25歳のとき(1995年)長野県の黒姫山に山ブドウがたくさん実った。僕は仕事の合間にそれこそ山のように採取するとワインを作ってみようと思い立った。まず広口の瓶を買い、素手の拳で山ブドウをつぶしてから瓶を紙でふたをした。冷暗所に保存すると数日後、ブクブクと発酵がはじまり、飲んで飲めないことはない赤ワインが完成した。ところがである。その経過を誇らしげに、かつ無邪気に知人に話すと「小川君、それ違法行為で捕まるよ」と指摘を受けて愕然としてしまった。
「えっ、なんで?」である。いいことをしたつもりが逆に怒られてしまったような感覚だ。殺人、強盗、器物破損、詐欺、無免許運転が犯罪なのはもちろん理解できる。酒を無許可で販売したら違法なのは、まあ納得できる。戸出西部小学校時代の「インベーダーゲーム禁止令」だって、疑問を抱かずにそれが普遍的な決まりなのだろうと受け入れた。校則を破ることができなかった僕は基本的に従順な性格だった。そんな僕が生まれて初めて「決まり」に疑問を感じはじめたのである。ちなみに僕はみんなと楽しく酒を飲み交わすのは好きだが一人で晩酌するほどの酒好きではない。
ここで酒税法を簡単におさらいしておきたい。明治時代まで日本の農村では米に麹を加えて醸造する「どぶろく」が作られており規制を受けることはなかった。しかし、明治政府は国の税収を整えるために酒税法を制定し自家醸造と販売を禁止した。参考までにフランス、ドイツ、イタリアでは自家醸造が禁止された歴史はなく、イギリスでは1963年に、アメリカでは1979年に自家醸造が解禁されている。お隣の韓国、中国でも自由である。日本では醸造の自由を求めた「どぶろく闘争」が長年に渡って行われているが、いまだに厳しい法律が立ちはだかっている。詳しくはインターネットで「酒税法」を検索して確認していただきたい。
もちろんというかチベットやラダックでは農民たちは自由に「どぶろく」、チベット語でチャンを醸造する。青麦を煮てからパフと呼ばれる酒麹を加えて2,3日間発酵させるだけの簡単な製法だ。製法にもよるがアルコール度数5%ほどでさわやかな酸味がある。農村では農作業の合間にチャンを飲んで疲れを癒す。僕もラダックに滞在中、無造作なまでにボトルに詰まった白いチャンを飲むのが何よりの楽しみだった。ただし、ときに発酵中に雑菌が混ざってしまうのか、チャンを飲んだ後に激しい頭痛に見舞われることはあったけれど。
『四部医典』には「チャンは温もりを生みだし、自信をつけ、睡眠を増やし、ベーケンとルンの病を癒す。(釈義タントラ第16章)」と良薬であると記されているが続けて「酒は度が過ぎると性格が変化し羞恥心がなくなる。酔っ払った最初の段階では、羞恥心が失せ、苦しみから解放され幸せを感じる。次の段階では、狂った象のようになり意味の無い言葉を発し礼儀に欠けた行動を取り始める。(同上)」とあることから、個人レベルにおける酒の問題は古今東西、民族を問わず同じようだ。余談ではあるがメンツィカンに住んでいた名物おばさんイシェはチャン作りの名人だった。名人は学生の授業時間もなにも考えずに朝から醸造をはじめるため、教室はチャンの香りで頻繁に充満していた。それもまた緩やかなチベット社会ならではのいい思いでだ。
話を日本に戻そう。山ブドウと酒の法律のおかげで僕ははじめて「国ってなんだろう」と考えはじめた。ちょっと大人への階段を登った気がした。さらにチベット医学を学ぶことで日本の薬事法に憤りを感じるようになった(第185話)。同じように、昨年、店舗を自分たちで建てるにあたって建築基準法の不条理を知ることになった。46歳にして「法律って意外と人間味あふれるものなんだな」とようやく俯瞰することができた。とはいえ、あんまり国や法律に腹を立ててばかりいても仕方がない。現在は日本の各地で「どぶろく特区」や「ワイン特区」が設けられ例外的に醸造が認められている。緩やかに酒税法は緩やかになっているようだ。日本もいつの日かチベットのように手づくりのお酒があちらこちらで振る舞われるほどに、あらゆる面において緩やかな社会になってほしいなと願っている。
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