2008年8月9日~8月16日 文●田中真紀子(東京本社)
ラダックはインドの最北端にあるジャンムー&カシミール州に位置する、チベット仏教を信仰する人々が暮らす土地。「インドの中のチベット文化圏」と称され、類型化されてしまわれがちな土地ですが、実際に訪れてみればラダックが決して「インド」や「チベット」という言葉だけではくくれない、独自の文化や風土を持った魅力的な場所だとすぐに感じることができます。今回はチベットの達人として今年の夏のラダックツアーを盛り上げて下さった飯田泰也さんのガイドで、ラダックの見所と祭を巡るコースに同行させていただきました。
「峠を越えてラダック」へ!
雨季のデリーを出発し、ヒマラヤ山脈を越えいざラダックへ。
飯田さんのブログのタイトルにもなっていますが、ラダックには「峠を越えて」という意味があります。普段は雨の滅多に降らない非常に乾燥した地域なのですが、私達がラダックに到着する前日に数年ぶりといわれる大雨が降り、予想以上の寒さに!
レー空港に着いた私達がまずしたことは防寒具をスーツケースから取り出すことでした。この雨で期待していた抜けるような青い空や刺すような紫外線も終盤までお預けでしたが、この雨のおかげか同じく終盤には劇的な出会いも待ち受けていました。けれどまだそんなことは知らない私達は、レー到着後は高度順応も兼ねてレーの市街散策。旧市街では焼きたてのパンを頬張ったり、マニ塚から旧王宮の全貌を眺めたり、お茶屋さんでのんびり休憩したり、ゆっくりと過ごしました。
寺院内部もさることながらラダックの大きな魅力のひとつはその景色にあります。雄大で荒涼とした中国チベット自治区(以下、チベット)に似た風景も見られますが、北も南もヒマラヤ山脈に挟まれた地形のため、ラダックには深い谷が多く、チベットの景色を凝縮したような雰囲気があります。そんな景色の中、多くの寺院が小高い丘の上に建ち、寺院の下の丘陵沿いに連なるように僧侶達が暮らす僧房も立ち並び、非常にフォトジェニックな風景が広がります。
また川沿いに広がる緑と乾燥地帯のコントラストの美しさは、まるでオアシスのようです。川沿いなど水があるところには畑や村がひろがり、水が達しない場所は乾燥し荒涼とした風景なのが一目瞭然。水がないと命は育まれないという事実を、ラダックへ行くと風景から実感できます。
丘の中腹に建つ チェムレ寺
麦畑が美しいピャン村
信仰とともに生きる穏やかな人々との交流
多くの寺院のお堂内部、車のフロントガラスや各家庭にも、ダライ・ラマ14世をはじめとする高僧達のポスターや写真が飾られているのをよく目にすることができます。またお坊さん達も非常にフレンドリーで、質問すれば笑顔で答えてくれるだけでなく、冗談を言って笑わせてくれたり、一緒に記念撮影までしてくれる方もいました。出会ったどの人も温かく、穏やかで、包み込むような優しい笑顔をする人々もラダックのもうひとつ大きな魅力といえるでしょう。
ティクセ寺のチャンバ大仏と
ダライラマ法王の写真
へミス寺のおちゃめな鍵番僧と
ラダックでも見られる、ツェチュ祭
ブータンの祭としても有名な「ツェチュ祭」。ツェチュは宗派に関わらず多くのチベット仏教徒から「第二の仏」として深く尊敬を集めるグル・リンポチェを称える祭で「月の10日」の意味があります。今回祭を見に行ったタクトク寺はそのグル・リンポチェが開祖のニンマ派の寺院で、ツェチュ法要で行われるクライマックスのチャム(仮面舞踏)、「グル・リンポチェの八変化の舞」を見学してきました。
毎年祭の開催時間は寺の都合で変わるので予測が難しく、またチベタン・タイム(緩やかな時間感覚)で運営されるので祭見学にはスケジュールと気持ちの余裕が必要です。今回もタクトク寺に到着したら休憩に突入してしまい、かわりに先に寺院見学をしたりなどして時間を潰しました。でもそのおかげでお堂の中で普段はまず見られないツェチュの準備をする僧侶達の様子を見学させていただくことができました。ブータンなどでは間違ってツェチュ準備中のお堂に入ると会場から退去させられてしまうのですが、ここでは追い出されるどころか写真も気軽に撮らせてくれ、仮面を持ってポーズをしてくれる僧侶もいて、本当に有難く見学させていただきました。
