厳しい冬を乗り越えて…
モンゴル国の西部に位置する地域、バヤン・ウルギー。天に向かって高々とそびえ立つ白く美しき山々に周囲をかこまれたこの土地には、モンゴル国の国民として「カザフ人」が居住しています。バヤン・ウルギーに住むカザフ人は、かつて外敵から自分達の文化を守るためにカザフ草原を離れ、苦難の移動の末にこの地に辿り着いた人々の子孫です。
カザフ人は元々、遊牧文化を有する民族です。バヤン・ウルギーのカザフ人たちは、アルタイ山脈の中で育まれた豊かな自然環境を活かしながら、今も牧畜生活を営んでいます。「遊牧民」という言葉を耳にする時、どんな人たちとどんな生活を想像するでしょうか。私たちが生きる世界とは全く異なる世界に生き、全く異なる文化をもつ「遊牧民」。私たちはときに、その言葉を自由への憧れと共に、ある種のロマンを伴った言葉に置き換えてしまいがちです。しかし、自然と命を相手にしながらの生活は、決して楽なものではありません。
それは、彼らと共に冬を経験するとなおさら強く感じられることでもあります。厳冬期にはマイナス40度近くまで気温が下がるバヤン・ウルギーの冬は、ほんの少し自然のバランスが崩れただけであっという間に恐ろしい事態に繋がることも。雪が深く積もれば家畜は草を得られず、気温が急激に下がれば体力を奪われてその命を落とす。場合によっては、家畜が全滅してしまうことだって十分にあり得ます。当然、人間の身にだっていつ何が起こるかわからないのです。
自然という絶対的な力と共に生きる環境下において、人々が望むような安定した良き暮らしは決して思い通りには続いてくれないということを、彼らはよく知っています。そして、その自然が猛威を振るった時に人間は所詮無力であるということを、彼らは日々肌で感じています。だからこそ、彼らの生活に休みはありません。どんなに寒くても家畜と共に放牧地に出なければならないし、どんなに疲れていても家畜の命を守るためにあらゆる事態に備えて対策を怠りません。出来る時に、出来ることを、出来る限りやる。その暮らしは決して楽なものではないけれど、草原に生きる人々は、そうした状況すら笑って受け入れてしまう心のしなやかさと辛抱強さを持っています。
やがて肌を刺すような寒さが緩み、陽の光にじんわりと温かみが感じられたら、それは冬にお別れを告げるサイン。草原に待望の春がやってきます。厳しい冬を乗り越えてようやく迎える春は、なにか素敵なことが起こるようなそんな予感をともなったわくわくする季節なのです。
春の訪れを告げる祭り「ナウルズ」
ナウルズ(ノウルーズ)とはイスラーム暦の新年を祝う日のことです。ナウルズはバヤン・ウルギーに限らず、他のイスラーム諸国でも祝われる祭典です。ナウルズを祝う日にちは民族・地域により様々ですが、カザフ人の間では毎年3月22日に迎えられます。
カザフ人にとってナウルズは春の訪れを祝う行事です。この頃から暖かくなる日が増えることも関係しているのか、ナウルズはカザフ人の間では“太陽のお祭り”とも呼ばれています。ここでは、ナウルズについて筆者が体験したことをもとにご紹介します(*1)。
3月、ひやっとした冷たさが残る風とぽかぽか温かみを感じる太陽の光が入り混じった独特の空気の中、ウルギーはナウルズが近づくにつれて街全体がお祭りムードに包まれていきます。ナウルズ前日から、劇場ではコンサートが開催されたり、スポーツ会館では相撲がおこなわれたり、街外れの方では競馬がおこなわれたりと、あちこちがにぎやかで楽しい雰囲気に。街ゆく人々は男性も女性も鮮やかな民族衣装を身にまとっておめかししています。冬の間に着られる黒色や茶色の暗い色使いのコート(チャパン)とは正反対の明るい色使いの衣装にも、春の訪れを喜ぶ人々の気持ちが映し出されているかのようです。
ナウルズ当日は午前中からメインイベントでもあるパレードが始まります。広場に集まった人々はみんなそれぞれ異なった民族衣装を着て、まるで民族衣装のファッションショーをみているかのよう! 一度にこんなに大勢の民族衣装を着たカザフ人をみられるイベントと言えば、このナウルズくらいでしょう。
周りからは「ナウルズ・コッタ・ボルスン(『ナウルズおめでとう!』の意)」という挨拶が聞こえてきます。お祭りの雰囲気になんとなく気持ちが高揚して、自分も道行く見知らぬ人に声をかけて挨拶をしたくなります。彼らもまたにこっと笑顔で挨拶を返してくれます。パレードは広場脇の通りを含めた街のメインストリートを巡回します。パレードでは大人も子供も、かっこいい鷹匠軍団も行進し、とっても賑やか。パレードの途中で歌や踊りなどのパフォーマンスもおこなわれ、見る人々を楽しませてくれます。
鷹匠の登場に歓声が沸く
普段目にしないような豪華な衣装が見れるのもナウルズの特徴
女性たちも、おしゃれに気合いが入ります
民族衣装の色も、明るい色使いのものが多い
広場には沢山のキーズ・ウイが建てられます。キーズ・ウイとはカザフ牧畜民が使用する天幕型住居のことで、その形状はモンゴルのゲルと呼ばれる住居に似ています。広場に建てられたキーズ・ウイは、カザフの文化紹介コンテストで使われる展示用のもの。人々はこのウイの中に「カザフの家であればあって当たり前のモノ」を考えて準備し、誰が一番カザフ文化を理解し、実践しているかを競い合います。
