文・スケッチ●三木 昇
「皆の衆 この谷間からの土砂で扇状地じゃ」
「ハワイと日本はちょっとずつ近づいてる」
「そうね、聞いたことあるよね。そのうちハワイにすぐいけるようになるわけ」
「そりゃいいわね」
「あのねぇ、アンタの生きてる間はそりゃ無理だよ。だいたいハワイが日本にくっついたら、なんも暑くもないじゃん」
てな具合ですけども。近頃は来るかも知れない大地震のことがよく話題になるので、地球の表面がわずかずつ動いていることを知っている人が増えてきた。
白き峰々のヒマラヤ。インドの奥、チベットとの間のものすごい山の中なんだけども、海の化石、アンモナイトを拾うことができる。それはチベットのほうとインド亜大陸がゆっくりとぶつかった。その間にあった海の堆積層がゆっくりと押し上げられた。その海の生き物の化石を8,000メートル級のヒマラヤの谷間で拾うことができるのだ。「そういうこともあるんかいな」ということだが、5000万年前から動きだしたという壮大な時間の中での出来事である。このインドがチベットに突っ込んだ。ホントかいなということを確かめる。これが今回の旅のひとつの目的だった。
旅はネパール入りをして、インド国境に近い亜熱帯のタライ地方、チトワンへ。亜熱帯の動物や民族を一通り確かめたのち………
カリガンダキ・コーラ(川)上流部の広大な河原
バスに一日揺られてヒマラヤ近くの都市ポカラへ、そして飛行機で大ヒマラヤの中、ジョムソンへ。いままでは亜熱帯の森と平原のところから、白き峰々の間の深い谷間に降り立った。
ここはいままでとは違い乾燥した大地、乾季ということもあって緑は少なく、よけいに白っぽい土色の世界へと一転した。モンスーンといわれる雨季、雨はヒマラヤの前面に落ちて、内陸は乾燥地帯となるのだ。
スケッチ:三木 昇
まずはジョムソンで確かめたのは、取れたてのヤギ。このあたりではヤギなどもその場で解体していろいろのことに利用している。
取れたてというのもへんだが、ガイドたちが出発の準備をするあいだ、お茶を一杯と茶店に入る。ここで無造作に置かれたヤギの頭、取れたてにびっくり。さらにトイレのある裏庭には赤剥けの赤いヤギさん一頭。丸ごと。ヤギの頭はそういうことだったんだよね。皮は長方形にされてこれは座布団や布団に利用される。生き物をいただくということはこういうことよね。
歩きだしてしばらく、そのヤギの群れに出くわす。道端に鼻をつっこみ何か食べるものはないかと道草食いながら移動していく。その生えている潅木はと見ると、トゲの塊のような豆科の潅木である。こりゃヤギは枝も食えないな。浜茄子に似た小さな実をつけるトゲトゲの潅木にも出会った。
トゲに守られて葉っぱが見える
食い尽くす ヤギさんたち
そして大きな実を残す朝鮮朝顔の仲間、有毒植物。これは江戸時代紀州の医師、華岡青洲が麻酔薬の材料とした植物である。アトロピンなどを含む。薬と毒とは紙一重。これは食わないよね。
石垣の内と外 白の砂と茶色の草
街中はヤギさんたちにより、きれいに草刈りされていて手入れが行き届いているように見える。茂っているのは毒、トゲの植物。ヤギ型ともいえる植物景観である。ヤギたちから作物を守るため、畑にはぐるりと石垣をめぐらしてある。この石垣の中は草ぼうぼうなのである。その石垣にも上にトゲの植物を植えたり、トゲの枝を石垣の上に張りだすように石の重しをのせて設置する。よほどヤギ対策には気を遣わないといけないようだ。街を綺麗にしてくれてるけども、作物を食べられてはね。
