第275話 ゾン ~城塞~ チベット医・アムチ小川の「ヒマラヤの宝探し」

母の生まれ故郷である庄川町(現・砺波市)へ末期癌で療養中の母と家族みんなでドライブに出かけた(2011年)。この町には母の旧姓である小谷姓が多い。その理由を聞いて驚いた。なんでも小谷城(滋賀県)が織田信長に攻め落とされた際、城主・浅井長政の家臣たちが逃げのびてここに住みついた。そして明治時代に姓を許されたとき、かつての城を偲んで小谷と名のったという。「ほんとの話かどうか怪しいものだけれどね」と母は笑いながら語ったそばで、自分のルーツに城が関係しているのを知ってちょっと嬉しくなった。なにしろ小さい頃からお城が大好きで全国のお城を巡る旅を空想していたくらいである。なかでもいちばん憧れたのは徳川の大軍を二度に渡って退けた上田城だ。そうした小さい頃の無邪気な希求は、時間を経て忘れたころにかすかな影響を及ぼすようだ。気がつけばいま上田に暮らしている。


上田城 上田城
高岡古城公園 高岡古城公園

馴染み深いお城といえば真っ先に僕のふるさと富山県の高岡城が挙げられる。1609年、キリシタン大名高山右近によって設計された高岡城は水堀と堀の石垣が美しい。水掘の占有率は全国第二位。複雑に入り組んだ構造は迷路のようで、籠城戦となれば攻めあぐねたのは間違いがないが実際に戦場になったことはない。そんな高岡城は現在、古城公園として市民に親しまれ、僕が高校3年間の青春時代を過ごした弓道場は本丸に位置している。


懐古園 懐古園

小諸城(懐古園)は漫画が切っ掛けで小学校5年生のときから憧れていた(第67話)。全国的にも珍しい穴城で地形的に窪地に位置している。また、お城の真ん中を線路が走り、城のなかに小諸駅があるのも珍しい。そういえば小諸に住んでいたとき(2009~2012年)、「懐古園の石垣に生える野草観察会」を観光協会と共催したことがあった。お城と薬草は切っても切れない関係がある。いざ籠城となれば城内で怪我を治療するとともに、食物の腐敗や水当たりに気をつけなくてはならないからだ。なかでも積極的に植えられたのはオウレン(第240話)である。たとえば鳥取城や米子城内にはかつてオウレンの群生地があったことが確認されている。ぜひ各地のお城めぐりに際しては城内に生えるオウレン、またはキハダ(第174話)を探し、かつてこの薬草を眺めていたであろう兵(つわもの)たちに想いを馳せてみてほしい。


チベット語で城塞のことをゾンといい、なかでもギャンツェのゾンが有名である。しかし残念なことに1904年、近代的火器を用いるイギリス軍の圧倒的な武力の前に半日で陥落してしまったという。八世紀に編纂されたチベット医学聖典『四部医典』には「診断が難しいときはゾンに逃げ込むように明確な診断を避けなさい(釈義タントラ第25章)」とあり、当時からゾンが身近な存在だったことがわかる。そして城が大好きなだけにこの一節に僕は救われたような気持ちになった。日本のように現代検査機器が充実していればともかく問診、脈診(第271話)、尿診(第269話)だけで、つまり五感だけでそうそう明確に診断できるものではない。そのたびに僕は城に逃げ込み籠城するかのごとく、とりあえず得意の茶飲み話でお茶を濁しつつ病の手がかりを探ったものだった。

ギャンツェ・ゾン

ギャンツェ・ゾン

アムチ(チベット医)のなかには強い薬を処方するとともにお灸や瀉血(しゃけつ)を積極的に行う、いわゆる「病に対して打って出る」タイプのアムチがいるいっぽうで、僕のようにできるだけ引いて守る籠城タイプのアムチも少なからず存在し、それもチベット的な医学のあり方であると上記の一節から御理解いただきたい。そして籠城が功を奏するがごとく、時間をかけて患者と語りあうことで病の手がかりを得ることができたこともあったし、結局はゾンを捨てて逃げたことも恥ずかしながらあった(第154話)。いわゆる落城である。

こうして本稿を記しているうちに、かつての城ブームが自分のなかに甦ってきた。今後、診察中にゾンに逃げ込む必要性が生じるかもしれないので、改めて高岡城や上田城、まだ訪れていない小谷城やギャンツェ・ゾンをじっくりと歩いて研究するのもチベット医学的に大切なことではないかと思いあたった。いや待てよ、もしも患者さんの御名前が織田さんだったら小谷城をイメージして逃げ込むのは危険かも…… (笑)。

参考1
ブータンでは王宮など政治を司る建物をゾンと呼ぶほか、日本の県にあたる行政単位をゾンと呼ぶ。ブータン語を意味するゾンカは「ゾンの語(カ)」に由来する。

参考2
ギャンツェは古くからチベットとインド、シッキムを結ぶ交通の要所として栄え、古い街並みが残るチベットらしい街。100年程前には、シッキムからチベットに進入したヤングハズバンド率いるイギリス軍との戦場となっています。15世紀初頭に創建されたパンコル・チューデは、仏教学問の中心として発展し、中でもチベットでは珍しいネパール様式の仏塔、パンコル・チョルテンには75の部屋があり各部屋に仏像、壁画が祀られています。
※風の旅行社サイトより
中央チベット=ウツァン地方(シガツェ、ギャンツェ、ツェタン)の魅力

参考図書

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