最後のチベット文化圏 ムスタン
ネパールの北部、中国チベット自治区との国境地帯に位置するムスタン(Mustang)地方は、何世紀にも渡りチベット仏教を奉じる独立国として、チベット高原とネパール・インドとを結ぶ「塩の路」(ソルト・ロード)の要衝として栄えてきました。18 世紀にネパールの版図に組み込まれても「王(藩王=ラジャ)」を名乗ることを許されたムスタン王が高度な自治を行い、ネパール領内の自治王国「ムスタン王国(ロー国)」(王都:ローマンタン)でした。2008 年にネパール王室の廃止に伴い藩王制も廃止され、最後の国王のジグメパルバル・ビスタ(1930-2016)は国王を退位し、ムスタン王国は600 年の歴史に幕を下ろしました。
ネパールに併合されたものの、民族・宗教・言語的だけでなく、歴史的、文化的にもチベット文化圏の一部であり、周囲から隔絶された地理的条件から、独自のチベット文化がタイムカプセルのように残され、まさに「最後のチベット文化圏」と呼ぶにふさわしい地域です。
ムスタンへの道:アクセスとパーミット
空路(国内線)
ムスタン地方唯一の空港はジョムソンにあります。
ネパール国内からはポカラ~ジョムソン間(約30 分)のみ運行。
天候に左右されやすく、年間を通して運行は安定していません。首都のカトマンズからはフライトがなく、雲が少ない早朝のフライトなので、前日はポカラで1泊する必要があります。
ジョムソンからムスタンの中心であるローマンタンまでは陸路移動となります。
陸路(ジープ)
近年になってネパールの第2の都市ポカラからローマンタンまでジープ道(未舗装)が開通。とはいえ道はガタガタの悪路なので、移動には時間がかかります。雄大な風景を楽しみながら、心に余裕を持ちましょう。特に雨期(6月~8月)は道路が崩れて復旧工事を待たなくてはならなかったり、ぬかるんで車がスタックしたりと、予期せぬ形で時間がかかることがあります。心の準備をしておきましょう。
移動時間の目安)
ポカラ~ジョムソン 乾期:8~10時間 雨期:10~12時間
ジョムソン~ローマンタン 乾期:6~8時間 雨期:8~10時間
陸路(トレッキング)
このルートは、カリガンダキ、その上流部分であるムスタンコーラの河床を遡るトレッキングです。もともとチベットとネパール、インドを結ぶ交易路だったこの地域では物資の輸送も馬やロバ、ヤクの背中に支えられてきたのです。チベットらしい荒涼とした風景とヒマラヤの山々の美しい風景の中、キャラバン隊や多くの旅人達の歩いた道を実感して下さい。徒歩でのトレッキング以外に、馬に乗って行くことも、乾季ならジープで行くことも可能です。
以前は馬による交易や移動が盛んでしたが、近年はモータリゼーションの波に押されて、馬による輸送や移動は激減しています。
1.ポカラジョムソンカグベニ 2.カグベニツェレ 3.ツェレゲリン 4.ゲリンツァラン 5.ツァランローマンタン 6.ローマンタン 7.ローマンタンチュサン 8.チュサンジョムソン 9.ジョムソンポカラ
入域許可証(パーミット):
ムスタンはネパール国内でも外国人の入場が制限された地域のため、事前に特別な許可証の取得が必要となります。許可証の取得には外国人2名以上のグループでの同一行動が義務付けられています。(カグベニ以北が制限区域)
費用は10日間まで500ドル、その後1日ごとに50ドル。許可証だけの手配は不可。
シーズンと気候
一年を通して乾燥しているので、雨期である真夏が、ベストシーズンと言われてきましたが、近年は夏場の雨量が非常に多くなり、春と秋がベストシーズンとなってきています。真冬は寒さが厳しく僧院のお坊さんたちは標高の低いポカラや下ムスタンへ移動してしまい、ロッジやレストランは閉まってしまうので、宿泊や食事条件が悪くなります。
