文・写真●鷲尾 惟子
音・音楽に込められたもの
結婚式やバザールなどウイグル人が集まれば
自然と踊りの輪が広がる
「音」という言葉で皆さんはどういったものを連想されるだろうか。自然の音、人工的な音、あるいはもっと物理的に何らかの振動によって生じる音など、人によって「音」に対する印象にも差異がある。
しかし、この「音」という字に「楽」という一文字を加え、「音楽」という言葉にすれば、意味合いは大いに変わる。なぜなら「音」という文字だけであれば、人間の感情は必ずしも伴わないが、「音楽」となれば「楽しむ」という人間としての情感が明確になるからだ。わかりやすい具体例を挙げれば、楽器は音楽の表現手段であるが、そのモノだけでは人を感動させる音楽には結びつかない。楽器はヒトが「演奏する」という行為によって、初めて音楽という感動を生みだす材料に変わるのだ。
今日、上記のような「音」ないし「音楽」は、世の中に限りなく溢れている。私たちは無意識のうちにそうした音空間の中で生活している。しかし、多忙で忍耐を強いられる日本社会の中で、音楽によって心の根底にあるモヤモヤとした気分をスッキリと爽快にしてくれる機会や時間というのは、少ないかもしれない。まして、好きなミュージシャンのコンサートへ自ら足を運ばない限り、音楽とともに大声をあげ、汗だくになるほど身体を動かし、周囲にはばかることなく感涙する機会などは皆無に近いだろう。
そんな日本での日常の疲れやストレスを、「音」や「音楽」によって一気に吹き飛ばせる地域のひとつが、中国新疆ウイグル自治区(以下、新疆)である。
新疆には様々な民族が暮らしており、その民族ごとに異なる音楽がある。その音楽の多様さゆえに、当地は「歌と踊りの故郷」とも呼ばれるほどだ。新疆の主要民族であるウイグル人の音楽1つとっても、その種類は数知れない。ユネスコの世界無形文化遺産に指定され、ウイグル人がシンボリックな音楽として誇る古典音楽「ムカム」を筆頭に、各オアシスにおいて異なったスタイルをもつ民間音楽があり、新疆の音楽を一括して語ることは容易ではない。
これほど違う!? 各地域の音楽
ウイグル音楽の楽器は多種多様
写真は「ナグラ」と呼ばれる太鼓と
チャルメラ型の「スナイ」
特にウイグルの音楽はジャンルや音楽空間が多様多彩である点に魅力がある。その魅力のひとつは、各オアシス地域によって異なった音楽スタイルを視聴できることだ。
前述したムカムも、地域によりスタイルの異なるムカムがある(注1)。このムカムとは、アラビアの音楽「マカーム」に由来するとされ、他の中央アジア地域にも類似した音楽形態が存在する。ウイグルのムカムの場合、最も代表的なのは「12ムカム」である。「12ムカム」は12の楽曲からなり、1つのムカムで3つのパートに分かれ、さらにそれぞれのパートが細分化されている。ただし、1つのムカムを全曲通して演奏する機会は滅多になく、大半は細分化されたパートを断片的に抜粋して演奏する。
なぜならばこの12ムカムは、1つのムカムの演奏だけでも2時間、12ムカム全曲に至っては24時間(!)を要するという長大な楽曲だからである。以前、旅行会社の知人に「『12ムカムを全曲聞こうツアー』なんて企画をしたら、誰も参加しないだろうな」と冗談で話したこともあった。
この12ムカムのほかに、ハミ(コムル)やイリ(グルジャ)(注2)、カシュガルなど、各地域によって形態が異なるムカムが存在する。
特に、最近注目されているのが、ヤルカンドからメルケト、アクスのアワット県などで農民の間に受け継がれている「ドラーン・ムカム」である。使用楽器も、歌の発声法も他のウイグル音楽とは全く異質なものであり、それに伴った踊り「ドラーン・ウスーリ(「ウスーリ」は「踊り」の意)」も、日常においてウイグル人たちが踊る「セネム」と呼ばれる踊りのスタイルとは全く異なる。
