難しそうで簡単、簡単そうで難しいチベット語。
チベット語は、日本語に慣れ親しんでいる者にとって、
親しみやすいと同時に、どこまでいっても疎遠を感じてしまう言語。
そのようなとりとめもない言語につきあって何年か経つ。
その割にたいして上達したとも思えず、
日常生活と、ほどほどの研究に足るほどの、チベット語を操っているだけである。
(昨日の空 その1)
まだチベットにも行ったことがなく、
チベット人にさえまともに会ったことがなかった頃。
二十代も残りあと一週間という、ある日。
言語学専門の高名なN先生から、人類学のフィールドワーク前の「助言」をいただく中で、
志気を削がれるような警告を喰らった。
それは、
「30過ぎて、外国語を勉強しても、ものにならない。」
これからフィールドワークに出て、チベット語という外国語を学ぼうとしている矢先に、
この「聞くべきでなかった」警告。
もちろん、あと一週間で三十歳になります、なんてことは言えない。
僕は押し黙ったまま、この警告が自分の体の中にしっかりと滲み込んでいくのを感じた。
(昨日の空 その2)
まもなく、インド・ダラムサラでチベット語の勉強が始まった。
何も分からない頃、
よく通っていたレストランで働く女の子デキが、目の前のカップや皿を指して、
これは、○X%☆、 これは、★○X、と親切に教えてくれた。
僕は彼女の後、その発音を繰り返すが、彼女はゲラゲラ・ケタケタ笑い転げるだけである。
そんなにオレの発音悪いんかいや、やはり三十になると・・と思ったが、
その場に英語のできる店長のソナムさんがやってきて、
「コイツは、どうしようもない女だ」と一言。
なんと、このデキは、
チベット語の卑猥語彙ひとつひとつを食器に当て、
無垢な日本男が一生懸命あとから発音するのを聞いては、笑い転げていたのである!
おかげで、最初に覚えた言葉が、そんなレパートリーになってしまった。
外国語、最初に覚えた単語は、忘れられないものである。
日本人がチベット語を学ぶとき、失敗して笑われる典型的な話がいくつかある。
チベット語のアルファベットの発音で
日本人にとって一番やっかいなものの一つは、「ラ行」の発音であろう。
例えば、頭脳のことをリクパという。
巻き舌の「リ」で発音せねばならぬのだが、
ここを日本語の「リ」で発音して、「頭がよい」、などと言ってしまえば
チベット人に大笑いされてしまうであろう。
日本語の「リ」で発音するリクパは、なんとリンガ(男根)の意味になってしまうのである。
相手の頭脳を褒めるところが、男根を褒めることになってしまう!(笑)
また、
よく峠などを越えるときに、チベット人たちは、
「キキー、ソソー、ラゲロー!」と、祈りの言葉を放つが、
このラゲローの「ラ」は、実は「ハ」と「ラ」の中間音で、
下手な人が発音すると、「ハゲロー!(禿げろー!)」となり、
禿げるための祈祷の言葉に変わってしまうので、
これまた我々は最大限の注意を払わなければならない。
(昨日の空 その3)
話を戻そう。
チベット語は奥が深い、とよく言われる。
その奥深さを堪能するには、相当の努力がいる。
畢竟、言葉の奥深さは、文化の奥深さに通じるもので、
冒頭のN先生の厳しいお言葉は、ある意味真実である。
受け入れ難い真実であるが故に、その言葉は「助言」となったと言うべきか。
そう簡単には、外側の人間を寄せ付けないのが、外国語であり、チベット語なのである。
簡単に外国語をマスターできるなどというのは、その文化を軽んじていることにも繋がりかねない。
チベット語でいえば、例えば、仏教と深い関連のある日常語が非常に多く、
その世界に入ってみなければ見えてこない世界、というものがあるのである。
日本人などの外国人がチベット仏教の修行をするとき、
チベット仏教の「加行」(正式の修行に入る前の準備の修行)で、
チベット語が必須になっているのは当然といえよう。
(猫のいる窓)
少し先の話だが、
今秋10月に東京でチベット語講座をすることになった(大阪では、来春予定)。
半日でできることはもちろん限られているが、チベット語の世界を垣間見、
チベット人に大笑いされたくない方はどうぞ(笑)!
Daisuke Murakami
8月6日
(ラサの)天気 曇りときどき雨
(ラサの)気温 10~23度
(ラサでの)服装 昼間はTシャツ、シャツなど。 夜はシャツ、フリースなど。 日焼け対策は必須。 空気は乾燥しています。 雨具は持ってきたほうがよいでしょう。