一か月以上前の話になるが、東京プリンスホテルで日本の歴代の宇宙飛行士たちが集った。
毛利衛さんが初めて宇宙へ行ってから今年でちょうど20年だという。
(もう20年も経ったのか~!)
この集まり(「ふわっと92′から20周年記念シンポジウム」)は、
これから日本はどのような宇宙開発をすべきかを公開討論するもので、
総勢500名以上の聴衆が集まったうえ、インターネットを通して生中継もされ、
メディアを通じて耳にした方も多かったと思う。
好奇心に駆られて、その討論の場に行ってきた。
その細かな内容を記すのが、この文章の目的ではないが、
どうしても言及したい衝動に駆られるのは、
立花隆さんのご登壇と彼の問題提起である。
* * *
僕が「立花隆」の本を初めて読んだのは19歳のころだったか。
手に取ったその本は、『宇宙からの帰還』。
これは、NASAアポロ計画に参加した宇宙飛行士たちを
インタビューしたものをまとめたルポルタージュであり、
彼らの宇宙体験の凄まじさをリアリティ豊かに伝える、
とんでもない本であった。
シンポジウムでも吐露されていたが、JAXA宇宙飛行士の野口さんや向井さんも
この本から相当影響を受けられ、人生を決められたそうである。
僕はといえば、この本を読んだ当時は、宇宙に行きたい!という漠とした思いもあったが、
それよりも別種の欲望が(その読んだ瞬間)自分の知らないところで産まれてしまっており、
それ以前に、能力的・性格的な絶対限界もあり、全くアウトローな道を歩んでしまった・・(苦笑)
とにかく、立花さんはシンポジウムでは凄かった。
真っ向から、「日本の有人宇宙飛行の開発は反対!」なのである。
ご本人もおっしゃっていたが、昔は開発を推進・擁護する側だったが、今では違う、という。
その理由は、
1.宇宙飛行士が有人飛行で死んだ場合、今の日本社会は耐えられない。
(フロンティア精神のあるアメリカは、その人的リスクを踏み越えて進化してきたものである一方、
中国などは軍主導の宇宙開発なので、人身事故などはとっくに織り込み済みなのである。)
2.日本は1000兆円の借金がある。ハイコスト・ローリターンの宇宙開発に
多額のお金をつぎ込むべきか?これまで宇宙飛行の二十年で得られた科学の成果はごくわずか。
それだけのお金をかける価値があるのか?? 費用対効果が非常に小さい!
あまり流暢とは言えない、そのしゃべり方。
そして、毛利さんをはじめ他の宇宙飛行士たちは、
服装を綺麗に整えて登壇されているのとは全く対照的に、
シワシワなカジュアルジャケットを着ておられる。
近所の公園のベンチに座っている、そのへんのオッサンみたいなのである。
ただでさえぱっとしないそのご風貌なのに、こんなに多くのメディアが注目する只中、
もっとちゃんとした服着てこられたらええのに・・!(と誰しも思ったことであろう。)
が、その問題提起は、鋭かった。
もともと何度も多くの専門家が指摘してきたことなのかもしれないが、
この宇宙飛行士たちが会する面前で、あの「立花隆」の口から出た問題提起であったのだ。
重みが全然違う。
これに、将来の日本の有人宇宙飛行を見据える、
現役の宇宙飛行士たちの心と面子が揺るがされないはずはない。
反撃の火ぶたが切られた。
一斉に大反論である。
みなさんがそれぞれ、立花さんへ論駁するその有り様は、とても勇ましく堂々としていた。
我々一般人にも非常に分かりやすいもので(それほどメッセージ性があった)、
中でも向井千秋さんは本当にカッコよかった。
(詳しい内容はここでは省略→ 知りたい方は検索するとすぐ出てきますので、そちらをご参照を!)