その石垣だが、積み上げられた石垣の石の1つに古代の海の名残り、貝化石の入る石があった。ここはテーチス海と呼ばれた海の生き物たちの化石がある。そのひとつ有名なのがアンモナイトである。川原に落ちているというがそう簡単には拾うことができない。なにしろ手ごろなお土産として各所で売られているから、地元民は目を凝らしいるのだろう。河原にあるから買うのも悔しいが、さりとて拾うとなるとそう簡単にはいかない。旅の仲間がなんとかゲットしようというのだが、かけらはあったがダメ。あとで土産屋で買った。
この化石を含む堆積岩は谷の両側斜面に縞模様を見せている。海の底に静かに層をなして堆積していた地層が、大地の動きでひん曲がったり、折れ曲がったりしているのだ。大陸がゆっくりと移動して、その間にあった海の底にたまったものが、今は地上に持ち上げられ、しかもひん曲がったり立ったり。フーム、そういうことか。ともかく大地の動きというものはすごい。岩は硬いから曲げられるもんじゃないよね。だけどここではひん曲がってるよ。インド亜大陸がチベットに突っ込んだか。と納得。大雑把に言えばの話だけどね。
世界で最も深いといわれる谷間の様子。ガサから昔のトレッキングコースをたどる
この堆積岩地帯を一日歩くと、次の日はインド亜大陸がぶつかったときに、地中にもぐりこんだ海底の堆積岩が、地下深くの高温高圧により変成(※)し変成岩となって地下から浮上してきた地帯を歩くことになる。いままでの広い谷間が狭く、深くなる。ヒマラヤの山々を作るゆっくりとした大地の上昇、上昇するが、川はその上昇する大地を浸食しながら流れ下る。まわりの8,000メートル級の山々のつくる谷間となると、その深さは壮大だ。世界でももっとも深い谷間といわれている場所を歩く。なんだか、ともかくも深い峡谷である。世界で最も深い。ホント? などと思いながら、いや、長く続く山道に疲れて早くお昼にならないかと思いつつ山道を下った。
里に下りると積み上げられた変成岩の板、黒雲母がキラキラとまぶしい。我々は堆積岩地帯から、変成岩地帯へと入ったのを確かめた。
※変成……熱や圧力の作用を受け、岩石を構成する鉱物の組み合わせや組成が変化すること。
二つ折もあり であります 堆積岩
キラキラと黒雲母の輝く片岩
変成岩のところでは片岩とよばれる薄く板状にはがすことができる岩がある。薄く広い石材をとることができる。板状の岩はさまざまな生活の材料となる。目につくのは薄い板を利用した屋根である。歩き始めのジョムソンあたりでは材木を沢山渡した天井に、土を厚く載せた平らな土屋根であった。あの辺は雨量も少なく雨を流す必要もあまりないのであろう。
このあたりでは雨量が違うのか、薄い岩板は切妻の屋根となる。この他、薄板を利用して石畳、家屋の材料となっている。腐らない板材として広く利用される。そこに暮らす人々は、生活を便利にするため、自分たちの住む場所から取れるものをいかに有効に使うか考える。そのくらしを確めた。
石の薄板の屋根
ヒマラヤの大地の動きはまだまた充分に研究されていない。研究者によるフィールド調査はさらに複雑なヒマラヤの形成過程を解き明かしてくれるだろう。2日目、車と歩きの旅では昨日までの地層がグニャリと曲がった様子はみられなくなる。化石を拾うこともできなくなってしまった。3日目は車で里に降りていくことになった。
大地の動きも興味深いが、森をつくる植物もあわせて興味深い。歩き始めの日、山はビャクシンの仲間の森の地帯である。本州中部などの住宅地で植えられる貝塚伊吹(※)の大きなものと思えばよい。このあたり、2,500メートルを超える高地ではあるが、低緯度である。マイナス何十度に下がるわけではないし、人々は着こんでいるので、そうそう暖房の薪を使用しているわけではない。しかし、日々の煮炊きの薪は、森をどんどんと消滅させていく。道中、薪を籠に入れて背負う姿を多く見た。いかに毎日の仕事として薪の確保が大切な仕事なのかを目の当たりにした。また、建築材としても利用されている。かつての日本もそうであったように、薪は森林を食いつぶしていっている。日本は石油とプロパンで森が守られたのである。この山奥の谷間でもプロパンの利用が始まってるがお金がかかる。当分は森を守るまでにはいかないだろう。
