
数年前から、カザフ人がフェルトで作る敷物「スルマック」を、展示や販売を介して日本でご紹介するようになりました(写真1)。そのきっかけは、私が持っていたスルマックをみた友人が呟いた、ちょっとした一言でした。
「素敵だね、私もほしいな!」
カザフのことを何も知らない友人からそのように言われたときは少し驚きましたが、前々から感じていたことの確信にも繋がりました。この敷物には、見る人を惹きつける、何ともいえない魅力があるのです。
その魅力の源とは一体何なのか。その答えは、カザフ人の生活の中でスルマックがどのように作られ、使われているのかを知ることによって、見えてくるかもしれません。
カザフの手仕事をモンゴルで学ぶ
「カザフ」という言葉を聞くと、多くの人の脳裏には「カザフスタン」という国が浮かぶことと思います。ですが、私が初めてカザフ人に出会った場所は「モンゴル」でした。
元々、カザフ人は中央アジアに広がるカザフ草原で暮らしていました。ところが、19世紀に一部の人たちがアルタイ山脈の南麓に移住し、さらにその一部が北麓へと移住していきました。そのとき北麓へ移動したカザフ人たちの子孫が、現在モンゴル国の西部を中心に暮らしています。
モンゴル留学をしていた私は、西部にてカザフ人と出会ったことで、カザフ文化に魅了されていきました。とくに、カザフの手仕事に関心を抱き、それについて学ぶためにモンゴル国内で最もカザフ人が多く居住する地域であるバヤン・ウルギー県に2年ほど滞在することにしました(地図)。
カザフ人は天幕型住居(カザフ語でウイ、モンゴル語でゲル)の中で使う調度品や道具に模様を付けて、美しく飾ります(写真2)。それら装飾は主に女性の手によってほどこされています。カザフ人の間にどのような手芸技法が伝わっているのかを知りたくて、私は手仕事に優れていると地元で有名なカザフ人女性・アイナグルさんから、カザフの手芸技法を習うことにしました。

アイナグルさんはカザフの手芸技法の中でも刺繍を得意としていて、カザフ人の間に伝わる様々な刺繍技法を私に教えてくれました。なかでも、アイナグルさんが最初に私に教えてくれたのが、フェルトの敷物「スルマック」の作り方でした(写真3)。
スルマックとは、カザフ人が家の床に敷くフェルトの敷物のことです。アイナグルさんの家の床には、彼女と彼女のお母さんが作ったというスルマックがたくさん敷かれていました(写真4)。
スルマックという名称は、カザフ語で「刺し縫い」を意味する動詞「スロ」が派生して作られています。その名のとおり、スルマックの全体には丁寧な刺し縫いがほどこされます。
もうひとつ、スルマックの特徴として、オモテ面の模様には必ずカザフ文様が選ばれます。カザフ文様は主にヒツジの角のモチーフとしていて、家族が豊かな状態になることを祈念して用いられます。


糸も紐も手作り
スルマックは一見すると、フェルトにただ刺し縫いをしただけの、簡素なつくりのように見えますが、実際に自分で作ってみると、この1枚を作るために、想像していた以上に様々な技術が必要とされていることがわかりました。
まずは、用意されていたフェルトを重ねて、直径40センチメートルほどの円形に切り取り、その上にチョークでシンプルなカザフ文様を描いてナイフで切り抜きます。単に切り抜くだけなのですが、日本の手芸用品店で売られているフェルトと異なり、1枚のフェルトでもしっかりと厚みがあるため、ナイフで切り抜くのも一苦労です。
そうして文様の形に切り抜いたフェルトを、色が反転するように組んでから縫いあわせ、敷物2枚分のオモテ面を作ります(写真5/6)。


次に、文様の縁に縫い付ける飾り用の縁取り紐を作ります。複数本の細いコットン糸を重ね、紡錘棒を使ってその糸の束に撚りをかけて、1本の太い紐にします。撚りが均等になるように回転をかける作業はなかなか難しく、集中力を要します。さらに、左撚りの紐と右撚りの紐をそれぞれ作らなければならなかったため、紐を作る作業だけで1日以上費やしてしまいました。ずっと腕を上げて紡錘棒を回していたので、腕はパンパン、身体はヘロヘロ。
どうにか縁取り紐を完成させて、さぁ、紐の縫い付けだ、と思いきや、なんと今度は刺し縫い用の糸をラクダの毛を紡いで作るというのです(写真7)。
「え?市販の糸じゃダメなの?」と尋ねると、アイナグルさんは「ラクダの剛毛で作った糸はコットン糸と比べ物にならないくらい丈夫なの。スルマックは丈夫に作らないと」というのです。近年では市販のコットン糸で縫う人もいるけれど、コットン糸で縫った場合、スルマックを使い込むうちに次第に糸が緩んでいくといいます。
それに対して、ラクダの剛毛を撚って作られた糸で刺し縫いをすると緩むことがなく、これで縫うからこそカザフ人が求める硬くて丈夫なスルマックを作ることができるのだとか(写真8)。

