モロッコ ラクダと共に暮らす国

文●小宮山 香織(大阪支店)

ラクダ

モロッコで出会う動物達

モロッコを旅していると、動物が人の生活に深く関わっていると感じる場面に幾度となく出くわす。
イスラム教の開祖でもある預言者ムハンマドが猫好きだったという言い伝えから、モロッコでも人々に好かれている猫は、メディナ*1の中を我が物顔で歩きまわり好き勝手に寝そべっている。
反対に自由にうろついている犬を目にすることは滅多にない。宗教上、犬は好ましい存在でないらしい。
ロバは荷役の重要な手段だ。フェズやマラケシュといった都市部でもスーク*2の狭い通りは、車が入れないことが多い。その中で荷物を運ぶには小柄でおとなしいロバがぴったりだ。
羊はお祝い事にはかかせない。子供を授かった家庭では1週間後に名前をつけて祝うパーティを開く習慣がある。子供が男の子なら2匹、女の子なら1匹の羊を用意し、親戚や近所の人々とその羊を使った料理を食べながら、誕生を喜び合う。
イスラムの重要なお祭りのひとつ、犠牲祭は羊が主役と言っても過言ではない。メッカ巡礼を無事達成したことを祝う祭りに、巡礼をしない人は羊を捧げる。各家庭で羊を1匹用意するのだが、日が近づくにつれて町のマーケットでは値段が高騰しはじめる。肉が美味しいと評判の村まで足を伸ばして買い求めに行く人もいる。当日は祈りのあと羊を屠る。日本のお正月のように普段離れている家族が集まり、屠った羊を共に食し祝うため、モロッコ人の移動で国内の交通機関は大混雑となる。
アトラス山脈を越えてカスバ街道を進むと、ラクダの姿が目につきだす。街道沿いの峠など景色のよい場所では、モロッコらしい記念写真を撮りたい観光客を待ち構えている。
ラクダにはヒトコブラクダとフタコブラクダの2種類がいるが、ここモロッコはヒトコブラクダの生息地だ。といっても、野生のものはすでに絶滅しており、家畜として飼われているものだけが生き残っている。暑さに強く、エネルギーをコブにためておくことができる彼らは、砂漠の民にとって最良の家畜に違いない。

バヒア宮殿の中庭でくつろぐ猫バヒア宮殿の中庭でくつろぐ猫
マーケットで売買される羊マーケットで売買される羊
フェズのスークで大活躍のロバフェズのスークで大活躍のロバ


*1:メディナ:旧市街 *2:スーク:市場


ラクダの値段

ラクダを実際に手にいれるにはどうしたらいいのだろう。モロッコ支店のラシッドに聞いてみた。
「週に一度開かれる村のマーケットで買うことができます。たとえばメルズーガの近くでは、リッサニで木曜、エルフードなら日曜にマーケットが開かれています。値段は1kgあたり80ディラハム(1ディラハム約10円)位からです。」
メルズーガはサハラ砂漠ツアーの拠点となる村のひとつで、多くの観光客が砂漠の景色を楽しむために訪れる場所だ。
マーケットは大きめの村なら大抵週に一度決められた曜日に開かれている。普段はただの原っぱだが、当日はずらりと露天の店が並ぶ。野菜や肉類といった食料から日用雑貨、大工用品が売られているのはもちろんのこと、散髪屋、食堂と様々な店がでる。田舎では買い物は男性の仕事なので女性の姿はあまり見かけないが、子供から老人まで多くの人でにぎわう。売るほうも買うほうもこの日を待ちわびているのだ。
そのマーケットで、羊やヤギといった家畜を目にしたことはあったが、ラクダまで買えるとは思わなかった。さらに、その金額にも驚いた。大人のラクダなら体重400kg以上、子供でも100kgはあるだろうから、少なくとも8,000ディラハム(約8万円)以上の買い物だ。警察官や学校の先生の初任給1ヶ月分が5,000ディラハムほどなので、かなりの額である。砂漠に住む人にとってはなおさらであろう。
それでもラシッドによるとモロッコ南部では、羊よりよく飼われている家畜だそうだ。物資を運ぶ重要な手段であり、そのミルクは栄養価が高いと言われている。また、ヒトコブラクダの太い毛は丈夫なので、遊牧民の住居となるテントを編んで作るのに適している。


