「森のくすり塾」の店舗の大窓からは女神山、独鈷山を主役に雄大な景色が広がる。その景色の手前、小さな沢の土手にクルミ(胡桃)の大木が藤蔓(ふじづる)に絡まれて苦しそうにしていた。なにしろ約40年近くも手つかずのままだった沢である。そして昨冬、僕は思いきって藤蔓をクルミともども切り倒すことにした。
とはいえ蔓が絡まった大木の伐採はどこに倒れるかわからず危険極まりない。しかも足場が不安定な土手だ。そこで木こりのMさんに今回もお願いして伐り倒してもらった。超危険な場面が済んだらようやく(お調子ものの)僕の出番である。
チェンソーで枝を落とし丸太を短く刻んでいく。そのとき大工の新保さんが「いいクルミ材がとれそうだから薪にしないで製材してみては」と提案してくれた。クルミ材は粘りがあって狂いがでず加工しやすいので価値が高いという。長さ2m、直径40センチもあるクルミ木は重かったが、なんとか沢から引きずりあげて(これがいちばん大変だった)製材所のトラックで引き取ってもらった。
そして半月後、厚さ1寸5分(約5センチ)のクルミ板8枚になって帰ってきた。重ねれば丸太そのままの形に戻るほど製材がリアルだ。クルミの樹皮の耳がついている。薬房の敷地内に算木を挟んで重ねて乾燥。とはいえクルミ板を活かす技術は僕にはないので、新保さんがクルミ材で棚を作ってくれた。完成品はずっしりと重い。さらに同じ沢で昨年採れたクルミの実をつぶして油を塗った。そうして老木のクルミは半年後、クルミ油で磨かれて美しい光沢のクルミ棚に生まれ変わったのである。
製材に回せなかった細めの丸太は、古老が「クルミ原木からはヒラタケとナメコができる」と教えてくれたので、さっそく菌種を買って植え付けた。敷地内の杉林の日蔭に丸太を並べてある。この秋にはキノコに生まれ変わる予定だ。むかし、といってもつい50年くらい前まで、森で暮らす人たちはこうしてクルミ、クリ、杉、ヒノキ、ケヤキなど一本一本の木の性質を熟知し、無駄にすることなく生きてきた。いや、すべてを活かさなければ生きられなかったと表現するほうが正確だろうか。そんな生きる智慧を実践することができて、僕は「ギリギリ間に合ったんだ」という安堵感に包まれた。「森のくすり塾」を主宰しておきながら、「森の学校」の一年生になって学んでいるような気分だ。
クルミの木は比較的、森の中で見分けやすいので探してみてほしい。枝ぶりが大まかで樹皮の皺が深く、葉っぱは対生している。秋に青い果実をつけ、その果皮のなかにお馴染みの茶色いクルミが入っている。そういえば薬草観察会で「これがクルミですよ」と青い果実を紹介したとき、参加者が「『風の又三郎』に登場する“青いクルミも吹き飛ばせ”ってこのことだったんですね」と感嘆の声をあげた。国語の先生だという。長年に渡る「青いクルミ」の疑問がようやく解けたようだ。そのクルミの殻は果実のなかでもっとも硬く、したがって子孫の種を守ることに優れている。縄文遺跡から発掘されたクルミの実が発芽したという記録もある。特にここ東信州はクルミの産地として有名であり、縄文時代の遺跡が多いことと関係がありそうだ。
ちなみにチベットではクルミをタルカという。ラサ地方では「余計なお世話!」という意味を込めて「タルカ!」と呼び捨てる風習があるが、その理由までは知らない。クルミ油を身体に塗るとルンの病に効果があるとされる他、髪の毛にもいいと解説書には記されている。ただ『四部医典』にはクルミは登場せず、日本ほどに生活に馴染みがある果実ではない。
昨冬、クルミの他、雪で折れたケヤキ、繁殖したハリエンジュも一気に伐り倒した甲斐があって大窓の額縁に広がる風景はすっきりした。小さな沢は40年ぶりにその姿を道路から眺められるようになった。そして、春先、枝や丸太の整理をしていると、クルミの切り株から新しい芽がでてきていることに気がついた。よかった。こうして根を張ってくれるおかげで沢は崩れずに守られる。縄文時代から連綿と続く“生きる力”が受け継がれたような安堵感。今度は藤蔓に絡まれないように世話をしながら、生まれ変わったクルミといっしょに美しい野倉の風景を描いていきたいと思っている。
参考 正確にはクルミは、沢によく生える種類のオニグルミです。
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