写真7 ラクダの糸を紡ぐカザフ人女性

おばあちゃんへの憧れ
「ただフェルトを縫うだけ」と思っていたのに、スルマックを作るために予想に反して紐と糸も作ることとなり、それだけでも驚いたのですが、しかし縫う工程に移ると、さらに大変な作業が待っていたのでした。
縫う工程はまず、先に作っておいた左撚りと右撚りの縁取り紐を、文様の縁に左右2本揃えて沿わせながら置き、それを縫い付けることからはじめます(写真9)。

写真9 縁取り紐の縫い付け
左撚りの糸と、右撚りの糸をV字に見えるように並べながら、その紐を貫通させるように敷物の裏から針を刺して出し、5ミリメートルくらいの間隔で丁寧に紐を縫い付けていきます。この作業がなかなか大変。紐を押さえながら縫うため手に力が入り、知らず知らずのうちに疲労が溜まっていくのです。そうして真剣に刺している途中のこと、アイナグルさんが突然私の敷物を取り上げてひっくり返して言いました。
「ほら、みてごらん。裏に縫い糸が見えているよ」。
刺すことで精いっぱいだった私は、自分の敷物の裏面がどうなっているかなんて、全く考えもしませんでした。ですが、私が刺した敷物の裏面には、紐を縫い留めた糸があちこちに出て見えていたのです。それに対して、アイナグルさんが刺すと、縫い糸が全く裏面に出てきません(写真10)。

写真10 アイナグルさんが作った敷物の裏面
「針を刺す角度と、最後に縫い糸を引き込むことが大切なのよ。しっかりと糸を引き込めばそれだけ敷物も丈夫になるし、余計な糸も見えなくて済むでしょう」。
ただ紐を縫い付けるだけなのに、私はなかなかアイナグルさんから合格をもらうことができませんでした。しかも、私は裏面に糸が出てないか、ひと針刺すごとに裏を見返して確認しながら縫っていたため、たった10センチメートル縫うにもかなりの時間がかかっていました。そんな私の横でアイナグルさんは、一切裏を見ることなく、一定の針の角度で刺して出して刺して出してといった作業を素早く繰り返します。アイナグルさんの姿をみて、美しいスルマックを作ることができる人は、高度な刺繍技術を持った人なのだということを感じました。
縁取り紐の縫い付け作業が終わったら、今度は紐の周りを文様の形に合わせて刺し縫いします。フェルトの色に合わせて細い糸を1本用意し、それをフェルトの上に乗せて、その糸の左右を挟むようにして針を刺しながら、別の糸(ラクダの剛毛糸)で固定していきます。
縫いはじめの時は気が付かなかったのですが、フェルトが厚いため、縫っていくうちに徐々に指に疲労が溜まっていきます。縫うだけでも大変なはずなのに、それでもアイナグルさんはなぜかとても楽しそうに見えます。
「スルマックを作るのが一番好きなの。子供の頃は、家に椅子がなかったから、女性たちはみんなスルマックを作って家に敷いていた。おばあちゃん達が綺麗なスルマックを作るのをみて、私もはやくおばあちゃんになってたくさんスルマックを作りたい!って思っていたわ」。
何度も何度も繰り返し縫っていくうちに、少しずつですが私もなんとなく針を刺しこむ角度がわかるようになってきて、次第に裏面を見なくてもきれいに縫えるようになっていきました。
こうして、紐の縫い付けと刺し縫い作業に3日ほどかけ、最後はフェルトの敷物そのものの縁を編み込んで、完成。結局、直径40センチメートルほどのスルマックを1枚作るのに、なんと6日かかったのでした。
牧畜生活の必需品
私が作ったスルマックは一人分のマット程度の小さなものでしたが、実際にカザフ人が作るスルマックの大きさは、平均して100センチメートル×180センチメートルと大きく、重量も1枚6~8キログラムとずっしりしています(写真11)。
素人とはいえ、小さな敷物1枚を完成させるのに6日かかったのですから、スルマック1枚をちゃんと作るとなると、どれほど時間がかかるのかは想像に難くありません。

