文●中坪聴子(大阪支店)
サハラにのぼる朝日
朝、まだ薄暗い時間。夢なのかそれとも現実なのかわからない狭間で何かの声が聞こえる。「ああーそうだ。モロッコにいるのだった。」と認識してからは、その声がなんなのかようやく思い出す。「アザーン」とよばれるお祈りを呼びかけるあの声でマラケシュの朝は始まる。たった2日間のマラケシュ滞在で、時間を告げるアザーンを聞くこと10数回。この地に暮らす人々には同じ声に聞こえるのかもしれないが、少なくとも私にはその日、その時間、その状況によって聞こえ方が違うように感じる。
メッカの方向を示すクトゥビア
この日は朝からツアーの皆さんと終日マラケシュ観光に出かける日。二度寝は避けなければならない。まだ暗いうちにベッドから這い出しリアドの屋上から、今日の天気の確認をかねて、朝日を見ようと試みるがあいにくの曇り空。赤色のマラケシュの街並みに、暗い空は似合わないような気がする。一番高い建物は「クトゥビア」。マラケシュのシンボルでもあるこのミナレット(塔)*1が、アザーンの声を出すのだ。ミナレットの先端にある少し曲がった棒がメッカの方向「東」を表しているため、メディナ*2のどの場所にいても東がわかる仕組みになっている。1日5回の礼拝を欠かさないムスリムの人々にとってメッカの方向はとても大事。誰がどこにいてもにわかる方法で一番高い塔が示すメッカの方向は、マラケシュから見ると東の方向。奇しくも今日は見えない朝日の方向と同じだった。そしてかつて「日出ずる国」と称された日本のある方向でもある。この塔がもっとも美しく輝くのは、夕方ライトアップされた姿だ。活気溢れるフナ広場を見守るようにたっている美しい姿は、マラケシュの人々を見守っているようにも思える。
*1 ミナレット(塔):モスクに付随する高い塔 *2 メディナ:旧市街
隙間から光が差し込むマラケシュのスーク
朝食を終え皆さんと一緒に徒歩でマラケシュ観光へ向かった。昨晩あれだけ活気づいていたフナ広場も午前中は静かだ。今日は金曜日。イスラムでは安息日にあたる。ここマラケシュも2回目の礼拝が終わるとお店が閉まり休息を迎える。ガイドは少し急ぎ気味。実は2回目の礼拝が終わるとお店や博物館も閉まるために、金曜日の観光はちょっぴり急ぎ足になるのだ。そんなガイドの心配をよそにお客様と一緒にスーク*3を冷やかし、写真を撮りながら歩く。女性の写真は厳禁。お店の気のいいおじさんは写真を撮っても大丈夫だそうだ。おじさんが手招きし自分の横へ座れというので、順番におじさんの横に座り、写真を撮る。今撮っておかないと迷路のようなスークでは、同じ場所に出てくる可能性が低いのだ。午前中のスークは人影もまばらでゆっくりとお店を見ながら歩くことができる。何代も続くお店や、最近新しく出来たヨーロッパ人がオーナーのオシャレなお店が入り混じり混沌とした雰囲気を醸し出す。そして、3回目のお祈りの時間「人と影が同じ長さ」になるころ、閉まっていたお店が再び開く。いつもの活気あふれるマラケシュの町が戻ってくる。
*3 スーク:市場
マラケシュ博物館でフリータイムにしたときのこと。お墓についての質問がガイドにあった。イスラムではお墓はあるが、日本のお墓の考え方とは違う。墓石はなく、目印の石に名前を書いて亡くなった方の頭の位置に置く。お墓は個人のものという考えのため、家族が1つのお墓に入ることはない。また40年前後でそのお墓の場所はただの土地となり、その上に建物が建つこともあるという。日本では考えにくいが、これがモロッコでの一般的なお墓だそうだ。質問は続く。―モロッコでは何のためにお墓にいくのか? ガイドが答える。お墓に行くのは死について考えるため、そして、死んだ人のためにアラーに祈るため。では、祈っているときには何を考えるの? ガイドが答える。アラーに頼みたいこと、許してほしいことを考える。祈っているときは、人とアラーが近い位置にあるので落ち着く―。
お墓にいくと落ち着く感覚はわかる気がするが、それがアラーと近い位置にあるから落ち着くという考えは、私にはない。自分のことや家族のこと、祖先のことについて祈ることはある。しかし、「死」についてお墓の前で考えたことはなかった。どちらかというとお墓の前で思うことは「生」について、思い願うことでありお墓を目の前にして「死」について考えることは、なんだか不謹慎な気がする。お墓についての考え方が違うことは予想していたが、お墓を前にして考えることに違いがあることに少し驚いた。
ラクダに揺られながら砂漠を進む
マラケシュ観光を一通り終えた時間が「太陽がちょうど頭の真上にくる頃」。2回目のお祈りの時間にあたり、ランチタイムのころになる。この日も食事のメニューが出揃ったところで「お祈りにいってきます。」とガイドは出て行った。そういえば砂漠でも同じようなことがあった。サハラ砂漠のメルズーガに到着し、ラクダに乗って皆さんと砂丘にでかけた。日没を砂丘で眺めたあと、暗くなりかけたのでそろそろ戻りましょうとラクダにまたがった時「先に行ってください。お祈りをしてから行きます。」と彼が私に言った。4回目のお祈り「日没の頃」と5回目のお祈り「日がどっぷりと暮れたころ」の2回のお祈りをまとめて砂漠でしたあと、真っ暗な砂漠を一人っきりで戻ってきた。2回のお祈りをまとめてするときも1回ずつ手順を踏まえて、お清めをしお祈りをする。まずは左手を3回、次に右手を3回、腕まで洗う、口をゆすぐ、頭は1回、右足、左足を洗い、ひれ伏して祈る。1日5回行うこの行為をウドゥーという。清潔な流水で洗うのが一般的だが、水のない砂漠では、砂漠の砂でウドゥーを行う。そして、この砂漠でのお祈りもメッカの方向、つまり「東」に向いて礼拝を行う。
(マラケシュにて)
マラケシュ観光が終わりフリータイムとなった。お客様と離れメディナの中を歩いていると、一人の道に座っている男性がいた。その男性にガイドは微笑みながら喜捨をした。安息日の金曜。モスクに集まる人々が多いこの日は、その人々を目当てに集まる別の人々がいる。私も小銭入れからコインをだし喜捨をした。受けとった男性は微笑み、ガイドも微笑んだ。その2人をみて私も嬉しくなった。あの時の喜捨は、何も考えることはなく、スムーズな流れで行うことができた。それは金曜日のマラケシュの空気、人通りのないスーク、スパイスの香り、青い空、そして遠くに響くアザーンの声のすべてが組み合わさって、私をそんな気持ちにさせたのだと思う。
マラケシュ滞在のたった2日間。その中で私が感じたイスラムの時間は、長いイスラムの歴史から考えるとほんの一瞬だ。そんな一瞬でも、あのマラケシュの道で出会った男性とあの風景は忘れることはない。
帰国後、1回目のアザーンの時間に目が覚めた。
マラケシュは今日もこの声で始まり、そして、終わっているのであろう。1回目のアザーンで目が覚めたということは、2日間のマラケシュ滞在で、ほんのちょっぴりだけイスラムの時間が私の身体に染み付いたということにして、今日はゆっくり二度寝をすることにした。
「風通信」41号(2010年10月発行)より転載
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