これは、かつてこの地域一帯が、ウイグル人を含むテュルク系住民たちとエスニック・グループも生活習慣も異とした「ドラーン人」の居住区であり、音楽においては、その名残が今日でも温存されているためと推測される。
ドラーン人のルーツは今日でも謎であり、一部の歴史研究者は(注3)、コルラ周辺に居住し、同じくウイグル人とはかつてエスニック・グループが別であった「ロプ人」との関連性に関し考察しているが、今なお真相は不明である。
今日では、ドラーン人もロプ人も全てエスニック・グループとしては、「ウイグル人」の中に含まれている。が、どのようなルーツであれ、その音楽や踊りはインパクトが強く、第一声の叫び声に近い歌声と踊りのスタイルに、大半の人が圧倒されるだろう。
通常「ドラーン・ムカム」「ドラーン・ウスーリ」はヤルカンド河からタリム河にかけての限られた地域でしか見ることができない。しかも同じドラーンの音楽でもメルケトとアクスのアワットの踊りは、さらにスタイルが異なる。いかにウイグルの音楽が奥深いかおわかり頂けるだろう。
年長者から見よう見まねで踊りが伝承されていく
他方、ウイグルの音楽ジャンルには、ムカム以外に、各オアシスによってレパートリー性をもつ「民間歌曲」「民間舞踊」などがある。日本で言えば、民謡や「阿波踊り」のような地域特有の踊りや歌といったところだろう。
どちらかと言えば、ムカムよりもこの民間歌曲や民間舞踊の方が、ウイグル人にとっては身近なものである。ムカムでは古典的な言い回しなどが歌詞に含まれ、現代ウイグル語では解読不明な部分もあるため、誰でも歌えるというものではない。しかし、民間歌曲の場合はプロ、アマチュアを問わず、口ずさむ事ができ、さらにそうした各地域の民間歌曲が最近では、沖縄ポップスのようにポピュラー音楽(ウイグル・ポップス)として流行の一途を辿るなどの現象も見られる。ゆえに、民間歌曲を歌う年齢層も広い。
こうした民間歌曲や民間舞踊も地域によって差異があり、その差はムカム以上である。民間歌曲の代表地域としては、イリ、トルファン、ハミ、クチャ、カシュガル、アトシュのほか、前述したドラーンやホータン、ロプなどがある。(↑地図参照)
例えば、車で僅か20分ほどの距離にあるカシュガルとアトシュでさえ、互いに自らの出身地にアイデンティティを持っており、音楽を同一視されることをあまり望まない。実際に聴けば、アトシュ・スタイルの音楽は、カシュガルのものとは異質である。
さらに、郷や鎮の単位で見ればさらに細部にわたる民間歌曲のスタイルの差異があるだろう。これら地域の差異は、音楽の専門的知識がないウイグル人であっても、聴けばすぐにどの地域のものかがわかるという。
専門的に言えばきりがないが、例えば、歌詞が長く引き延ばされ、その間に「ワーイ」「ジャネーィ」といった言葉が入り、メロディがどことなく日本の民謡に近い印象をもつ歌であれば、イリの民間歌曲。中国の音楽に類似したように感じたならば東新疆のハミやトルファンの音楽。イスラーム圏の音楽を彷彿とさせるメロディであれば、西新疆のカシュガルの音楽である場合が多い。同じウイグルの音楽と言っても、これほど異なるものかと感心されられるほど、民間歌曲は多様である。
また、民間舞踊も地域特有のものがある。前述のドラーンの踊りのほかに、トルファンで主に踊られる、「ナズルコム」も知られている。滑稽で笑いを誘う「ナズルコム」は、かつて社会風刺から始まったとされる。また、カシュガルではイスラームの二大行事とされる「ローズ祭」「クルバン祭」に、「サマ・ウスーリ」という男性のみの逞しい踊りがエイティガール・モスク前の広場で繰り広げられる。
ローズ祭、クルバン祭の日に踊られるサマ・ウスーリ。エイティガール・モスク前は独特な熱気に包まれる
ムカムがウイグル人にとってのシンボリックな音楽であるならば、民間歌曲や民間舞踊は、ウイグルのオアシス社会を象徴する音楽と言って良いだろう。ウイグルの音楽の地域特有の違いを鑑賞し、聴き比べるだけで、新疆各地域の文化的差異を紐解くことができる。筆者にとってそれが新疆の楽しみの1つでもある。
