古谷のネパール・レポート5(カトマンズ/コカナ村)

今回の震災によって大きな被害を被った場所は多々ある。
ネパールに来てからというもの、あまり被災していない所ばかりを辿ってきたから、このまま「ネパールは大丈夫だった」という思いのまま帰りたいという気持ちが何処かにあり、ついついダルバール広場(旧王宮広場)やその他の被災地へ行くことに遠慮してしまっている自分があった。
でも、今日は真実をきちんと見つめなければいけない日だ。


▼6/10 カトマンズ:アサンチョーク、インドラチョーク周辺

定宿であるホテルマーシャンデイは、タメル地区の比較的北側に位置する。ホテルから南下するようにネパールカゼトラベルのオフィオスへと向かい、そのまま更に南下していくと庶民のバザールが広がるアサンチョークへと出る。アサンチョーク周辺は野菜、肉、香辛料等様々な物が露店や店頭で売られている場所だ。いつもと同じように活気あふれるバザールの姿ではあった。
ただ、ところどころ目をやると、倒壊した建物が目に付く。私がアサンチョークへ行く度に寄っていた香辛料屋も被災し営業はしていなかった。タメルと明らかに違うのは、やはり倒壊した建物が目に付くことだ。

でも、人々は生活している。いつものように多くの店が営業し、多くの人で賑わっていた。その賑わいに私は安心し、また涙があふれてしまった。

アサンチョークからインドラチョークを越えダルバール広場へと向かう。この通りも金物屋や日曜雑貨等多くの店が連なっている。相変わらず人通りの多い小道をゆっくりと歩いていった。

タメルからアサンチョークへ行く道中

アサンチョーク。人で賑わってはいるが被災した家屋も目に付く

アサンチョークからダルバール広場へと向かう


▼カトマンズ:ダルバール広場(旧王宮広場)

インドラチョークを越えしばらく歩くとダルバール広場に建つ建物群が見えてくる。でも、明らかにいつもと違う。分かってはいたものの、敷地内にはいると思わず絶句してしまった。これまで何度となく見てきた寺院の多くが全壊している。きれいな白壁造りのハヌマン・ドカ(旧王宮)も、半壊とまではいかないが所々壊れていた。

市民の憩いの場であるこの場所がこれほど迄に倒壊されたならば、確かに人々の心も折れてしまうかもしれない。明らかに今までと異なる風景に、私はただ無言で歩くしかなかった。
旧王宮広場の入口付近にある紅茶屋「ネパールティハウス」は営業していた。この店もネパールに来ると必ず寄っている紅茶屋であり、良質の紅茶を売っているお店だ。暇そうに顔なじみの親父が立っていたので、いつものように紅茶を購入した。

ほんの少しだけ気分を取り戻し、オフィスへと戻った。

ダルバール広場にある全壊した寺院跡

きれいな白壁造りのハヌマンドカ

ダルバール広場内にある行きつけの紅茶屋


▼コカナ村へ

カトマンズ郊外にあるコカナ村は、つい最近も、ヒマラヤを舞台にした映画のロケに使われた程、古い建物が多く立ち並ぶ素敵な村だった。今から6年前、FM局J-WAVEの特番録音のコーディネートで私はコカナ村を訪れた。音楽の先生達に民族音楽を演奏してもらい、心に響く素朴な音源を録音した。まさか、このような形で再訪するとは思っていなかった。

カトマンズのスタッフと作成した180人分の衛生パック(石鹸、タオル等)を車に積みコカナ村へと向かうが、震災の影響で村まで車で入ることが出来ない。村の手前で車を降り沢山の衛生パックを手で持って運んでいく。
衛生パックの渡し先は、コカナ村にある小学校および中学校の生徒達。また、衛生パックの他にも雨季に備えてトタンの準備や、小学生児童にと2ヶ月分の給食支援も用意した。代表者とのやりとりを終えた後、カトマンズのスタッフと手分けして生徒全員に衛生パックを手渡しで配る。
辛い思いをした子もいるだろう。今でも辛い生活は続いているだろう。でも皆、明るく元気に Thank You. と言って受け取ってくれた。ガンバレー!と言って送り出した。

その後、被災したコカナ村内を歩き、カトマンズへと戻った。

ここから歩いてコカナ村まで行かねばならない

被災したコカナ村

映画のロケでも撮影された通り

衛生パックを持って学校へ

衛生パックを子供達に手渡す


色々と考えさせられた1日だった。
小さいことから、やれることからコツコツと支援していくことしか出来ない。でもそれが、ここでは重要であろう。



4.25 ネパール大地震
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