2008年、メンツィカンで研修医として働いていたとき、顔中が黒い斑点で覆われた尼僧が病院に訪れた。
「ちょっとあんた、何よこれ、どうしたの?」。僕の指導医は医師の立場であることを忘れたかのように驚いた声をあげた。日本なら不適切な対応として訴えられかねない対応に僕の顔面は凍りついたが、意外と尼僧は嬉しそうにニコニコ笑っている。
「すぐに治ると思わないけど、しっかりこの乳香の薬を飲みなさい。じゃあ二週間後に必ず来るのよ」
それから尼僧はいつも楽しそうに病院に訪れる。僕が、調子はどう、と尋ねると「うん、よくもなってないけど、悪くもなってないわ」と笑顔で答えてくれた。こんな風景に出会うと、チベット医学が日常に溶け込んでいることを実感できて嬉しくなる。
いっぽうでささやかな奇跡が起こることもあった。僕が一人で患者を診ていたとき左手の脈が少し不規則なことに気がついた。典型的なルンの脈だ。ルンは骨や筋肉と関係がある。そこで、確信としてではなく何気に「朝、こむら返りがしませんか」と問診したときの彼の驚く顔を見て「しまった!」と後悔した。まさかではあるが、当たってしまったのだ。「なぜ、脈だけでこんなことが分かってしまうのか」と神を崇めるがごとき視線を浴びつつ「えーと、あのね、まあ、これくらいは誰でも分かるんだよ」と弁明すればするほど「なんて謙虚なアムチなんだ」と眼の輝きは増してくる。どうかお願いだから「あのアムチは凄い」なんて宣伝しないでほしい。ほんとにたまたまなんだから。
栄枯盛衰。栄え盛り上がったならば枯れて衰弱してしまう。ならば栄えなければいい。派手に目立たない方がいい。実は、チベット医学が千年を超えて伝承されてきた理由は日々、平々凡々(チベット語でギュンテン)にあるのではと僕は客観的に分析している。そもそも、8世紀以来の名医の伝記を紐解くと、奇跡的な診断や治療よりはむしろ学問の偉業や社会的な功績が数多く記されていることに気がつかされる。つまり個よりも公を重視しているのだ(第117話)。だから「奇跡の」「糖尿病が治った」「癒しの」「若返り」などという派手な冠詞とともに日本や欧米に紹介されているのを見ると不安を覚えてしまう。なぜなら、こうして外国に誇大広告されることで、チベット医学の本質がチベット人にとってすらも見えなくなり、ある時、急速に衰退してしまうかもしれないからだ。
あるチベットの名医の治療記録を先生から特別に見せてもらったことがある。チベット薬を投与後の経過が3段階に分けて報告されており、いちばん右端の小さな欄にはほとんどDと書かれていた。「Dってなんですか」という不躾な問いに「Died・死」と一言、先生は簡潔に教えてくれた。「えっ」と驚いたあとに納得した。人は必ずいつかは死ぬ。治療経過がどんなによかったとしても年齢を重ねれば死んでしまう。当たり前のことを名医の治療履歴は教えてくれるとともに、患者たちの死から逃げることなく最後まで日々治療を続けた名医にさらなる尊敬の念を抱いたものだった。誤解のないように補足すると、名医の治療が病に対して無力だったわけでは決してない。薬を投与後に改善した例が多数あったからこそ貴重な記録として後世に残されたのだから。
2009年の帰国以来、こんな僕のところにも難病患者がたまに訪れる。でもチベット薬は手元になく奇跡的な施術をできるわけでもない。ただ患者の話に耳を傾け、最後には「ご期待に添えなくてすいません」と謝るしかないこともある。それでもしっかりと向き合おうと心に誓ったのは前述の名医の記録と出会ったからであり、それでいて、たまにはささやかな奇跡が起こるかもしれないと他人事のように期待している。「日々、平々凡々と」。それこそが1000年を越えて受けつがれてきたチベット医学の英知ではないかと僕は考えている。
写真提供 川畑嘉文
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