(個人的な思い入れが過ぎるか・・)など、
目の覚めるような「復帰ニュース」が多いので、
ぜひともこの流れに乗って、決勝トーナメントに還ってきて欲しいものである。
八年前のように。
Daisuke Murakami
6月16日(ラサの)天気 晴れ時々曇り
(ラサの)気温 12~26度 (昼間はかなり暑いです!!!)
(ラサでの)服装 昼間はTシャツ、シャツなど。 夜はシャツ、フリースなど。 日焼け対策は必須。 空気は非常に乾燥しています。雨具は持ってきたほうがよいでしょう。