ラダック伝統医学ツアー(注)の初日、軽い高山病と喉の痛みに悩む僕はタルプ(第28話)の説明を参加者に簡単に済ませると、猛然とタルプを口に頬張った。タルプは四部医典に「肺の病を治す」とあるから喉にも効果がありそうだ。薬草の地産地消。とはいえ、参加者を置き去りしにした講師の暴走ぶりに、みんなは呆気にとられている。いやいや、まずは、ツアー講師みずからがアムチ(チベット医)のなんたるかのお手本を示したと捉えてほしい。事実、タルプのおかげで高山病は快方に向かい、ツアーを最後まで遂行できたのだから。
チベット医学の創始者であるユトク様や中医学(漢方)の創始者・神農(しんのう。紀元前2740年頃)は、あらゆる薬草を舐めてその薬効を確かめたといわれている。容貌魁偉な神農が口に真一文字に薬草をくわえているのはその象徴である。薬効の証明には二つある。ひとつは多くの薬学者が何年もの歳月をかけ、何百匹というラットなど実験動物(第50話)の犠牲によって導かれるものと、こうして一人の学者が最大のリスクを冒し、それが伝説となって生み出されるものだ。そして前者を現代医学、後者を伝統医学と呼ぶとしたらどうだろうか。つまり、そもそもの信頼の構築法がちがうのである。たとえるならばサッカー日本代表11人の戦いぶりから「日本人はこういう性格である」と世界に示すのが伝統医学的ならば、多くの日本人を調査し統計を取ることで導き出す方法が現代医学的なエビデンスといえる。
かくいう自分も神農にあこがれて、25、26歳で薬草茶会社に勤めていたころは、会社内と山にあるありとあらゆる薬草を口にしてみたことがある。クララ(生薬名は苦参)という薬草は口にするとクラクラすることから名付けられたという歴史を知り、実際に根を掘って食べてみた。クラクラを通り越し、目まい嘔吐に襲われた。トリカブトの葉を口にしたときは激しい動悸に襲われた。(絶対に真似しないでください)。自ら薬草を口にする、これはチベット、中国、ヨーロッパを問わず、薬草と、薬草を扱う人間に対する信頼の構築の根本原則ともいえる。ただ、自分自身が実際に百草を舐めてみて感じたことは「明確に薬効はわからない」ということと、伝説を真に受けて追体験しようとする人間は僕以外にはそうはいないだろうということである。
伝説のアムチ、故テンジン・チューダック(第86話)先生には、いまもこんな伝説が語り継がれている。水銀の毒性について欧米の学者から説明を求められたときのこと。先生はやおら薬包紙を取り出すと、浅い皿に黒い粉末をあけた。水銀を練成し無毒化したものだ。そして「いいか、見ておれ」と宣言すると聴衆の眼前で一気に黒い粉末を飲みほした。「私はずっと昔から水銀薬(ツォテル)を服用しているが、こうして元気だ」。西洋医学のエビデンス抜きにし、水銀の無毒性を証明してみせた。つまり、物質現象に信頼を構築する科学の土俵ではなく、人が薬草に向かい合う姿に信頼を構築するチベットの土俵に一瞬にしてもちこんだのである。ただし、やはり、ここで僕が注目したいのは水銀の無毒性でも先生の偉大さでもない。きっとやや誇張があったとしても、こうして「薬草を自ら口にしリスクを冒す」という勇気が伝説となり、チベット医学界で語り継がれている現象である。
まずは、アムチ自らが味わってみる。リスクを冒す。そうして得られる信頼を、チベット医学は1000年も変わらずに受け継いできた。大自然のなかに命をかけて身を置き、薬草を口にするリスクと真っ直ぐに向かい合うこと。逃げないこと。それは、現代の薬学者たちが何年もかかり総力戦で築き上げる薬効の証明、いわゆるエビデンスと同じ重みがあると僕は思っている。
薬草に向かって真っ直ぐに立ち向かう姿。それがチベット医学が1000年を越えて受け継がれてきた理由の一つであり、アムチであることの証明書だとはいえないだろうか。
「みんなの前でやってみせる」という、日本では忘れ去られがちな信頼構築の根本原理がチベット医学にはある。とはいえ、みなさん、トリカブトなど毒草は絶対に口にしないでくださいね。
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