小川 康の 『ヒマラヤの宝探し 〜チベットの高山植物と薬草たち〜』
ブータン薬草探検ツアーの3日目、いよいよナンビ・メンカンを訪れる日である。ナンビは仏教、メンカンは病院を意味しており、仏教病院すなわち伝統医学院と日本語では紹介されている。その名に相応しく施設はすべてブータンの伝統建築様式で建てられており期待が膨らむ。朝9時半に到着すると早速、旧知のサンポ先生(第70話参)が“人の良さ丸出し”の笑顔で風の一行を出迎えてくれた。
「クズザンポー(こんにちは)。お久しぶりです。小川さん、メンツィカンを卒業してアムチになったそうですね。おめでとうございます」
「サンポ先生もお元気そうでなによりです。先生が病院にいてくださるので安心して訪れることができました」
握手を何度も交わしたあと講堂に案内してもらい、先生から伝統医学院の歴史や概要について講義していただいた。5年制の医者コース(ドゥンツォと呼ばれる)は同じだが、3年制の薬剤師コース(ドゥラ)がある点はダラムサラのメンツィカンと異なっており興味深い。医療関係者のBさんは西洋医学の病院との連携について、植物専門家のCさんは薬草の加工法について質問を繰り返していた(第76話参)。
講堂の外にでると多くの医学生たちに出会った。これからリンシと呼ばれる山の中へ薬草採取にでかけるのだという。薬草の王国の中でも薬草が最も豊富な地点ということは、まさに“王の中の王”である。アムチである自分の血が騒がないわけがない。われわれメンツィカン出身のアムチこそ世界で最もたくましい医者であると勝手に自負しているのだが(第1話参)、話を聞くと、彼らの薬草実習もかなり過酷である。まあ、来年あたりリンシを舞台に軽く勝負してやりたいところであるが、今回は顔合わせだけで勘弁しといてやろうと、やや先輩面で彼らを見つめた。
すると遠くの建物から「おおー、久しぶりじゃないか」と大きな声が聴こえたので振り向くと、やはり旧知のイシェ先生が手を振っているではないか。今はブータン製薬工場の責任者であるという。ということで、その出会いの興奮の勢いのまま、普通ならばまず不可能な製薬工場の見学が実現してしまった。ラッキー。
丸薬は金平糖と同じ原理で作られる。斜めに回転する大きなドラムに芯となる粒を入れ、次に薬草の粉を少しずついれて、水を塗しながら徐々に丸くしていく。丸薬は種類ごとに水加減が異なり高度な技術を必要とされ、製薬職人は我々には目もくれず仕事に集中している。ツアー参加者たちもその光景を興味津々で見つめている。写真が禁止ならばと、Aさんは得意のスケッチを始めた。アナログな感じがブータンに似合っていて素敵。
イシェ先生は口でドマを噛みながら丁寧に説明してくれる。ドマとは日本ではビンロウジュと呼ばれる木の実。これを砕いたものを胡椒の葉っぱで包み、石灰のペーストをつけて噛む習慣がブータンを含めた西インド地方で特にみられる。
「ドマは朝から晩まで口にしているよ。オガワはもう試したのか」とドマで真っ赤に染まった口を見せながら話す先生。そこで恐る恐る口に入れて噛んでみると、ただ苦いだけで別段、癖になるような味ではない。ところが数分後、口の中で真っ赤に変色したあたりから体が急激にポカポカと温まりはじめた。そういえばドマが主成分のチベット薬「ゴユ28」は下半身の冷えに処方されるのだが、まったく理にかなっているのだと納得させられた。
最後に案内してもらった施術院は多くの患者であふれ返っていた。甘露五味薬浴(第68話参)、蒸気浴、瀉血、お灸、オイル灸、脈診などが古代のままのスタイルで行われている。伝統建築の中で、伝統衣装を着たブータン人が、伝統医療を受診している光景を見ていると古代にタイムスリップしたかのような錯覚に囚われてしまった。これらの優れた薬や施術は、空調が整い、コンピュータやコンクリートに囲まれた現代日本社会に持ち込まれると効力が失われてしまうのは想像に難くない。だからこそ、西洋・東洋という概念を超えた医療の原点ともいえる姿をブータン、もしくはダラムサラの現地で体験してほしいと願っている。伝統医療とは伝統文化の上にこそ成立しているのである。
チベット医学とは太古の昔に薬師如来が“神秘”という名の魔法によってヒマラヤに封印したタイムカプセルなのかもしれない。その中には現代医学が過去に忘れ去ってしまった懐かしい思い出が詰まっている。土の感触、お香の薫り、美しい薬草、薬の苦さ、笑い声、涙、祈り。もしかしたらこのブータンに封印されたタイムカプセルは、あなた自身に埋蔵されているタイムカプセルの封印を解く手がかりになるかもしれません。さあ、宝物を探しに出かけましょう。