桜の季節がやってきましたね!
例年なら今ごろは春の陽気に誘われるように、
チベットに帰る準備を始める頃である。
しかし、今年はいつもとは違う。
ラサではなく、東京へ移住する準備をしている・・。
実は、日本へいよいよ帰還することになったのだ。
そして、このブログも、生まれ変わることになる。
20代半ばに日本を去ってイギリスに住み、それからチベット、
その後再びイギリスに戻り、それから風のチベット駐在として7年。
合わせると計18年ほども、糸の切れた凧のように外国の間を飛んでいたことになる。
その間、何度も一時帰国していたので、正確には15年ぐらいのイギリス・チベット生活になろうか。
それにしても、だ。
18年・・・。
こう改めて数字にしてみると、びっくりするというか、呆れるというか、
我ながらなんでこんななの?(苦笑)と思ってしまう。
どうしてこんなに「遊動民」をしたかったのか・せざるを得なかったのか・・。
ここではつらつらと書くまい。
が、本ブログのこれからについてお知らせしたいので、近況を少しご報告したいと思う。
ひとつは、上にも書いたように、
僕のこれからの活動地は主に東京になる、ということである。
東京では、早稲田で人類学の非常勤講師などをする予定、である。
活動地が東京になるとはいっても、大阪にもちょくちょく帰ってくる。
が、基本は、「異文化空間」東京での暮らしとなる。
言うまでもなく東京は、外国人だけではなく、地方の人間にとっても
「異文化」だといっていいだろう。
いろんな意味で、そう思う。
よく東京の人は、「大阪は<内なる外国>だ」などと言ったりするが、
関西人・大阪人にとってみれば、「東京こそが内なる外国」、なのである。
それに異論はなかろう(笑)。
これは決して大阪人の常套ギャグというわけでははく、ほんとうにそうなのだから仕方がない。
告白すると、僕は最近、東京と大阪を何度も往復しながら、
そこらへんを心から楽しんでいる。
東京のその「外国っぷり」がなんとも刺激的なのだ。
(大阪・十三のそばにある”聖地”。淀川越しに梅田が遥拝できる。)
それはさておき、
もうひとつ皆さんにご報告しなければならないのは、本ブログのこれから、である。
チベット駐在をしていないのに「駐在日記」などとは謳えない。
* * *
長い間、多くの皆さんに温かく応援いただいてきた駐在日記「ラサは今日も快晴」は、
突然ながら、いったんお休みとさせて頂きます。
唐突なお知らせで、誠に申し訳ございません。
今まで読んでくださったみなさん、
関心をもってくださったみなさんには、深く励まされました。
おそらくみなさんの温かいお声がなかったら、これほどまでには続かなかったことでしょう。
本当にそう思います。
長い間、有り難うございました。
* * *
しかし、なんとも寂しいものである。
「ラサは今日も快晴」の看板をおろすのは・・。
しかしながら、
たとえ看板はおろしても、ブログ自体はもちろん続けていくつもりである。
それも風の旅行社のサイト内で・・!
これからは、話題はチベットのことに限らず、
テーマをいろいろ横断しながら書いていきたい。
風の文化・自然講座(風カルチャークラブ)とも深く関わりながら。
そこでは、チベット文化に関する話題はもちろんのこと、
これから出会う人々・オモロイ人々について、
「東京という空間」について、そして、猫について・・、
徒然なるままに日暮らしpcに向ひて、そこはかとなく書きつくっていきたい。
また、もちろん、みなさんが過去の「ラサは今日も快晴」の連載をいつでも見れるよう、
その公開もそのまま継続する。
― 新しいブログに関しては、また改めて本ブログのサイトでお知らせします。
そして、これは最重要なことだが、
チベット・ラサにはこれからもしょっちゅう帰っていくつもりである。
近い将来でいえば、今夏も1-2か月ほど風のラサ短期駐在を予定している。
そう、僕はラサには、やり残した大事な仕事がひとつふたつ、あるのだ・・。
それらは、いつか、成就せねばならない。
(ちょっと前になるが、大阪・千里でペマ・ヤンチェンさんと旦那さんの斉藤さんと食事。楽しかった~。
お二人のご活動はこちらをご覧ください!)
それにしても、だ。
遊動生活から定住生活へ。
それも、あの突き抜けるような快晴のラサから、渦巻き状星雲のような東京へ。
ラサと東京の大きな違いはなにか、と訊かれれば、
ラサでは、「本当のこと」と「嘘八百」の境界はわりあい明瞭であるのに対して、
東京では、なにがリアルでなにがヴァーチャルか分からないようになっている
ところではないだろうか。
なんかこう、なんというか、こころの方向感覚を失わせる感じなのだ。
そして、この感覚さえも、渦巻くメディア環境によって、巧みに隠蔽されている感じがする・・。
そういえば、昨日、
この渦巻き状メディア星雲に、絡め取られるための手続きをひとつしてきた。
スマホを買ったのである。
日本で持つ初めての携帯、となる。
少し前、僕の若い後輩が、「(日本の)現代文化を知るためには、
スマホ持ってた方が絶対いいですよ!」などと僕に甘い助言をしてくれた。
彼(女)たちに説得されたわけではないが、
スマホも「授業料」かなにかと思えば高くないか、
と強引に自分に言い聞かせ、勢いで契約する。
「iphone」と「スマホ」の区別さえ、つい最近まで知らなかったのだが(苦笑)、
ようは試し、である。
大阪・梅田のヨドバシカメラ。
二十歳すぎぐらいの頭のよさそうな女性店員が、「パケット」だの、「実質無料」だの、
分けの分からない説明を長々としてくれた。
そしてさいごに、彼女が明るい声で僕に言う。
「電話番号はなににしましょう?」
「覚えやすいほうがいいな。できれば8の数字を入れたい。」(注:8はチベットでは縁起のよい数字)
「じゃ、いちごパンツはどうでしょう?」
「いちごパンツ・・?」
(彼女が、手続きカウンターにあるpcを見ながら検索し)「あ、やった! 残ってた!
この数並び、いいでしょ? 1582(いちごパンツ)!」
「いちごパンツ?」
「え?知らないんですか? これは、いちごパンツをはいていた信長の本能寺の変の年号ですよ!」
「・・・」
こうして、僕の携帯番号には1582が入ることになった。
物理的にも、社会的にも、そしてメディア環境的にも、「日本」に再び定住しようとしている。
願わくは、軟着陸したいところだが、多少のハードランディングはしょうがないかもしれない。
なにせ、18年のブランクである。少し年もとったし(笑)。
いずれにせよ、
たとえ体は定住しても、精神は常に遊動している。
というより、逆説的だが、定住しているからこそ遊動できる、ということである。
ところで、みなさんは、
「半農半牧」というチベット人の伝統的な生業形態があるのをご存じだろうか。
チベット語で「サマド」というが、
「土(農耕)でもなく、遊牧でもなく」という意味である。
そこに生活と精神の安定がある。
ドッパ(遊動民)から、サマドへ・・!
それは、ようは、
狩猟の達人であり、気持ちいい場所を見つける達人である、あの猫たち、
彼らに近づくことのような気がする。
東京の引っ越し先でも、近所にいたらいいな・・。
Daisuke Murakami