マルコポーロや玄奘三蔵、チンギスハーンやティムールなど、さまざまな人が行き交い、民族の攻防と融合の歴史の舞台となってきたウズベキスタン。 今も昔と変わらぬ街並みに感嘆し、活気みなぎるバザールに今の姿を見ることもできます。
サマルカンド ~青の都〜
ウズベキスタンの象徴とも謳われる青いタイルのイスラム建築群。それはそのままサマルカンドのイメージです。ソグド人の築いた商業都市サマルカンドはモンゴルの破壊を受けましたが、その後ティムールによってイスラムの都へと姿を変えました。
サマルカンドのレギスタン広場
チンギス・ハーン率いる蒙古軍がサマルカンドを蹂躙した後、街の中心がレギスタン広場に移ってきました。1420年にティムールの嫡孫ウルグベクによって最初の神学校ウルグベク・メドレセが建てられたのに続き、1636年にはシェルドル・メドレセ、1660年には黄金の装飾がまばゆいティラカリ・メドレセが建てられました。3つの神学校が向き合う広場はサマルカンドのイスラム建築の集大成。青いタイルに覆われたドームや幾何学模様の装飾は、いつしか“青の都”の伝説を生みました。
ブハラ ~宗教と商業の古都〜
16世紀にはブハラ汗国の首都であったブハラはイスラム教の聖都としても栄え、最盛期には360余のモスク、80余の神学校(メドレセ)がありました。旧市街にそびえる多くのミナレットや神学校、モスクなどはそのブハラ全盛時代の名残です。
ブハラの旧市街
ブハラの象徴は高さ46mのカラーン・ミナレット。1127年にカラハーン朝のアルスラン・ハーンによって建立され、遠くからブハラを目指す旅人には絶好の目印となりました。隣がカラーン・モスク。1万人の信者が礼拝できる巨大なモスクです。現存する最古の神学校ウルグベク・メドレセや、柱が美しいハーン専用のモスクであるバラハウズ・モスク等、多くのイスラム建築に出会うことができます。商業都市としての一面も持っていたため、タキと呼ばれる室内バザールも残されています。貴重な建築物の宝庫であるブハラの旧市街はユネスコの世界文化遺産に指定されています。
ブハラ旧市街の個性的な宿ミッリィーウィに泊る
独立して20数年のウズベキスタンでは、「見かけ」だけ立派なホテルはありますが、サービスというと他の国と比較することはまだできません。それならば、 ウズベキスタンの文化と生活が垣間見れるブハラの旧市街にある宿に泊まるのはいかがでしょうか? ウズベキスタンには、邸宅や神学校を改築した伝統的な趣ある宿「ミッリィ―ウィ」がたくさんあります。殆どが家族経営で温かみがあり、ウズベキスタン独自の装飾や手工芸品を施した内装などは一見の価値があります。バスタブが無い所が多く、 部屋の大きさも差があるのが事実ですが、清掃も行き届いていて快適な安らぎを提供してくれる事でしょう。
※弊社ツアーでは主にブハラ等で旧市街の宿ミッリィ―ウィをご手配しております。ご希望によりホテルを手配することも可能です。また特別企画など、設定コースにより条件は異なります。詳しくはお問合せください。
陶芸の街ギジュドゥヴァン
ウズベキスタンの特産物のひとつに『陶器』があります。ギジュドヴァンはフェルガナ盆地にあるリシュタンとならび陶器が有名で、特に黄色系統、オレンジ系統の地に緻密な植物の紋様が描かれているものが多く見られます。
ヒヴァ ~街中が博物館〜
二重の城壁で囲まれているヒヴァ。外城“ディシャン・カラ”は19世紀中葉に築かれ、ヒヴァ全域とカラクム砂漠とを隔てています。外城と内城の間にはヒヴァの新市街が広がっています。内城がユネスコ世界遺産“イチャン・カラ”で、18世紀に再建された高さ約8m、厚さ約6m、長さ2,100mの城壁によって囲まれており、城壁の内側が旧市街となっています。4つの門によって外の世界と結ばれているイチャン・カラにはクフナ・アルク、タシュ・ハウリの2つの宮殿、多くの神学校、モスク等が立ち並び、“博物館都市”とも呼ばれ、ユネスコの世界文化遺産に指定されています。