第254回 シンガル ~甘草~

甘草甘草

ゴボウのように真っ直ぐに伸びた根は驚くほど甘く、ゆえに古代中国において甘草(カンゾウ)と命名された(注1)。マメ科で地上部は70㎝ほど。夏に淡い紫の花をつける。この甘草が日本人にとって如何に大切な薬草であるか、以下に理由を述べたい。

①優れた抗炎症作用
 現代薬において甘草から抽出された有効成分グリチルリチンは消化性潰瘍、抗炎症剤として用いられ必要不可欠な薬剤になっている。ステロイドホルモンの一種に分類され、ステロイドだからゆえに確かに炎症を鎮め、そして多量に服用すればステロイドと同じように浮腫みの副作用が現れる。中医学では「甘草は百薬をおわす(緩和する)」といわれ、昔から葛根湯など漢方薬の多くに配合されてきた。チベット医学ではシン(木)ガル(甘い)という。『四部医典』には「甘草は肺の病、脈管の病を癒す(釈義タントラ第20章)」と記され、喉の薬など多くの薬に配合されている。

甘草 四部医典絵解き
甘草 四部医典絵解き

②化学合成できない。
優れた薬効を持つ甘草の有効成分グリチルリチンは、ほぼ薬草からの抽出によって得られている。つまり石油からの合成が不可能である。なぜか。それは化学構造がきわめて複雑なためである。比較すると、たとえば頭痛薬のアスピリンは同じく天然物である白柳の樹皮に由来しているが、構造がシンプルだったおかげで石油からの大量合成が極めて容易である(第247話)(注2)。

③甘い
薬草といえばキハダ、センブリに代表されるように苦いものが主流を占める。そこに少し甘草を配合するだけで苦味が緩和され、特に子どもにとって飲みやすくなる。この甘味は砂糖の甘味グルコースとはまったく異なるので肥満、糖尿病の心配はない。身近なところでは味噌や醤油に甘味料として加えられている。ただし、前述したように浮腫みの副作用がある。

④他の薬草で代用できない
 たとえばキハダも重要な薬草であるが(第174話)、苦味成分ベルベリンはメギやオウレン、ヒイラギナンテンなど他の種の植物にも含まれている。しかし甘草はグリチルリチンを自然界のなかで、ほぼ唯一含む貴重な植物群なので代用品が存在しない(注3)。

⑤栽培が難しい
 甘草の主産地は中国・新疆ウイグル自治区の砂漠地帯にある。2000年に現地の甘草工場と自生地を訪れたとき、甘草がピラミッドのように積み上がっている光景に圧倒された。日本の畑で甘草の栽培はできるがグリチルリチンの含有量が安定しない。気候と土があわないようだ。歴史を振り返ると日本では奈良時代に中国からの輸入がはじまっている。甘草の栽培は武田信玄にはじまり、江戸時代には徳川吉宗が総力をあげ(第234話)、現在も多くの企業・団体が栽培に取り組んでいる。いわば甘草栽培は日本国の長年の悲願なのである。ちなみにチベットには自生していない。

甘草工場 新疆甘草工場 新疆

⑥日中関係
 中国国内の生活水準があがったことで、日本と同じように健康志向が高まってきた。そして中国国内の甘草の使用量が増大してきたために海外輸出量を減らすことが予想される。なにしろ10億人を越える市場である。中国からの輸入が途絶えれば、グリチルリチン製剤や漢方薬の多くが欠品になり日本の医療業界は大打撃を受けてしまう。過去100年の歴史問題はともかく、少なくとも甘草だけに限っていえば中国は大切なパートナーなのである。

⑦医薬品ではない
 世界的に類をみない厳格な日本の薬事法(現在は薬機法)において(第185話)、幸運なことに甘草は医薬品ではなく食品に分類されているので自由度が高い。たとえばキハダ、ゲンノショウコ、チョウセンゴミシ、センブリなど甘草と同じように貴重な薬草は医薬品として分類され、民間での売買が禁止された。おそらくではあるが法律ができた昭和46年時、すでに甘草は味噌や醤油などに配合され、食料として民衆に根差していたからこそ規制を免れたのではと推察している。

 以上が甘草に関する重要ポイントある。ところが2011年にグリチルリチンを類似化合物から醸造合成する技術が開発され工業化に向かっている。また、代替化合物がイギリスで開発され普及しはじめている。日本では甘草の水耕栽培などによって栽培の安定化に道筋ができつつある。朗報というべきか複雑な心境である。大量合成・栽培に成功すれば甘草の価値は熊胆と同じように(第217話)下がってしまうのは間違いないからだ。中国との関係性も少しだけ薄れるだろう。便利になるのはいいことだ。だけど不便であっても不安定であっても、有効成分が低くても、それはそれで薬草味というか、人間味があっていいのではないかと僕は考えている。


注1
初夏にユリのような花を咲かせるノカンゾウとはまったく無関係である。

注2
化学合成しようが甘草から抽出しようが分子としてのグリチルリチンはまったく同じである(第194話)。しかし甘草にはグリチルリチン以外にも無数の成分が含まれているので複雑かつ予測できない効果が期待できる。

注3
メキシコのヤマイモの一種ヤムからステロイドホルモンに類似の成分が発見され、甘草と同じく医薬品として利用された歴史がある。したがって本文中で「ほぼ」と記した。



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