『アルケミスト』に描かれた砂漠


パウロ・コエーリョの書いた小説『アルケミスト』は、モロッコ北部の港町タンジェからキャラバン隊に加わってサハラ砂漠を横断し、エジプトに向かう少年の物語だ。題名のアルケミストとは英語で錬金術師を意味する。少年はオアシスの村で錬金術師に出会い、旅を続ける上でのアドバイスをいくつかもらう。そのひとつにラクダについてのくだりがある。
「明日、おまえのらくだを売って、馬を買いなさい。らくだは裏切る動物だ。彼らは何千歩歩いても疲れを見せない。そして、突然ひざまずくと死んでしまう。しかし、馬は少しずつ疲れてゆく。だからおまえはいつも、どれだけ歩かせてよいか、いつ馬が死ぬ時か、わかるのだ。」
辛抱強くおとなしいラクダの性格からすると、突然息絶えるのもわかるような気がする。「裏切る」というのはラクダにとっては心外な表現だろうが、砂漠を旅する者はまさに生死を共にしているのだから大げさではない。
砂漠のラクダは人間が歩くスピードと同じ位の歩調でゆっくりと進む。酷暑の砂漠で体力を温存し生きながらえるためには、ラクダにとっても人にとってもゆっくりと歩くことは重要だ。
ドバイなど中東ではラクダレースが楽しまれていて、時速30 kmの速さで疾走すると聞くが、サハラ砂漠にいる彼らを見ているとそんなに早く走る姿など想像できない。
また、物語の中でラクダ使いは砂漠についてこう話す。「私はこの砂漠を何度も越えたことがある。しかし、砂漠はとても大きく、地平線はとても遠いので、人は自分を小さく感じ、黙っているべきだと思うようになるんだ」。
砂漠を進む手段としてラクダに乗ることを選んだ場合、四輪駆動車で訪れるのとは違った空間が待っている。まず2m以上あるラクダの背の高さから眺める景色。砂漠が意外に平坦でないことに気がつく。砂丘が重なって小さな山脈をつくり、その山脈がさらに幾重にも連なっている。そして、人工的な音が何ひとつない静寂な世界である。


ラクダと砂漠へ


砂漠に朝日が昇りはじめる砂漠に朝日が昇りはじめる

砂漠の奥にあるベルベルテントに泊まるツアーでは、2時間半ほどラクダの背に揺られながらテントを目指す。夕刻暑さを避けて村を出発し、砂漠を真っ赤に染めて日が沈む中を進んでいく。砂漠ツアーの中で最も贅沢なひとときである。暗闇に包まれた頃、砂丘のふもとに隠れ家のように立てられているテントに到着する。夕食は外のかまどでぐつぐつと煮たタジンだ。満天の星空の下、車座になってタジン鍋を囲むのも夜の楽しみの一つである。
翌朝、再び太陽があたりを赤く照らしながら昇りはじめる。砂丘から眺める日の出は独特の神々しさを持ち、新たな一日が始まる予感があたりを包む。
その間ラクダは決められた場所で静かに待っている。ゆったりと座って口をもぐもぐさせ反すうを繰り返しているもの、遠くを見つめ何か考え事をしているように立っているものもいる。彼らがいなければ砂漠ツアーの一日はスタートしない。私達観光客にとってもラクダが必要不可欠な存在になっていることを実感する。
モロッコの旅の記憶から動物の姿が切り離せないのは、きっとこのラクダのせいだと私は思っている。


風通信」43号(2011年6月発行)より転載