笑顔と活力を取り戻せる場所
街のあちこちから音楽が聞こえてくる(カシュガル)
ウイグル人の音楽は基本的に躍動感と生命力に満ち、過酷な乾燥地域で逞しく培われてきた活力を感じさせる。また、音や音楽は、過去の記憶やその時の情景、印象、感情を呼び起こさせる力を持っている。ウイグル人たちが音楽に興じている姿を目の当たりにした人は、彼らの音楽に対する情熱にまず圧倒され、帰ってからもその歌声や地に響き渡るリズムが、しばらく頭から離れないだろう。
音楽だけではない。筆者からすれば、物売りの声や道行く一般人の鼻唄や会話、騒々しい車のクラクション音や、カセット・VCD販売店 (注4)のスピーカーから壊れんばかりに流れてくるウイグル・ポップスのリズム、ゴビ灘を走る際の砂の轟音など、自然音であれ人工音であれ、現地で耳にした「音」や「音楽」全てが新疆ならではの音空間であり、現地の情景とともに、しっかりと自らの心に記憶として刻み込まれている。
同時に、そうした音楽とともに甦ってくるのはウイグル人たちの満面の笑みだ。昨年は、一時期その笑みが消えてしまった時期もあった。日本ではそうした状態が未だに続いていると錯覚している人もいるだろう。しかし、おそらく、そのような人々が今の新疆に実際に行けば、テレビやインターネットのステレオタイプな報道と現状との差に、呆気にとられるだろう。ほかでもない、筆者自身、昨年末から1月にかけてウルムチとカシュガルを訪れた際、我が国で報道されている情報とのあまりのギャップに拍子抜けし、安堵するとともに、出発直前までの不安感に苦笑した。すでに彼らの笑みは戻っていた。
警備の人たちはいくらか見かけるものの、ものものしい雰囲気は感じられず、世間話で盛り上がり、「ヘィ! 日本からか?」と気軽に声をかけてくる。街中では結婚式を祝福するために伝統楽器である太鼓「ナグラ」とチャルメラの「スナイ」を乗せて演奏するトラックが賑やかに走っていた。ウルムチでもカシュガルでも同様の光景を頻繁に見かけ、日本人や欧米人のバックパッカーもいた。
カシュガルの観光名所でもある職人街へ行けば、馴染みの店員や友人たちが「今年もまたやってきたな!」と笑顔で挨拶を交わしてくれ、店の呼び込みである「ケッセ! ケッセ!(いらっしゃい!)」の活気づいた声が各所から聞こえてくる。開発による変貌は否めないが、街の活気や、彼ら特有の笑顔、冗談などは全く変わっていない。
また、ウイグル人は、いかなる状況の時でも音を楽しむ心を忘れてはいない。ウイグル人に音楽がある限り、複雑な事情が様々あったとしても、彼らの笑顔は決して無くなりはしないだろう。
子どもたちの笑顔は変わることがない
勿論、皆が皆こうして毎日を楽しんでいるわけではないのだが、筆者が実際に見て感じたのは、彼らは自らの感情を素直に出し、笑いたい時には腹の底から笑い、泣きたい時には辺りかまわず泣き、日本人のように心の中に溜め込むということをせず、苦しければ踊り、歌い、その日のうちに苦しさを忘れる術を知っている、ということである。その辺り、ウイグル人は日本人よりも、よほど逞しい。
筆者の出発前、知人たちは随分と心配してくれていたが、以前秋葉原で起こった事件に例えれば話は早い。東京都のある一角で起こった悲惨な事件であったが、あの事件が海外で報道された際、一部の人びとは、まるで東京都全体が危険な場所と錯覚し、果ては「今、日本に行っても大丈夫だろうか」などと聞いてきた。新疆の場合も、状況は異なるが、あくまで今の現地の人たちは落ち着きを取り戻し、すでに明日のことを考えている。
筆者からすれば、嫌なことがあるとすぐに忘れるというのが、ウイグル人の長所でもあり短所でもあるのだが、生活の上では長所に働いているようだ。彼らは、楽天的であり、苦しい状態であってもそれを笑って忘れよう、気にせずとにかく明日を生きて行こうという逞しさとしたたかさを持っている。