そしてその「一人対八人」とも形容できる闘いの有り様に我々聴衆が取り込まれている間に、
あっという間に時間は過ぎてしまった。
そして、最後の締め。
立花さんはこのようなことを徐(おもむろ)に語られた。
「・・どの国も自国の経済を潤すために経済学者ケインズの理論に沿ったことをやっている。
つまり、巨額の公共投資をやっている。。 譬えるなら、砂漠のど真ん中にピラミッドを建てては壊し、
そして再び建てては壊し、また建て・・を続けて、経済の成長を維持している。
このような無駄なことをずっとやって、経済に刺激を与えている・・
宇宙開発もそれの一つになりうるのではなかろうか・・」
ああ・・、なんたるコメント!
尋常ではない議論の剣さばき!
アカデミシャンたる者かくあるべきか、と痛く感動してしまった。
ご自分の基本的な見解をぶれもせず、と同時に、周囲を鍛え上げるその手法は、
厳しくも暖かい。八方塞がりである中に、救いの道もほのかに見える。
それは言うなれば、(宇宙開発という)夢とそれに伴う責任を選択するのは、
今の我々次第ということを突きつけるものであった・・。
覚悟を求めるものだったのである。
ところで、僕がこのシンポジウムの討論を聞いている間、
あるアメリカの大衆映画のことがふと心に浮かんだ。
それは、『スターウォーズ』。
なぜかは分からないが、この映画のワンシーンを観ているような気がしたのだ。
もっと言うと、立花先生がこの映画の登場人物ヨーダにだぶって見えたのだ。
よれよれのズボンとジャケット。
背が小さくとぼとぼと歩き、ご高齢で、風貌はぱっとしない。
決して流暢とは言えないそのプレゼン。
そして、日本の有人宇宙飛行なんてやめておいたら? と
最初から場をひっくり返すようなご発言。
だが、その議論の斬り込み方、その揺るぎない批判の迫力は、
なにかしら武人のそれのようにも見えたのだ。
洞察の深さが、斬り込みの鋭さが、いわゆる<メッセージ>というものである。
宇宙飛行士たちはその鋭い刃を正面から受けて立った。
そう、立花先生があの精神的導師であるヨーダとすると、
彼ら宇宙飛行士たちは「ジェダイの騎士」にさえ見えてこないであろうか。
日本のこれからの宇宙開発を考えるという空間の中で、
立花先生が、場をひっくり返すような、頓狂とも取られなかねないご意見で、
ジェダイの騎士の資質を試し、精神的に鍛えられていたのだとすると・・。
と、ここまで書くと、妄想しすぎか(苦笑)。
まぁ、このくらいのメタファーを使ったほうが臨場感が少しは伝わるだろう。
ところでみなさんは、ヨーダの話し方に注意を向けたことがあるだろうか?
もちろんヨーダの話す英語のことである。
これがまた変な倒置法を頻用しているのだ。
例をあげると、
To Obi-Wan, you listen.
(オビワンの言うことを、聞け)
Consume it [Dark side] will, as it did Obi-Wan’s apprentice.
(ダークサイドが捕り込むであろう、オビワンの弟子をそうしたように。)
ふたつともスターウォーズの「帝国の逆襲」からの抜粋であるが、
動詞や目的語が主語の前に来て、異様なニュアンスを与える効果を生みだしている。
イギリスに住んでいるときにこの“yodic language”を真似して、
冗談をよく言い合ったこともあったが、
あるとき何人かのチベット仏教徒の知人(イギリス人)が、
興味深いことを僕に指摘してくれた。
そのyodic expressionは、チベットのラマたちが英語で説法されるときのそれじゃないか・・。
なんとヨーダの原型は、チベットのラマ!?
スターウォーズの物語の構造を考えると、それもありえるなと思えてくるのだが、
それ以上に、ヨーダのあの英語の声のトーンは、世界で最も有名なあのラマの声に
どこか似ていないだろうか・・?
あの丸い玉が連なったかのような独特のお声・・。
Daisuke Murakami
* 上の素敵な写真はすべて、風の東京本社の平山未来が撮ったものです。
ネパールやモンゴルで美しい星空写真を撮るコツは、こちらの彼女のエッセーをご覧ください。