▼5/28深夜:カトマンズに到着
カトマンズのトリブバン国際空港に到着した夜は、ネパール風のスタッフ、テクの迎えを受け、深夜ホテルに入りました。車中の会話でテクの言葉が印象的だった。
「毎日のように小さな余震が続いていますが、毎日元気にやっています。ただ、国際機関が始めの支援を終えて自分の国に帰ってから日本人の姿をほとんど見なくなりました。」
翌朝、早めの朝食後、オフィスでのミーティングまで時間があるので、久しぶりのカトマンズを歩いてみた。街が動き始めたばかりの朝の路地を、マルシャンディホテル→アサン・チョーク→インドラ・チョーク→ダルバール広場へと足を進める。[参照:カトマンズ旧市街MAP]
ダルバール広場までの道では、地震の影響がほとんどなかったかのような、普段通りの日常風景を見ることができた。道にあるヒンドゥ教の祈りの場では朝のお祈り風景があり、アサンチョークでは、威勢の良い声と共に色とりどりの野菜や肉を求める人が集まっていた。
ダルバール広場に近づくにつれて、道の脇に積まれた崩れたレンガが目立って見られるようになり、ダルバール広場の被害の大きさを感じることになる。広場の中では、崩れた寺院のレンガや木材をバケツリレーで運び出す軍人の列に、地元のおばちゃんや若者らしき人たちが加わって、復旧のための作業を行っていた。作業が行われている敷地内には、立ち入り禁止のテープが張られ、広場内に入ることはできなかったが、軍と一般の人たちが協力して作業をする光景に、ネパールらしさと頼もしさを感じた。
▼現地スタッフとのミーティング。復興支援ツアーにおける姿勢や情報を共有
NKT(NEPAL KAZE TRAVEL)のオフィスへ行くと、プリスビーをはじめ、スレシュやホム、スルヤ、ディル、テク、レクナト、カルガなどスタッフたちが出迎えてくれた。東京オフィスで彼らや現地スタッフたちが来日した時に、オフィスにパッと活気が増すのを思い出し、私は意識的に元気にNKTオフィスに入った。しかし、元気そうな彼らの様子を見ると、そんな気遣いはどうやらいらなかったようだった。
早速、今後復興支援ツアーに携わっていくスタッフとミーティングの時間を持った。復興支援ツアーの基本コンセプトや、支援候補地の選定方法の共有、わかる範囲の被災地の状況の確認、滞在中のスケジュールの確認などが主な議題だ。色々な事を話したが、一番大事なのは、ネパール側と日本側の復興支援ツアーに対する基本的な姿勢を共有し、密に情報交換と確認をし合いながら進めていくことである。これは、今までJKTとNKTで旅作りをする上でも大切に思いながらやってきた事だ。しかし、今回やろうとしているのは、普通の観光やトレッキングツアーと違い、日々刻々と状況が変わって行く中で実施するツアー。NKTが取り組むのは初めてであり、日本側もネパールでの復興支援ツアーは初めての経験だ。
スタート時点で同じ方向を向くことができたとしても、並んで歩いて行く途中で向いている方向がズレないようにすることが何より大事だと考えている。
ミーティングの後は風ダルバールのレストランでスタッフたちと昼食を囲み、その後数人のスタッフとともにスワヤンブナートへ向けて出発した。
▼被害の大きかったスワヤンブナートを訪ねて
スワヤンブナートの正面の参道は、瓦礫や落石の危険があるため、現在も封鎖中。原の訪問時(5/5)と同様に裏の駐車場から頂上に続く石段の入口に車を駐める。一般の訪問者の警備にあたる入場口の警備員にスレシュが交渉し、特別に中に入れてもらった。石段のいたるところに座っている猿たちが、まるで「なんだ、お前たち何しにきた?」と言っているかのような顔で私たちを眺めている。石段を登りきり、目の前に現れた寺院のあまりの被害の大きさに息をのんだ。
原の報告で甚大な被害が出ていることは事前に分かっていたが、未だ手つかずの状態と思わせるほど、レンガや石の瓦礫が足下に散乱し、半壊の建物がそのままになっていた。真ん中のストゥーパが残ったのは、唯一の救いと感じた。
敷地内には赤十字のテントが張られ、復旧作業にあたっているようだが、復旧にはどれだけの時間と労力を費やすのか、今はまだそこまでいきつくにはほど遠い段階だと感じた。実際、半壊の壁にロープをくくりつけ、男たちが手作業でロープを引き、解体をしている段階であった。丘の頂上にあり石段の上に位置する敷地に重機を上げることは確かに困難だ。何か良い方法が見つかるまでは、しばらく地道な手作業でやるしかなさそうだ。
眼下のカトマンズ盆地に目をやると、広い公園などの空き地には、必ずと言っていいほどテント村が目に入った。スレシュいわく、ほとんどが地震の後すぐに駆けつけた中国のテントだという。確かに地震後、陸続きの中国やインドの動きは早かった。スレシュが「あそこに見える高層マンションも一見大丈夫に見えますが、ヒビが入ってもうだめです。最近完成してほぼ全室、住人との契約が済んでいましたが、もう使えません。オーナーはとんでもなくかわいそう。どうするのでしょう‥」とつぷやいていた。地震が起こる数年前からネパールの経済は上向きとなり、高層マンションが次々に建設されたそうだ。地震で全壊した家や寺院がある一方、一見問題なさそうだが今はもう住むことができない高層マンションもある。
日暮れが近づいてきたので石段を下りようと、最後にもう一度振り返ると、真ん中の仏塔の目玉が静かに、だがしっかりとこちらを見つめていた。
明日は、プリスビー、スレシュ、テクとパトレ村を訪問する。
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