嫌なことがあったとしても、踊って歌って発散する。筆者もまた現地へ行く度に、大声で歌っては笑い、そして汗まみれになるほど踊り、日本では味わえない非現実的な空間に酔いしれ、心地良い爽快感と充足感を体感する。そうすれば、日本であったこまごまとした嫌なことなど、どこへやらである。もっとも、嫌なことがあったからといって、そうした空間で毎夜酒を呑みながら、踊って騒いで現実逃避することは良くないが、楽しむという時間が少ない日本人にとっては、こうした空間や時間も時には必要だろう。ウイグル人の中には、ほどよく遊び、しかし努力を怠ることをせず、仕事に誇りをもち、そのチャンネルの切り替えが絶妙な人も多い。
いずれにせよ、新疆は、今日においても、そうした音空間を通して、今の日本人が忘れかけている人情や笑顔を思い出させてくれる地なのだ。
ウイグル音楽を体感してみよう!
ウイグル・レストランで踊りを楽しむ人々
ウイグルの音楽を楽しむには、鑑賞するだけではなく、自ら参加するに限る。その空間も様々であり、場所によってバザールで定期的に行われている「メシラップ」と呼ばれる歌舞音曲や漫談、コントなどを交えた空間もあれば、ドラーンのような民間人たちの集い、あるいはダンスホールのようなウイグル・レストランで、電子楽器と伝統楽器を混ぜて大音響で演奏される伝統音楽やウイグル・ポップス、挙げ句はディスコやチークダンスなどもある。古きも新しきも包括した現在の新疆の音空間を体感し、楽しむことが、現地に愛着を持てる1つの手段と言えよう。
日本人の中には、踊りとなるとためらいがちになる人も多いが、ステップやスタイルなどは全く関係ない。ウイグル人たちからすれば、遠方から来たお客さん踊りに誘い、たとえそれで上手く踊ることができず、歩き回ってくれただけでも、彼らは自分たちとコミュニケーションを図ってくれたと喜んでくれることだろう。
何より、どれだけ大声をあげても、動き回っても許される。これほど、自らの心身を解放してくれる空間が、日本であるだろか。せいぜい、カラオケ止まりで仲間うちだけの楽しみである場合がほとんどだ。しかし、新疆では初対面であっても外国人であっても関係なく受け入れてくれ、ウイグル料理に舌鼓を打ちながら、日本の日常でたまりきったストレスを全て吐きだし、躍動感あるリズムで心弾ませることができる。筆者は時々、そうしたウイグル・レストランで、飛び入り参加でウイグルの歌を歌うこともある。ウイグルの音楽や音空間の中に、筆者は常に彼らの逞しさと笑顔でいられる秘訣を見いだしている。
インターネットなど、一部の報道のみで現地の状況を心配している人は、実際に自分の足で現地に立ち、五感をフルに生かして音空間を体感してみればいい。苦しい側面があるのも確かだが、「こっちの心配を余所に、あなたたちはそんなに歌って踊って脳天気にやってたの?」という逞しい一面を見ることができるだろう。それでまたこちらも現地の人びとの笑顔や音楽から鋭気をもらい、帰国後も明日に向かってやっていけるのだ。
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【注】
- イリ・ムカム、トルファン・ムカム、ハミ・ムカムなど。
- 新疆における地域名称は、同じ地名でも公的に使用される地名と、地元ウイグル人が私称する通称地名(括弧内)がある。
- 佐口透(1995)『新疆ムスリム研究』、吉川弘文館など。
- 新疆において、通常販売されている音楽媒体は、カセットテープか動画付きのVCD(ビデオCD)が主流で、音声だけのCDの普及は少ない。ただ、最近はDVDも徐々に見られつつある。
「風通信」40号(2010年6月発行)より転載
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