グル・リンポチェの妻に扮する少年僧
グル・リンポチェと八変化の面々
美しい壁画が残る下ラダック
日本語ガイド
スタンジン親子
首都レーから、ティクセ寺やへミス寺などがある上ラダックとは逆方向に走っていくと、壁画で有名な寺院や石窟が多く残る下ラダックに入っていきます。インダス川とザンスカール川の合流点の程近くにある、風のラダックのホームステイ先でもあるニェモ村の民家で休憩させていただきました。ラダックは寺巡りのイメージが強いかもしれませんが、伝統的な人々の生活も大きな魅力のひとつ。地元の人のお宅を訪問することでラダックの日常も垣間見ることができるでしょう。実はこの民家、同行してくれた日本語ガイド、スタンジン・ワンチュクの祖父母のお宅でとっても温かいおもてなしをしてくれます。また夏はラダック名産のアンズのシーズン。中2階や屋根裏部屋には収穫したアンズやリンゴを干している様子を見ることができ、庭ではアンズ狩りやリンゴ狩りを楽しむことができました。
民家の屋根ではアンズ干し
今回の旅のメンバーは美術に造詣の深い方、「チベット」に興味を持ってらっしゃる方が殆どで、皆さんの意識の高さに飯田さんも驚いていたのも印象的でした。そんな皆さんにとってもバスゴとアルチをはじめとする下ラダックの各寺院は、その壁画の見事さ、風景の雄大さなど、いろいろな面で刺激的な訪問になったようです。
バスゴ寺はラダックの高僧リンチェン・サンポに縁のある寺院といわれ、壁画などの保存状態もよい寺院。久しぶりの青空に心躍っていたせいか、ラダック第二の大きさを誇るチャンバ像のあるチャンバ・ラカンのお堂内部の色鮮やかな壁画にみんな興奮気味。耳で飯田さんの解説を聞きながら、目は壁画を追い、人によって写真も撮って・・・と大忙し。「素晴らしいね・・・」というつぶやきがここかしこで聞かれました。観音様や偉人達の姿のほか、王族の生活を描いた貴重な壁画などを堪能し、いざ下ラダック観光の目玉、アルチへ!
バスゴ寺内の壁画
バスゴ寺が夕日に浮かび上がる
チベット文化圏屈指の壁画 アルチ・チョスコル・ゴンパ
「僕が知っている限りですが、アルチの壁画はチベット文化圏内で間違いなくトップ3に入りますよ」
飯田さんの言葉が語るように、アルチ・チョスコル・ゴンパ(以下、アルチ・チョスコル寺)の壁画はチベット仏教美術の宝、といわれています。決してこの言葉が誇張でないと、訪れた方ならご理解いただけるでしょう。チョスコルとはラダック語で「聖域」の意味で、11世紀頃に建てられたグゲ系(西チベットのグゲ王国に由来)の大寺院にはこの名前が付いていることが多いようです。アルチ・チョスコル寺にも4つお堂がありますが、特にラカン・ソマ(新堂)とスムツェク(三層堂)内部の壁画が素晴らしく、赤や濃紺を基調とした背景に描かれる精密画は感嘆符なしでは語れません!美術好きの方なら飽きずに一日中壁画を眺めていられると思います。壁画を守るため、堂内は撮影禁止なので、絵心のある方はここではぜひスケッチをお勧めします。また堂内は真っ暗なので懐中電灯は必携です。
アルチ寺をゆっくり観光後は、村散策組、ツァツァプリの壁画見学組、フリータイム組に分かれ別行動。私は飯田さんと二人のお客様と共に村外れにあるツァツァプリのお堂へと向かいました。飯田さんからは「アルチ・チョスコルを見た後だと拍子抜けする位稚拙に思えるかも・・・」と脅されていましたが、保存状態は悪いもののなかなかのものが見られました。時々手抜きなのか、単に書き手が慣れていなかったのか、への字口やゆがんだ顔など、ちょっと愉快な箇所もありましたが構図など面白く、時間があれば訪れるのも面白いお堂でした。
ツァツァプリの壁画
増水で橋が流されるも…復旧!そして月世界ラマユルへ!
