「ザク、ザクッ、ザクッ」
アムドの草原に小さなスコップが突き刺さる。その先にみんなの視線が集中する。すると黒い土の合間から赤い根っこが少しずつ姿を現してきた。みんなが体を寄せ合って必死に覗き込む。最後に思いっき引っ張ると、ぷっくりと膨らんだ根っこが姿を現し、「おおー!」と歓声が沸き起こった。まるでチベット高原が「いないいないばあ」をして僕たちを楽しませてくれているようだ。
7月21日出発・アムド薬草ツアーの3日目、青海省の中心都市・西寧から3時間離れた村を訪ねるにあたり、「小さなスコップを用意してください」と現地ガイドにお願いしておいた。ドゥマ(漢名:人参果)(第2話)を掘るためである。ドゥマは小さなサツマイモのような形をしていて味もサツマイモのように甘い。正式名称をドロ・サンジンという。チベットでは正月など吉日には葡萄やドゥマが入ったデスィルと呼ばれる炊き込みご飯が振る舞われるのだが、その味といい色合いといい、縁起といい、日本の赤飯に似ている。僕もメンツィカン在学中には儀式や式典のたびに食べていたことから、いつか、ドゥマを実際に掘ってみたいという憧れをそのときから抱いていた。
実はこのドゥマ。バラ科で野イチゴの仲間の根っこだというと、ドゥマに馴染みのない外国人はもちろん、もしかしたらインド生まれのチベット難民2世、3世たちも驚くかもしれない。厳しい自然環境を生き抜くために、チベットの野イチゴは地表部を這うように成長し、根っこにデンプンを貯蔵する戦略にでたのだが、そのおかげでチベット人は貴重な甘味源を得ることができている。ただ、現地ガイドによると、ここはドゥマに適した産地ではないし、時期もちょっと早いので根があまり太っていないという。ドゥマを掘ったついでに、猛毒のトリカブト(第8話)の根っこも掘ってみた。「おおー」と今度はトーンがやや低い、かつ、意味深な声があがった。「トリカブトみんなで掘れば怖くない」というのは冗談で、掘った後は根を土に埋めてきたのでご安心を。
僕は普段から薬草観察に出かけるときは必ず小さなスコップを携帯し、お客さんの目の前でいろいろ掘ってみせている。小諸高原での一番人気は「アカネ(茜)」だ。まさにその色の語源通り茜色の根っこが土の中から姿をみせたとき、やはり「いないいないばあ」のような興奮に包まれる。小諸の自宅の裏にある当帰畑(チャワ)(第73話)で掘り取り体験をしてもらうこともある。畑に足を踏み入れて葉っぱと擦れ合った瞬間から当帰の香りに包まれて歓声があがる。そして畑にスコップを入れ、当帰の根を引き抜いた瞬間、当帰の香りは「どうだ!」と言わんばかりにその人を包み込む。
こうして汗を流しながら土を掘るという行為は、人間の根源的な欲望を刺激するのかもという人類学的な仮説を立ててみた。その証拠に、子供たちはジャガイモや大根、サツマイモの掘り取り体験に大喜びするではないか。きっと土の下には「ワクワク」という宝が埋まっているに違いない。そういえば小さいころ「赤城山麓で徳川埋蔵金を発掘する(糸井重里が主演)」という番組に夢中になったのを思い出したけれど、それはちょっと違うかな……。
話をチベットに戻そう。アムド高原での薬草散策の翌々日、僕たちは青蔵鉄道に乗って一路、ラサを目指した。車内は漢人旅行客で満席だ。尖閣諸島問題が過熱していることもあり、若干の反日ムードを感じつつも車窓を流れていく雄大な景色を楽しんでいた。すると、同じコンパートメントに座っていた漢人の女性が太くて赤黒い根っこを煎じて服用していることに気がついた。ソロマルポ・紅景天(第28話)の根っこだと教えてくれた。それも市販品でなく、ラサに住む息子が紅景天の産地で有名なニンティ(ラサから東に約400キロ)までわざわざ出かけ、掘り取ったものだという。彼女が住んでいるゴルムドからラサに向かう電車の中ではいつもこうして紅景天を服用しているので、いままで高山病にかかったことはないそうだ。そんな孝行息子が掘ってくれた根っこを僕たちも服用してみた。「うわ!味が濃い」という驚きの言葉が口をついてでた次の瞬間、自分自身の予防のためにと、煎じ液を思わず飲み干してしまったのには我ながら驚いた。これは確かに高山病に効きそうだ。
ひとしきり盛り上がる僕たち日本人を不思議そうに眺めるお母さん。その向こうに、小さなスコップを片手に、母との再会を「ワクワク」しながら紅景天を掘っている息子さんの姿が、おぼろげに浮かんできたのは、酸素と気圧が薄いせいだけではないだろう。
薬草は大地と人をつなげてくれる。薬草は人と人をつなげてくれる。さあ、みなさんも小さなスコップを片手に「ワクワク」を探しに出かけませんか?
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