さて、カザフ人が考える「カザフの家であればあって当たり前のモノ」とはいったいどんなものでしょうか・・・。ウイの中に入ってみると、内部全体がフェルトの敷物、手織り紐、刺繍布などで美しく装飾されていて、その色彩の鮮やかさと素晴らしい手仕事品の量に圧倒されます。どの装飾品にもカザフ文様がほどこされていて、多様な種類を目で追って飽きることがありません。ウイ内部の奥には大きな長机が置いてあって、その上にはおもてなし用のお菓子と果物、肉と乳製品、そしてバオルサックとよばれる揚げパンがズラリと並べてあります。すごい!おいしそう! と思ってじ~っと見ていると、さぁさぁいらっしゃいと、女性がアク・チャイとよばれるミルク入りのお茶を振舞ってくれます。お茶の器にもちゃんとカザフ文様が。
お茶をいただいて周りの人たちとお話をしているうちに審査員がウイに入ってきました。すると、待ってましたと言わんばかりに一斉に歌とドンブラ(カザフの民族楽器)の演奏と合唱が始まったのです! モンゴルの民謡やカザフの民謡が次から次へと歌われていく・・・なんて豪華な光景なのでしょう。歌が終わると審査員にもお茶が振舞われ、みんなで食事をして、審査員はまた別のウイへ。カザフの様々な文化的特徴をウイというひとつの空間の中で同時に見て、感じて、楽しめるというなんとも贅沢なひと時でした。
良きものはみんなで分け合う
パレードや文化紹介コンテストが終わると、さっきまで広場周辺に集まっていた人々は皆一斉に自分の家に帰ってしまいます。あれ?ナウルズもうおしまい?いえいえ、これからが第二のお楽しみ。今度は自分の家に戻って、自分の親戚たちとナウルズを祝います。
カザフ人は、普段なにかお祭りや慶事の際には必ず親戚と共に集まって、みんなで一緒に肉を食します。「世界で一番肉を食べるのはオオカミ、二番目がカザフ」なんて揶揄されるほど、カザフ人は肉好きで知られていますが、通常お祝いの時には大皿にあふれるくらい盛られた肉が出てきて、それを集まった人々で分け合います。
ところが、ナウルズでは肉を食さないのです。それには、春以降の彼らの食生活スタイルと関係があります。
一般的に、カザフ人は秋から冬にかけて肉を多く食べるのですが、家畜から乳を得られるようになる春から夏にかけては乳製品メインの食生活に移行します。もし、春のお祭りであるナウルズの日に肉料理をガツガツ食べれば、彼らは春らしさや風情を感じることなく、むしろ冬を連想することになってしまいます。だからこの日には肉料理は食べず、羊肉あるいは馬肉を煮込んで出た煮汁に米か麦を入れて作ったお粥を食すことになっているのです。
このお粥のことを、ナウルズ・クジェといいます。クジェはスープ料理の総称です。ナウルズ・クジェには、冬の間凍らせておいたカタックと呼ばれる乳製品を入れて味付けをします。カタックとは、アイランとよばれるヨーグルトに塩を加えて脱水したもので、冬期の保存食のひとつです。塩を混ぜて脱水しているので、食べると少ししょっぱい。このしょっぱさがお粥に絶妙なアクセントを加えてくれるのです。
カザフの友人と共に、友人の親戚の家を回ります。どこに家に行っても、「我が家のナウルズ・クジェを食べなさい」と、その家で作られたナウルズ・クジェをふるまってくれます。これがまた、食べやすくて美味しいのです。こりこりとした歯ごたえのある麦、じっくり時間をかけて煮込んだ肉のダシがきいたスープ、そしてそこに加えられた絶妙な酸味の乳製品・・・おいしくて、何杯でも食べたくなります。
ある家でクジェを食べたら、今度はまた別の家を訪れてクジェをいただきます。すると、さっき自分たちにクジェを振舞ってくれた人たちが、今度はお客さんとして同席して一緒にクジェを食べています。こうやって親戚同士、クジェを振舞ったり振舞われたりして、みんなでご飯を共にしながら春の訪れを祝います。良きものや幸せが巡ってきた時は、みんなで分け合おうとする彼らのこうした行動は、遊牧文化をもつ人々らしい経験と発想から生まれるのかもしれません。過酷な環境下において、そうした良き幸せな状態が予期せぬうちに失われる可能性があることを知っている彼らだからこそ、自分に良きものが巡ってきた時にはともに生きる仲間と分け合うことを忘れないのでしょう。
ナウルズ・クジェを一緒に食べながら、誰かがドンブラをもてば誰かがギターをもって、みんなで歌いだして大合唱になるなど、夜遅くまで笑顔と笑い声が絶えることなく春の大宴会を楽しみました。
(*1)2013年3月のナウルズの状況のレポートです。現在のナウルズで行われるイベントの内容は多少異なる場合があります。
専門は文化人類学。モンゴル国西部バヤン・ウルギー県に2年留学し、カザフ人と共に生活することで彼らの文化を学ぶ。特に、遊牧民の手芸文化・装飾文化に関心を持ち、バヤン・ウルギー県滞在中にカザフの手芸技法を習得する。「カザフ情報局KECTE」を通じて、主にモンゴル国のカザフ人に関する情報発信を行っている。
廣田さん執筆による、カザフの刺繍についての記事、「変化する感覚を楽しむ -カザフかぎ針刺繍の実践からわかること-」もぜひ併せてご覧ください。
廣田千恵子さんの国内講座・ツアー
遊牧民の手芸・装飾文化研究家・廣田千恵子さんが同行
終了ツアー 【新企画】カザフ刺繍を学び・フェルトの敷物を作る合宿 3日間
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