第116回●セキサンハルタ ~ウルムチの八十袋屋~
セキサンハルタ メンツィカン入学前の2000年5月、故難波恒雄先生(第94話)の薬草調査に同行してウイグルを訪れたときのこと。中心都市ウルムチの街の一角に生薬の袋をズラッと並べて売っている人がいるのに気がついた。これは「 […]
セキサンハルタ メンツィカン入学前の2000年5月、故難波恒雄先生(第94話)の薬草調査に同行してウイグルを訪れたときのこと。中心都市ウルムチの街の一角に生薬の袋をズラッと並べて売っている人がいるのに気がついた。これは「 […]
チベットの民族衣装チュパ姿の筆者ラサの郊外にて 日本の着物に対するチベット人の憧れは、日本人が思う以上に強くて驚かされる。メンツィカンの同級生の何人かは、どこで手に入れたのか、日本女性の着物の写真を部屋に飾っていたものだ […]
指宿での講演会実物の医学タンカの解説をしているところ 2012年3月25日、鹿児島県、指宿での講演会のため、はじめて鹿児島に足を踏み入れた。そして鹿児島市からローカル線で指宿へ向かっているときのこと。先頭車両に乗っていた […]
試合を応援するメンツィカンの学生たち メンツィカンにはサッカーとバスケットボールのチームがあり、年に1度行われるトーナメント大会に出場している。大会は5,6月に行われ、インド・ネパール各地のチベット団体から代表チームが集 […]
リキールハウス 2012年2月27日。3月4日からはじまるダラムサラ・ティーチングツアーのためにインドに先入りした僕は、デリー郊外にあるリキルハウスという、ラダック僧院が経営するホテルに宿泊した。デリー空港に比較的近いこ […]
洗濯風景 メンツィカン(チベット医学暦法大学)を卒業し、3年経過した今だからこそ告白できることがある。チベット人同級生たちに発覚しないようにコソコソと隠し(チベット語でサンワ)続けていたことがある。連載が第111話に到達 […]
寮の屋上で洗濯するジグメ メンツィカンで寮生活を送っていた2002年のときのこと。毎日、夕方4時半ころになると、ルームメイトのジグメ(第2話)は必ず、ラジオのスイッチを入れる。20×30センチもある黒くて大きなラジオはか […]
レチャクパ日本名クサジンチョウゲ 2009年、都内で開催された野元甚蔵さんの講演会に出席した。野元さんは鹿児島県生まれの92歳。戦前に陸軍特務機関の命を受けてチベットに潜入。モンゴル人を装って1年半、チベットで暮らしたと […]
ラサ郊外で見つけたソーラークッカー 昨年7月、チベット薬草ツアーに同行した際、村や街のあちらこちらでソーラークッカーを見かけた。パラボラのように開いた銀色パネルの中央に太陽光(チベット語でニマ)を集めてお湯を沸かすという […]
鹿を捌く中村さん 2005年のヒマラヤ薬草実習中、さらに山深いところに生える薬草を採取するために、屈強な男子学生だけを選抜して特別遠征隊が編成された(第27話)。このメンバーに選ばれるためには(倍率2倍)、実習前半、必要 […]
トウキの幼苗 2011年10月20日、ふるさと富山は高岡、戸出町で「チベット医学の世界」と題して講演会が開催された。しかし、この日は気が重い。なにしろ僕の小さいころを知っている人たちばかりが集まるのだ。しかも、あろうこと […]
メンツィカン1、2年生のころ、カメラ(チベット語でパルチェ)は薬草を撮るためだけに使っていたけれど、本エッセイ連載が始まった2006年、4年生のころから、同級生たちがヒマラヤで奮闘している姿や、テントに戻ってきてほっとし […]