ムスタン(上ムスタン)の主な見どころ
鬼女の腸 ゲミ
ゲミの郊外には、赤く染まった崖と、300mもあるメンダン(マニ壁)があります。「マニ」とは真言のことで、観音菩薩の六字真言(オン・マ・ニ・ペ・メ・フム)を刻んだ石板と粘土で築かれた壁で出来ているのがメンダンです。仏教伝来以前にこの地を支配していた魔女を、チベット仏教をヒマラヤに伝えた聖者グル・リンポチェが退治してばらばらに引き裂き、その肺が落ちたのがゲミの真っ赤な断崖で、腸が落ちたのがこのメンダンだとされています。
河口慧海が滞在した ツァラン
ムスタン地方で王都だったローマンタンに次ぐ第2の村です。人口は800人ほど。慧海はこの村に1年近く滞在し、チベット語とチベット仏教をモンゴル人僧侶セーラブ・ギャツォ博士に学ぶ傍ら、チベット密入国のための歩行訓練をしたり、情報を集めたりしました。16世紀にムスタン王によって建てられた王宮はかなり傷んでいますが、貴重な文化財が保存されています。ムスタンの初代の王アマパル自ら開いたとされるゴンパ(お寺)には100人以上のお坊さんが修行しています。
「ムスタン王国の王都」 ローマンタン
ローマンタンの街(村)は小高い台地の上にあり、王城は高さ7~8mの赤い城壁に囲まれています。城壁の中は迷路のように入り組み、ムスタン王が住んでいた王宮、僧侶たちが修行するチョエデゴンパ、古い仏教壁画に彩られたチャンパゴンパとトゥプチェンゴンパの2つのお堂、さらに民家など土壁の建物や仏塔などがぎっしりと建ち並び、その間を縫うように狭い道路が走っています。所々がトンネル状になっていてまるで迷路のようです。
街の北側に王城に入る門があり、城壁の周囲にはゲストハウスやカフェ、お土産物屋、雑貨屋などが並んでいますが、朝晩には放牧の羊が行き交うのんびりした風情が漂っています。
ローマンタン郊外
ニプゴンパ
チベット語で「太陽の洞窟」の意味。15世紀に「ローオケンチェン(ロー国の大和尚)」と呼ばれた名僧ソナムフントゥプが修行した洞窟を基にしたサキャ派の僧院。現在は僧侶学校が併設されていて、沢山の小坊主が勉強中。
ジョンケイブ(Jhong cave)
ムスタン周辺には多くの洞窟があり、大昔(およそ2000~1000年前?)には人類が住居として利用してきました。その後、最近まで仏教の行者たちの瞑想窟として利用されていました。
ローマンタンの北、ジョンケイブと呼ばれる洞窟は天然の穴を利用して人工的に広げたもの。中に入って人々が煮炊きした跡など生活の痕跡が見られます。
日本人初のチベット入国! 河口慧海とムスタン
今から約100年前、血気盛んな僧侶だった河口慧海は、日本の漢訳仏教に飽き足らず仏教の原点により近いチベットの経典を求めて当時鎖国状態だったチベット行きを決意しました。そこで、当時チベットとネパールの交易の要衝であったムスタンのツァラン村に長く滞在し情報収集をしながら機会をうかがいましたが、見張りの厳しいムスタンルートを断念。艱難辛苦の末、ドルポ経由でチベット入りを果たし、カイラス、マナサロワールを巡礼後、日本人として初めてラサへ入城。身分を偽りセラ寺へ入りました。漢方の医者として有名になりダライラマ13世にも謁見も許されましたが、身分が露見し帰国。その体験談が『チベット旅行記』(英題:「THREE YEARS IN TIBET」)となっています。遠くチベットを目指した慧海はこのムスタンの地で何を思ったのでしょうか?
現在も下ムスタンのマルファには慧海の滞在した部屋が博物館として残されています。