ATM洞窟(Actun Tunichill Muknal アクトゥン・チュニヒル・ムクナル)は内陸の町サンイグナシオの郊外にある、ベリーズでもっとも有名な洞窟。
森の中にぽっかりと口をあけた洞窟入口まで40分ほどジャングルを歩く。鍾乳石もある石灰岩質の長い暗闇の回廊を進んだ先には、過去マヤの人々がいけにえの儀式に使ったと思われる壷や人骨が散らばっている。一般の人も2〜3時間の洞窟探検を楽しみながら訪れることのできる、保存状態のいいマヤの遺跡として注目を集めている。
今回、この洞窟探検を体験してきましたので報告します。
※現在、ATM洞窟トレッキング開始地点よりカメラの持ち込みは禁止されております。本ページ掲載の写真は禁止措置以前に撮影されたものです。
はじまりはチークとマホガニーの森
ATM洞窟までの道のり
車は舗装道路からダートロードに入ってすぐ小さな村の小さな売店前で車は止まった。ガイドが「ここが今日洞窟探検から戻ってくるまでの最後の補給ポイントです。」と冗談めかして言う。
売店には衣類、文具、食料品など村の生活物資、洞窟探検でも使えそうな「靴下」「ミネラルウォーター」「お菓子」なども売っている。朝ミネラルウォーターを仕入れ損ねた私にはまさに救済ポイントだ。
グアテマラのチークとマホガニーの林
車は村を離れ進む。途中プランテーションの森があった。整然と若い木が並んでいる。チークとマホガニーだそうだ。ともに材木として高値で売れる貴重な輸出品。チーク材はここ最近の話として、マホガニーはイギリス植民地時代から有名な産地だ。イギリス資産階級の豪華な調度家具の数々がここのマホガニーで作られたのだろうか。
聖域近し
さらに行くと森の中から1本高く伸びて、その先が折れた木が立っていた。今年の落雷で折れたそうだが、マヤでも生命の木といわれる天に向かってまっすぐ伸びる木だ。もうここまで来ると人はいない。車は小川を越え1本道の進んでいく。小さなコンクリートの建物が見えたと思うとその手前に小さな小屋。そこから厳しい顔のお兄さんが車に乗り込んできて、「ここから先は非常に貴重なエリアになる。ガイドの指示に従って、勝手な行動な慎むように」という趣旨の説明を受けていざ、すぐ先にある駐車場(車の最終地点)へ。
出発前のレクチャー
トイレ兼シャワールームの建物と
ここまで乗ってきた車
駐車場の脇にはさっき見えたコンクリートの建物。トイレと水シャワーがある。結構広く20人くらいは余裕で雨宿りができる大きさだ。幸い天気はカンカン照り。到着と同時に、ヘルメットとヘッドライト(LED)を渡され装着。「蚊はいるので塗るのはいいが、腰から下は出発してすぐのところで川をジャブジャブと渡るので環境のためにも控えるように。」と言われる。カメラは洞窟へ持ち込めないので、ここに置いていくように言われる。貴重品もずぶぬれになるのでここに置いておくこと。ドライバーさんがずっと見てくれてるので安心。
さぁ、ATM洞窟に向けて出発
持ち物は行動食と水分だけ、そして水着にTシャツ、靴下と底のしっかりした靴。とても身軽だ。説明どおり、出発してすぐに川が目の前に現れた。これから3本の川を渡るが、ここが一番深い。対岸まで約10m、多少の増水でも渡れるように補助のロープが頭の上にぶら下がっている。少々ためらいながら靴のままじゃぶ、と川に入る。暑い中の水は気持ちいい。流れる水に足をとられないように進む。
足元が悪い道を進みます
ジャングルの生き物の解説も聞きながら
洞窟までには川をいくつか渡ります
渡り切ってからは、ガイドが歩きながら目に留まるものをネタに説明してくれる。話はガイドによって、またその時節によって違うようだ。今回は、葉切り蟻、ジャングルで生き延びるときに役立つ蔦、生命の木、きのこ、馬のたまたまという名の木の実、傷に効く葉、香りのいい葉などなど。そんな話に目をきょろきょろさせながら歩いている内に早くも目的の洞窟の入口に到着。
いざ、洞窟探検へ
1時間弱で写真で見たことのある洞窟が大きな口をあけて待っていた。すぐ手前に1人の男が簡素な東屋にかけたハンモックから我々の様子を見ている。盗掘者などを見張ってるのだろう。手荷物はすべてここに引っ掛けておいて、洞窟へは体ひとつで入って行く。洞窟に入る前に少し腹ごしらえ。持ってきたカロリーメイトをほおばり、水で流し込む。
入口手前にはかつて建造物があったという。マヤの時代、ここにはどのような目的でどのような人がやってきたのだろう。
洞窟の入り口も水がたたえられている
入口がまず第一関門だ。入口には水が溜まり小さなプールのようになっている。2、3歩行った所で足は届かない深さになり、そこから6~7m泳がなければならない。
マヤの神話「ポポル・ヴフ」で描かれる地下世界(冥界)シバルバー。それは人類創生の物語でもあり、マヤにとっての死を暗示するものだった。その神話によるとそのシバルバーは「大いなる水を渡って行った」先にあり、そこには「石槍の部屋」や「こうもりの部屋」があり、マヤの祖先はそこで苦難を乗り越えて地上へと戻ってくるのだ。