写真11 実際に使われているスルマックの大きさ
しかし、手間はかかるものの、スルマックは牧畜民の暮らしには欠かせない必需品なのです。モンゴル国西部に暮らすカザフ人の中には、今も牧畜を専業として営んでいる人たちが一定数います。牧畜民は季節に応じて移動し、家畜により良い草と水を与えなければなりません。
バヤン・ウルギー県のカザフ牧畜民が夏に暮らす宿営地は、たいてい標高2500メートル以上の高地に位置しています(写真12)。そのため、夏といえども冷涼な環境で、夜はかなり冷え込みます。

ある年の7月、とある牧畜民世帯に宿泊したときのこと。その家は子供が多く、ベッドの空きはありませんでした。その時私は、夏だし、寝袋もエアマットも持ってきているし、お世話になっている家族たちに迷惑をかけたくなかったので、「私が床で寝るよ」と伝えました。
ところが、その夜は本当に寒かった。私が持参した3シーズン対応の寝袋とマットでは歯が立たず、あまりの寒さに体が驚いて、夜中に外で吐いてしまったほどでした。
翌朝、寒くてよく眠れなかったことを話すと、今度は子供たちが丸めてあった大きなスルマックを床に敷き、私が寒くないように整えてくれたのでした。たった1枚ではありましたが、分厚いスルマックを敷いたおかげで、下からの冷気を遮断し、その夜は暖かく過ごすことができました。そしてこの経験は、牧畜民の生活がいかにヒツジに守られているか、いかにスルマックを必要としているのかということを、身をもって感じた出来事でもありました(写真13)。

草原文化が詰まった敷物
材料の準備から縫製に至るまで、たくさんの時間と労力をかけて作られるスルマックは、カザフ牧畜民にとって生活必需品であると同時に、最も尊重すべき相手への敬意を表す道具や贈物としても選ばれます。
たとえば、カザフの婚姻儀礼の際には、両家の関係性を築く上で欠かせない贈物として、スルマックが選ばれます。新婦母は、娘に持参財を贈る際に、新郎父とその兄弟全員にスルマックを贈らなければいけません。
カザフ人の間では、「娘を1人嫁がせるために10枚のスルマックが必要になる」といわれますが、調査中に出会ったある人は、厚いフェルトを縫いすぎて少し曲がってしまった指先を私に見せてくれたほどでした。
一方の新郎父は、新婦母が作った敷物を受け取ると、その場ですぐに床に敷いてその上に座り、新婦母の労をねぎらうとともに、両家の良い関係を築いていく意思があることを示します(写真14/15)。そして、新郎の女性親族たちは、自分の家にやってきた相手の家が作った敷物をみて、その質が良ければ「カラマツのような立派な(硬い)スルマックがきた」などと言って、相手を褒めたたえるのです。


遊牧を文化の基盤とするカザフ人にとって、ヒツジの毛で作られ、ラクダの糸を使い、カザフ文様が丁寧に縫われたこの敷物スルマックは、遊牧民の子孫である自分たちのアイデンティティに関わるモノであり、カザフ文化を象徴するモノのひとつとしてみなされています。まるで、草原生活が詰まったかのような敷物であることが、スルマックの最大の魅力なのかもしれません。
カザフ人の生活・文化の要ともいえるこの敷物を、これからも様々な形でお伝えし、日本と草原世界を繋げていけたらと願っています。

専門は文化人類学。モンゴル国西部バヤン・ウルギー県に2年留学し、カザフ人と共に生活することで彼らの文化を学ぶ。特に、遊牧民の手芸文化・装飾文化に関心を持ち、バヤン・ウルギー県滞在中にカザフの手芸技法を習得する。「カザフ情報局KECTE」を通じて、主にモンゴル国のカザフ人に関する情報発信を行っている。
遊牧民の手芸・装飾文化研究家・廣田千恵子さんが同行
終了ツアー 【新企画】カザフ刺繍を学び・フェルトの敷物を作る合宿 3日間
NPOしゃがぁ理事長 西村幹也同行!
9/2(火)発 タイガの森でトナカイ乗りキャラバン11日間 ─黄金に輝く秋のタイガを行く─