始めに大雨が降った…と書きましたが、なんと太陽を遠ざけただけでなく、アルチから月世界ラマユルへ向かう最短ルート上にあるリゾン村の橋をも押し流してしまっていたのです。久しぶりの大雨でインダス川も各支流も見事に増水し、小さな橋は完全に落ちてしまったのです。通常小さな橋であれば大体1日で直るといわれているので、私達が通るまでにはきっと直るだろうと思っていましたが、なんとアルチに到着してもまだ直ってないというではありませんか!復旧の見通しが立ってない状態でリスクは犯せないということで、残念な気持ちを抑えつつその夜お客様に代案をご提案していました。
朝になってもまだリゾンの橋が復旧したという話はなく、半ば諦めながら朝食を取り、いざ代案の地へ出発というタイミングでホテルの従業員が走り寄ってきて、橋の開通を知らせてくれた時の嬉しかったこと!全員でその場でやったーとバンザイをし、一気にテンションが上がったところで月世界ラマユルへ!!
復旧したてのリゾンの橋
ラマユルへ続く九十九折の道
数万年前にできた湖の地層といわれている、ラマユル。その地形、岩肌から月世界ともよばれています。黄色い岩肌が広がる景色は別世界へ迷い込んだような、インディジョーンズのテーマでも口ずさみたくなるような、不思議な光景が広がっています。そんな場所から程近くに建つラマユル寺も実に味のある僧院で、 11世紀前半にカギュ派の密教行者ナーローパが開祖といわれている寺院です。寺院にはたくさんの小坊主も修行しており、人懐っこい彼らの笑顔に私達も口元がほころびました。
月世界ラマユル
峠の向こうまで見えるかな~??
ラマユル寺
ラマユル寺から月世界を望む
チョルテンの周りを
コルラするおじいさん
ワンラで高僧に謁見!
ラマユルに行けただけでラッキーだったね…と話していた私達ですが、なんとその後立ち寄ったワンラではさらなる素晴らしい出会いが待ち受けていました。なんとワンラの村人達がアメリカ在住の高僧ガルチェン・リンポチェをお迎えし、講話をひらいていただいていたのです。何も知らずに村へ到着した私達は盛装して町中を歩く人々の姿にびっくり!祭の時でも目にする機会が少ない、ペラク(トルコ石がたくさんついたヘッドギア)をつけた若い女性や、ティビやゴンダと呼ばれる山高帽を被るおじいさん、おばあさん、さらにボク(マント)を纏った女性達など、本当に彼らの姿を見られただけでも十分ラッキーなのに、なんとワンラ寺へ到着すると高僧に謁見できるかもしれない、と言われるではありませんか!
みなでドキドキしながらまずはワンラ・スムツェクで五体投地をし、隣の僧房へ行くと…謁見控えの間に通され、本当にリンポチェと全員一緒に謁見させて下さることに!何でも「何も知らずに訪れた客人は吉兆をもたらす」とのことで、私達は歓待していただけました。リンポチェに一人ずつご挨拶し、カタ(敬意を表すスカーフ)をかけていただいただけでなく、15分以上におよび「空」について説いてくださいました。リンポチェの持っておられる波動に呼応し、部屋に入った瞬間から涙がとまらなくなる方、電流が走ったとおっしゃる方、そして飯田さんもリンポチェの説話を訳しながら涙され、その姿にまた全員が多くを感じ、何か夢のような時間を旅の最後で過ごすことができました。
ゴンダ(山高帽)をかぶった老婆
ボク(マント)をまとった女性達
ペラクをかぶった女性達
ガワチェン・リンポチェ
photo by H. NISHITA
翌日レーを旅立つ私達には燦々と太陽が降り注ぎ、空は青々と輝き、まるで私達の気持ちを映し出しているようでした。と同時にそれぞれが「もっといたい・・・」「今度はザンスカールへ・・・」など後ろ髪をひかれる思いも抱えつつ、来た路を峠を越えてデリーへ戻ることに。
ラダックは、チベットでもインドでもなく、ラダックというしっかりと独自の魅力をたくさん内包した地域。出発前よりのドキドキ以上に、きっと満たされた思いに包まれて帰路につける場所だと思います。少しでも興味を持たれたら迷わずに行かれることをおすすめします。きっと素敵な思い出が増えると思いますよ!