北海道の大牧場でアルバイトをしたのは22歳の夏(注1)。生まれてはじめてツナギの作業着に身を包むと気分はすっかり『北の国から』だ。朝4時に起床し搾乳の手伝いがはじまる。僕の仕事は搾乳を終えた牛を順に牛舎の外に追いたてること。しかし、なかなか進まなかったり、通路で糞をされたり、ときに蹴られたり踏まれたりと新米アルバイトは牛になめられっぱなし。それでも牛の尻を叩き、尻尾を捻り上げ、「オラー、ハイー!」と気合を入れながら150頭の牛と格闘していたものだった。搾乳を終えると、今度は牛舎の掃除や牧草刈りや牛糞運搬などの作業。そして夕方には搾乳のために乳牛を牛舎に導く仕事が待っている。地平線が見えそうな大草原に向かって「ベーベーベーベー」と大きな声で叫ぶと150頭の乳牛が集まり、僕を先頭に牛舎に向かって歩き出す。最高に気持ちいい。そうして1日の仕事を終えると充実感に浸るまもなく、バタンキューと眠りに落ちる毎日だった。
話は変わり、それから9年後の2001年8月、ラダック・ティンモスカンにある先輩タシの実家にホームステイしたときのこと(第20話)。朝6時、タシが「5月に放牧したゾ(注2)を連れ戻しにいくけど、オガワも一緒に行くか?」というので「もちろん」と気軽に答えたのが、思いもよらぬ大冒険のはじまりだった。「どこまで?」と尋ねると、遥か遠くの山を簡単に指差すタシ。あれがティンモスカンの聖山だそうだ。
標高3,500mにある自宅を出発してから徐々に標高を上げていく。道中、落ちている糞を見つけては「糞が乾燥しているから、この辺りにはゾはいない」と分析する様子はアムチというよりは山の民だ。タシは物心ついたころから父親と一緒にこうして遊牧に出かけていたという。小さい頃から鍛えられたタシのたくましさの前では、日本基準における僕の自慢の体力はかすんでしまう。
雪が止んで日が照りだした。
歩き続けること3時間、山の風景は「猿の惑星」の一場面のごとき荒涼とした様相をみせてきた。そうして標高5,000m付近に指しかかったとき、まさか……あろうことか、雪が降りだした。しかも、だんだん激しくなってくるではないか。2人とも軽装で雨具を持っていないため慌てて小さな洞窟に避難した。「8月のこの時期に吹雪なんてありえない」とタシが呟く。30分経過し体が冷えてきた。「このままでは死んでしまう。稜線まで駆け上がってゾを確認したらすぐに下山しよう。オガワはここで待っていてくれ。」そういうとタシは洞窟を飛び出し一気に稜線を目指した。驚くほど速い。
冷えないように小刻みに体を動かしなから待つこと約30分。雪の向こうから黒いゾの一群が少しずつ姿を現してきた。後ろから追い立てているのはタシだ。まるで映画のワンシーンのような荘厳さ。タシ、最高に格好いい!「さあ、急いで帰ろう。一緒にゾを追い立てくれ。」このとき北海道の牧場体験がよみがえった。すぐさま「オラー、ハイー!」と追いたてると、僕の気合がゾに伝わったのだろう。9年前よりもずっと上手に家畜をコントロールすることができるではないか。ほんの少しだけ彼と肩を並べ役にたつことができた高揚感。でも「日本人なのにゾの扱いが上手いな、どうしてだ?」と訊いてくれるかと思いきや、「オガワなら当然」と信頼しきってくれているのは面白くない。北海道でのアルバイト体験を自慢したかったのに。
標高が下がるとともに吹雪は止んできた。びしょ濡れの服が乾くと僕たちはようやく腰を下ろした。「俺はいいけど、オガワが死んだら国際問題になるところだったよ」と呟くと、タシははじめて安堵の表情をうかべた。実のところ、僕の認識以上に危険な状況だったようだ。夕方4時、10頭のゾとともに家に辿り着くと、家族総出で出迎えてくれた。山が黒い雲で覆われていたのでとても心配していたという。そして僕は「聖山からゾを連れて帰った日本人」として村でちょっとした有名人になった。
この遭難事件のおかげで、記憶の片隅に埋もれていた北海道での体験が立体的に浮かび上がってきた。こうして異国の地で裸一貫になったとき、過去の些細な体験が輝きを放つことがある。思い出に質感が宿ってくる。体験が経験に昇華し、生きる力になってくる。チベット医学を学ぶ10年間のなかで、僕はそんな不思議な感覚を何度も味わってきたような気がしている。
(注1)
この年、北海道虻田郡留寿都村の留寿都高校で働いており(第26話)、夏休みを利用して2週間、別海町でアルバイトしていました。
(注2)
牛とヤクの交配種。牛よりも力があり、ヤクほど気性が激しくないので扱いやすい。
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