「阿修羅の血(ニンニク)は至高の滋養薬であり、/皮を剥いて一晩お酒に浸けておく。/濾した液を適当回数、内服しなさい。/後に牛乳、ギー(精製バター)、乾燥地帯の/肉汁を症状にあわせて温めて投与すると/ルン体質の人間の寿命を延ばしてくれる。(秘訣相伝90章 老化防止の章)
先日、四部医典のこの一節の片隅に、日本語で小さく「ラーメン」と記されているのを発見した。4年生だったこのとき(2006年)、ニンニク、ギー(バター)、肉汁、この三つのキーワードからニンニクたっぷりの豚骨バターラーメンを想像してしまったようだ。
当時36歳の自分がラーメンに飢えながら勉強していたことが痛々しいほどに推察できる。そういえば、日本から戻るたびにインスタントラーメンを10個持参し、一ヶ月に一個のペースで、ここぞというときに寮の部屋の片隅で湯沸かし器を利用して調理したのはいい思い出である。海外で食べる日本製ラーメンはインスタントであっても最高に美味しかったが、この無理な使い方によって湯沸かし器はよく故障した。また、久しぶりに日本に帰国したとき真っ先に向かうのはいつもラーメン店だった。
メンツィカンの学食で毎週木曜日はトゥクパの日だった。トゥクパは日本語で「チベット風うどん」と紹介されることが多いが、ラーメンとうどんの中間から、少しだけラーメン寄りの「チベット風ラーメン」だと僕は思っている。日本のラーメンほどに麺のコシはないけれど、ニンニク、玉ねぎをよく炒めて出汁をとったあっさり系のものが多く、これはこれでとても美味しかった。日本にいると今度はチベットのトゥクパが恋しくなってしまうのは無い物ねだりの典型であろうか。ちなみに来日経験のあるチベット人たちは声をそろえて「日本のラーメンが美味しかった」と絶賛する。
そういえば年に一度だけ作られる月晶丸(第19話)の満月の夜、深夜の2時ころに製薬作業を終えると、伝統に従ってトゥクパが振る舞われていた。満月のトゥクパは思い出深いけれど、真夜中に“飲む”のでお腹がもたれた記憶がある。そう、トゥクパは飲料なのである。以下にその理由を推察してみたい。
もともとトゥクパのトゥクは粥状の料理を意味しており、八世紀に編纂された四部医典にはネ(青麦)トゥク、デ(米)トゥクが紹介されている。しかし現在の麺としてのトゥクパは登場せず、まだチベットには伝わっていないことがわかる。チベットの粥は日本に比べてかなり薄く、食べるというよりは「飲む」という感覚に近い。後に中国から麺が伝わり、これをトゥクパと呼ぶようになったのだが、かつてのトゥクの語源にしたがい「トゥクパを飲む(トゥン)」となったのではと僕は推察している。日本語でも「今日の昼食はトゥクパを飲みます」と言ってみてほしい。
チベットでラーメンといえばチベット本土の清真[*1]ラーメンが忘れられない。正確にはチベット地方に住む回教徒(イスラム教徒)の作る牛肉麺である。僕が講師を務めるラサ周辺やアムド地方での薬草ツアーでは、現地ガイドにお願いして必ず清真料理のお店をツアーコースに入れてもらっていた。お店の店頭では手打ちそばのごとく見事な手さばきで小麦粉が練られ、1本が2本、2本が4本。4本が8本と倍々で麺の数が増えて、そして反比例するかのように麺が細くなっていく。中国語でラーメンの「ラ―(拉)」は伸ばすという意味だというが、その語源を目の当たりにすることができ、もちろん最高に美味しかった。なによりも「ずっとあたりまえにそうしてきた」という雰囲気に惚れ惚れしたのを覚えている。
残念ながら50歳になろうかというこのごろ、日本のこってり系ラーメンや大好きだったインスタントラーメンは胃もたれするようになってしまった。冒頭で紹介した老化防止薬もいまの僕には無理かもしれない。最近は近所の食堂で昔懐かしい醤油ラーメンを週に一回ペースで食べる程度である。「ラーメンは遠くにありて想うもの」いうのは、ちょっと極端だけれども、素朴なトゥクパや清真ラーメンがもう少し日本に普及してくれたらと願っている。
[*1]清真は「ハラールフード」、つまり「イスラム教の戒律に従って捌かれた食べ物」の意味。
参考
トゥクパの仲間にテントゥクがある。こちらはチベット風すいとん、もしくは手延べ麺と称されることが多い。小麦粉を練ったあとに、平たく練りだすように麺を鍋のなかに投げ入れて行くのだが、特に僧侶たちは手さばきがとても美しい。お寺の料理当番で腕が鍛えられるからだ。メンツィカンの同級生たちも小さい頃からの寮生活で鍛えられているのでみんな上手だった。
トゥクパ、テントゥクは市ヶ谷のチベットレストラン・タシデレで食べることができます。
<外部リンク>チベット・レストラン「タシデレ」(食べログ)