第一関門のプールはそのシバルバーの「大いなる水」のように私たちの前に立ちはだかった。泳ぎ切ったその先は浅瀬になっていて、ヘッドライトを頼りに隊をなして進んでいく。小魚が足元を泳いでいく、小さなえびらしきものがいたり、石の割れ目にかにが潜んでいたり、頭上ではこうもりらしきものが・・・。
洞窟の成り立ち自体が、このあたり一帯の特徴である石灰岩質の大地。メキシコのユカタン半島からベリーズにかけてそのやわらかい大地に、数知れないセノーテ(地下の泉)や洞窟があり、それらを地下で結ぶ水路も多くめぐらされているという。まさかベリーズからメキシコまではつながっていないだろうが、ヘッドライトを消して足探りで歩いていると、どこまでもこの洞窟が続いているように思えてくる。
さらに洞窟深部へ
洞窟は自然が作りだした奇跡。それゆえ道は平らでも穏やかでもない。再びプールを泳ぐこともあれば、水に肩まで浸かりながら岩と岩の間の狭い空間をすり抜けるような場所もあり、両手両足を駆使して進んでゆく。ところどころで、石筍やそれが天井からのツララ石とつながった石柱などがガイドの照らすライトに美しく映える。見上げると石槍のようにかぶさってるものもあり、歩いているすぐ横にあったりするが、保護のため触れてはいけない。
ガイドが立ち止まる。ここで行き止まりかと思いきや、脇にある大きな岩をよじ登り始めた。ステージはさらにこの上に続くようだ。岩によじ登った上で、さらに腰の高さほどの場所に這い上がらないと次に進めない。私が這い上がったとき、そこには別のグループがちょうど降りてくるところだったことがわかった。30分以上歩いているはずなのに、それまでまったく他のグループがすでに入っているとは気付かなかった。どれほどでかい鍾乳洞なんだ。
そこから少し傾斜があり、登っていくと、石灰岩が棚田のように広がっていた。ゆるい波が固まったようにも見える。そして、そこかしこに壊された壷が転がっている。その横には骨のようなものも見えた。神に祈るため、いけにえをささげたというが、幼い子供という説、捕虜などを殺したという説もあり定説はまだないようだ。
棚田のように広がる石灰岩。
テラス状に奥へ向かって続いているのが分かるでしょうか?
儀式に使われたのか割られた壷やいけにえであろう人骨が当時のままに散らばっている
洞窟探検最終地点。待ち受けていたものは…
石灰岩の階段を登ってゆくと、宮殿のような広い空間に出た。周りを石柱がそれこそ御殿の柱のように天井を支えているように見える。その鍾乳石の柱がガイドのライトに天国のような美しさを見せる。発見者はここを「カテドラル=大聖堂」と名づけたようだ。しばらくここにたたずんでいたくなるような場所だ。
鍾乳石の柱によって作り出された「カテドラル」
しかし、ガイドはさらに奥に案内してくれる。空間は狭くなり、修道者の修行場所といった雰囲気の場所に、きれいな人骨が残されていた。説明によると背骨の一部が鋭利なもので突かれて破損していることから、背後からの刺殺されたようだ。男性か女性かとの論議もあったようだが、今は男性という結論に達しているらしい。かれこれ地上を離れること約1時間半。冥界にさまよいこんで、この祈祷所のような空間に来ると、なんとも神聖な気持ちになる。
スコールの洗礼、そして帰還の安堵
まだまだ道は続いているようだし、あちこちに枝道もあるようだ。しかし、時間は限られている。余計なことをして、貴重な文化遺産、自然遺産を傷つけるようなことがあっては申し訳ない。名残惜しい気持ちを押し殺して、ガイドに従いおとなしく帰途に着く。来た道と同じ道を戻るのだが、まったく同じとは思えない。光の照らす方向で景色は全然違うように見えるのだろうか。どきどきの洞窟探検を2倍楽しんだ気分だ。
しかし、暗闇に目がなれた分足取りは速くなった気がする。最初に入った入口のプールに戻ってきた。少し外が暗い。浦島太郎ではないが時間が予想以上に立ったのだろうか?そうではなかった。外は雨。雨季のスコールがやってきたのだ。どうせ、もう水浸しの体だ。スコールでへこむ心境ではない。しかし、足元が滑りやすくなってるのには閉口した。慎重に雨の中を駐車場まで戻った。
駐車場には水圧は心もとないがシャワー兼更衣室がある。入れ替わりで着替えをし、ちょっと遅いランチをいただく。ベリーズ風チキンカレーといったところか。詰めたいジュースもあり、腹が落ち着いた。
ご満悦
全員車に乗り込む。すでにまた来たい気持ちになっている。カメラ撮影ができないことが当初とても残念に思えたが、行ってみて、逆に、この体験は行った人しか味わえないし、伝えられないものだと思うと、かえって、優越感?みたいなものがムクムクと沸き起こってきて、ひとりニヤニヤしながら宿に向かった。
おしまい。