ここでは信仰の対象として切らずに残されたビャクシンの木を確かめた。高さは15mを超える。かつてはこのような樹木に山々が覆われていたのだが、今は保護された木のみである。10mに満たない木が山肌に立つ。山肌には山道が見え、薪を担ぐ人々が降りてくる。人々は薪とりに精を出しているのである。
※貝塚息吹……カイヅカイブキ。ヒノキ科ビャクシン属の小高木。イブキ(ビャクシン)の園芸品種、公園や住宅地の生垣きとしてよく見かける。
人も牛も薪運び
ビャクシンの木 信仰のために保護される木。本来この木がどこまで大きくなるかを示している
実は30年前にここに来たことがある。その時には粘土で作られた小さな塔が奉納されていた。信仰の証しである経文を彫りつけたマニ石も奉納されていただろうか。
今回は遠くから眺めただけ、道中、荒れたマニ塚もあって、あれからご信心のほうは薄くなっているような印象を受けた。
歩くにつれてビャクシンの森は次第に松の森に変わっていく。なんだか風景が変わってきたみたいね。歩きながら風景の変化を確かめていく。温度と降水量の変化に伴い松が多くなるのである。広葉樹林はまだない。日本では落葉を山から集めて堆肥にするものだが、ここでは松葉を背丈ほどに積み上げて、山から下ろす姿を見ることになる。樹脂を含む松葉は日本では、竈のご飯炊きの燃料であったものだが、ここでは堆肥の材料。ウーム、人々の工夫というものを見た。
長い1日目の歩く旅は松林に囲まれた宿で終わる。長い葉を持つ五葉松である。日本にはないタイプの松、松毬が細長い。25cmを超えるものがある。これを手にして確かめる。松毬があるとこれを食べる生き物、栗鼠がいるものだ。案の定、栗鼠の食べかすも宿の前に落ちていた。松林には栗鼠ね。と手にとって齧り跡を確かめた。
森は松林となる ここから薪、建築材、
堆肥にする松葉を採取する
栗鼠は種子をつまみ出せないので
齧って種子を取り出している
左奥のちっちゃな赤はポインセチア、
手前は蜜柑の木
植物の変化はやがて竹を使う様子を見、蜜柑の木があり、バナナも出現するにいたる。標高の高いジョムソン(約2,700m)には竹はないが、下がるにつれて人々の生活の中に竹の利用が見えるようになる。タトパニ(約1,190m)ではホテルの庭にはバナナの木があり、ポインセチアの赤い葉が見えていた。
とすれば、標高差により気候変化があるのよね。とわかるではないか。これが歩く旅の醍醐味だ。
歩くことは発見の旅である。歩くことでいろいろなものに出会える。車ですーっと行っては目に入るものも少ない。手にとることもできない。
ゆっくり歩いていると対象物が目にはいると、なんだろうと気持ちを移すことができる。そして気になるもののところで立ち止まって、なんだろうと思って、近づいて確められる。
なんだろう?
では、「確めてみよう」。
これが合言葉の旅であった。
大ヒマラヤを確かめた後、タトパニの温泉へ。火山のないヒマラヤの温泉は非火山性温泉といい、地層の深いところで地熱によって熱くなった水が断層の隙間で地表に上がってきたものである。そのお湯の温度を確かめて、体を休めた我々であった。
〜ジョムソンからポカラ 旅の行程〜
「風通信」39号(2010年3月発行)より転載
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