第81回●チャンバ  ~ダラムサラの向こう側~

小川 康の 『ヒマラヤの宝探し 〜チベットの高山植物と薬草たち〜』

ダラムサラから眺めるダウラール山脈ダラムサラから眺めるダウラール山脈

ダラムサラで暮らした10年間、毎日、西ヒマラヤにあたるダウラール山脈を眺めて過ごしていた。朝、外に出るとまず山が見えるかどうかが、その日の天気の具合のバロメーターになる。夕方には山々が真っ赤に染まり観光客たちの足が止まる。11月には一気に真っ白に雪化粧して冬の到来を教えてくれた。山脈の手前にあるトリウンドと呼ばれる尾根までの約4時間の道は絶好のトレッキングコースとなっており、風のツアー中にお客さんと登ったことがある。
 この山の裏側にチャンバという町があると教えてくれたのは、日本人カメラマンのMさん。2006年のことだったろうか。独特の古い建造物がたくさんあり、とても素敵な町だったと興奮気味に語ってくれたのを思い出す。チャンバ王国は10世紀から20世紀まで1,000年に渡って続いたというが、世界でもこんなに長い王朝は稀だという。それから、山を見上げては向こう側の町、1,000年王国に想いを馳せ続けた。あの山をトレッキングで越えれば2日で到達できるというが、遊牧民以外に実際に歩いた人の話は聞いたことがない。近くて遠い町チャンバ。いつか行ってみたい、そう願っていた。

9月25日、風のツアーガイドを終えて日本への帰国を前に、ふと、今日こそはチャンバに行こうと思い立った。執筆の仕事が一段落して時間が空いたこともある。朝、8時半にダラムサラのバススタンドを出発し、山をグルッと回りこんで裏側へと向かっていく。途中からは息を呑む絶壁の道が続き、そして、午後3時、ようやく憧れの町チャンバに到着した。早速、ダウラール山脈を眺めると、当たり前ではあるが、同じ形をしていることに感動した。6時間も山道をバスに揺られたけれど、ここは本当に裏側、いや、この山の裏側がダラムサラなんだと実感がこみ上げてきた。

チャンバの街を俯瞰するチャンバの街を俯瞰する

幅2メートルほどの細い路地が入り組んだチャンバの街並は、自動車の出現以前からの歴史であることを物語ってくれている。散策すると外国人はほとんど見かけない。だからといって外国人である僕が目立つことはなく、客引きなどは存在しない。ホテルも高級レストランも数が少なく、あまり観光に熱心とはいえない。きっと豊かな街なんだろうな。1,000年も続いたという理由が少し理解できるような落ち着きと安心が、この街にはある。なによりもチャイが格段に美味しい。

翌日、街に点在する古い寺院めぐりに出かけることにした。すると、あちこちで、いい大人がトランプに興じているではないか。寺院の前でも片隅でも道端でも。もしかしたらチャンバの王様はトランプが好きで民衆に奨励したのではという空想がよぎる。そうして一番大きな寺院に入ったとき、子供たちが無邪気に「ハロー、ハロー、マイネーム・イズ・・・」と習いたての英語で話しかけてくるので、ちょうどいいや、と臨時ガイドを頼むことにした。ところが「ねえ、このお寺の名前はなんていうの」「何年前に建てられたの」と尋ねても、みんな顔を見合わせて笑うばかり。そして、退屈してきたのか寺院の鐘を何度もジャンプして鳴らしはじめると、シヴァやヴィシュヌの神様が耳を塞ぐのではないかと思うほど鐘の音が無秩序に響き渡った。さらには巡礼路の赤いカーペットの上で「でんぐり返し」をはじめ、どうだ、と威張っている。そんなちびっ子たちを見ていると、ふと、富山の実家の近くのお寺とお地蔵さんを思い出した。

チャンバのお寺チャンバのお寺

小さいころ、近所のお寺は僕たちの格好の遊び場だったものだ。そして夏になると児童会で地蔵祭りを催した。一軒一軒、町内を回って寄付を集めることからはじまり、当日、クライマックスになると親方役の子供が大きな鈴を打ち鳴らしながら町を駆け回る。小さいころから目立ちたがり屋だった僕は、とにかくこの役目に憧れて親方になったといってもいい。憧れの○○ちゃん家の前では余計に張り切ったのはいうまでもない。地蔵菩薩とは何ぞやと問われても解説に困るけれど、とにかくあの日、僕らはお地蔵さんの前で1日、トランプをし、お菓子を食べ、なぜか爆竹を鳴らし、夜にはロケット花火で戦争をしたものだった。まったくもって無礼講であるが、きっとお地蔵さんも楽しんでくれたと自己満足している。

ちびっ子たちはお寺の知識はなかったけれど、思いもかけず、僕の小さいころのふるさとへと案内してくれた。そして、今なお、1,000年の歴史が続いていることを教えてくれた。まだ振り返る必要もない。記念物として大切に保存される必要もない。なぜなら、いまも人々とともに息づいているから。さすがは1,000年王国の末裔たちだ。素敵なガイドだったぞ。お礼に日本の飴を1つずつあげるね。

ちびっ子ガイドたちちびっ子ガイドたち

「バーイ!」と何度も何度も振り向きながら手を振るちびっ子ガイドたち。僕も大きく手を振って答えてあげる。そうしてさすがに、もう去ったかなと思ったそのとき、1,000年の歴史が流れる細い路地から、もう一度、大きな声がコダマした。
「バーイ!」。

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